第40話 受けた恩は返す。

「そういう冗談は――」

「え? 冗談に聞こえました? もっと直球にアピールしないとダメですか?」


 ぐいっと幸奈が顔を寄せてくる。翠玉色の瞳で見つめられると、どうしても抵抗できない。


「……」


 俺と幸奈の視線が交錯し、呼吸が止まりそうな錯覚をする。そんな中、徐々に幸奈の瞳が閉じられ、顔が近づいてくる。


「ちょ、ちょっと待て!」


 唇が触れる直前、何とか彼女のペースから抜け出して、幸奈の身体を押しのける。危なかった。そのまま流されそうだった。


「っ!? ……冬馬さん?」

「悪い……だけど、俺はまだ幸奈の気持ちに応える準備が無い。それに――幸奈の真意を聞いていない」


 そう、彼女が白崎と俺を友達にしようとしているのは、兄妹の間で疎遠になっていたからというのは分かった。だが、疎遠になったのをまた元に戻すのなら、俺を経由する必要は無いはずだ。


 それこそ白崎には友達がいる。多くはないとはいえ、そちらと友人になればいいだろう。俺を選ぶ理由が全くない。


「……」


 俺の問いに、幸奈はすぐには答えなかった。


 その眼には、戸惑いと悔恨が入り混じった悲しい色をしていて、俺は不覚にも心臓が強く鼓動を打つのを感じてしまう。


「私は、昔のお兄ちゃんに戻って欲しいだけ」


 長い沈黙を経て、彼女の口から漏れたのは、切実な願いだった。


「私のせいで、お兄ちゃんはああなっちゃったの、だから、元に戻って欲しいの」


 ああなった?


 今の白崎は何かがきっかけでああなったって言うんだろうか? だとすれば、あいつの元々の性格って――


「冬馬さんを初めてここで見かけた時、お兄ちゃんと似ていると思ったの、だから、きっと冬馬さんならお兄ちゃんの事を何とかしてくれるって思って」


 そこまで言われて、俺ははっとする。


――なあ、お前、俺らのこと見下してんだろ。


 そうか、千桂と出会って変わり始める前の俺だ。


 綾瀬に勝手な敵愾心と劣等感を抱いて、周囲からの評価に辟易して、周囲に壁を作っていた俺と同じなんだ。


「……ごめんなさい」


 納得すると同時に、幸奈の口からそんな言葉が漏れた。


「私、冬馬さんに勝手な期待をして、困らせちゃったと思う。説明も何もせずにいて、ごめんなさい」


 幸奈は視線を伏せる。その肩は小刻みに揺れていた。


 きっと隠していた真意を吐露するのは、勇気のいる事だっただろう。真意を隠していた理由も、なんとなくわかる。直接あいつの性根を直そうと思ったら、あいつは逆に頑なになるはずだ。


 それこそ、千桂くらいの力強さで引き上げなければ、あの嫉妬と劣等感の迷宮からは抜け出せないはずだ。


「分かった。何とかしよう」

「……え?」


 俺に千桂のようなことができるのか、自信はない。


「俺もあいつと同じようになりかけていた」


 いや、まだ抜け出せていないのかもしれない。


 それでも、そんな俺を引き上げてくれた人たちがいる。石倉、田中、綾瀬、そして……千桂。あいつらのために何ができるのかといつも考えていた。


「受けた本人に返すばっかりが恩返しじゃないからな」


 あいつらに、自分が変わったことを知らしめる。それが今、俺にできる恩返しだ。そう思った。

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