第44話 抗アレルギー薬を飲んでから行った。1

 深呼吸をするが、心臓の鼓動は収まってくれそうになかった。目の前にあるのは庭付きの一戸建て、俺が暮らしているマンションとは比べ物にならないくらい立派な家だった。


「っ……」


 鞄を握った手が汗ばんでいる。喉が引きつるように乾いている。このまま帰ってしまおうかという気もしたが、つい先ほどメッセージで「もうすぐ着く」と送ってしまったのを思い出して、観念する。


 もう一度深呼吸して、意を決してインターホンを押す。もう俺にはこれをする意義の選択肢は無いのだ。


 ワンワンと大型犬の吠える声が家の中から聞こえる。判決を待つ罪人のような、それでいてコンテストのドラムロールを聞いているような時間が流れる。


「ワン、ワンッ!」

「……」


 流れる。


「ハッハッハッハ……ワンワンッ!!」

「……」


 ……いや、流れ過ぎじゃないか?


 押してから三〇秒ほど経っているが、インターホンを取る気配も、家の中で誰かが動く気配もない。おかしいな、既読も返信も来ているから、別に留守って訳じゃないんだろうけど、何かあったんだろうか?


「わわっ、ハナコ、吠えないで、今行くから……きゃああああっ!!!」


 不審に思い、インターホンをもう一度押そうとした瞬間、ドアの向こう側で千桂が叫び、盛大に物音がした。一体何が……?


 そのまま待っていると、ややあってからドアが開かれた。


「い、いらっじゃい……」

「ワンワンッ!!」


 モフモフとした犬に心配されながら、ドアを開けた千桂の鼻には、ティッシュのこよりが突っ込まれていた。


「……大丈夫か?」

「鼻血で済んだので大丈夫れす」


 どうやら大丈夫らしい。


 構って欲しそうなハナコを軽くもみくちゃにしてから、俺は千桂の案内で二階へ上がる。


「さ、ここが私の部屋ですよー」

「えっと……じゃあ、失礼します」


 いつもと変わらないテンションで案内された部屋の中は、甘く清涼な匂いで満たされていて、ファンシーだけれどどこか不細工な、何とも言えないぬいぐるみが複数あった。


 女の子の部屋らしいと言えばらしいのだが、ムカデの巨大なぬいぐるみがベッドに鎮座しているのは威圧感があった……いや、これ抱き枕か?


「むむ、ムキャデさんが気になりますか?」

「あんなでかいムカデがあったら気になるだろ」

「もームカデじゃなくて『ムキャデさん』ですよ! わたし、ムカデが苦手なんで克服できるかなーって抱き枕買ってみたんです」


 そう言って千桂は携帯の画面を見せてくる。そこには緩い感じの絵柄で描かれたムカデ……ムキャデさんの姿があった。


「まあ、買った日から一週間くらいは毎日悪夢見たんですけどね……」


 千桂は苦笑いして頭を搔く。何してんだこいつは……


「とにかく、勉強始めるか」


 気を取り直して、俺は教科書とノートを取り出した。

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