第26話 誰か殺してくれ。

「じゃあ冬馬って中学時代はそんなイケイケだったんですか?」

「そうなの、彼はいつでもクラスの中心で、何にでも全力でね、何で今あんなになっちゃったのかは、分からないけれど」

「あ、わたし、それはなんとなく聞いてます。一番を取るのに疲れちゃったみたいです。それと――」

「それと?」

「副会長に勝てないから、って言ってました」


 千桂と綾瀬はどうやら俺の事を話している。それを俺はちょっと離れたところで聞いていた。トイレから戻ったはいいがこんな話をしている中で割って入る度胸は無い。


「そう、あの子も悩んでいたのね……」

「ですね、でも、話が聞けて良かったです。冬馬もそろそろ――」


『あ』


 ちょうど千桂と目が合ってしまった。


「おかえり冬馬! じゃあわたしも、ちょっと席外れるね」

「お、おいっ」


 ぐいぐい引っ張られて席に座らされる。席に座らせたら千桂はそのままササっとどこかへ行ってしまった。


「なんだってんだ?」


 彼女が消えた方を見て呟くが、誰も応える筈が無い。居心地の悪さを感じていると、綾瀬の視線に気が付いた。


「……なんだよ」

「ん、何でもない」


 綾瀬はニコニコした顔で俺を見る。いつもの怜悧な表情からは想像もできない。


 しばらく会話の無い時間が過ぎる。長くてよく櫛の通った黒髪も、切れ長でアーモンドのような瞳も、直視するには眩しすぎる。競う事から逃げた自分には、彼女の前に居る資格すらないのではと思った。


「ね、冬馬くん」


 消えてしまいたい衝動に駆られていると、綾瀬の方から声を掛けてきた。返事もできずに身体を揺らすと、彼女はこんな提案をしてきた。


「腕相撲、しよっか」

「……は?」


 腕相撲って……腕相撲だよな? 急に訳の分からない提案をされて、思考が追いつかない。


「なんでだよ?」

「いいから、やったらわかるよ」


 言われるまま、俺は右手を出して腕相撲の姿勢を取る。


 何がしたいんだ? いや、腕相撲がしたいっていうのは分かるんだが、それが何だって言うんだ。


 綾瀬は俺の手に右手を絡ませて、腕相撲の準備が整う。意外なほど彼女の手はしなやかで、暖かかった。


「よーい、どんっ」


 合図とともに、力を入れる。グッと力を入れると、すんなりと俺の方に腕が傾いていく。


 手加減している訳ではない。手から伝わる筋肉の感覚や、綾瀬の表情からも、演技しているような感覚は無かった。


 腕相撲をする意図も、彼女の弱さも分からないまま、俺と綾瀬の腕相撲は決着がついた。


「っ……はぁっ! やっぱり男の子だね」

「で、何なんだよ、これ」


 綾瀬の手を握ったまま、顔が赤くなっている綾瀬に問いかける。意図が分からなくて、少しだけ苛立っていた。


「分かったでしょ? 男と女じゃ力の差は覆しようが無いって事」

「そりゃ、まあ」


 そんな事を言われなくても、学校の授業ですでにそういう事は勉強している。腕相撲をする理由が分からない。


「でも、私は冬馬くんより勉強ができる」

「あ、ああ……」

「他にも、冬馬くんより力が弱いけど強い人はいっぱいいるし、強い人は冬馬くんに敵わない物もあるし、もしかしたらその人は冬馬くんの方が羨ましいと思うかもしれない」


 そう言われて、田中の顔が浮かんだ。間違いなく運動神経もなく、学力もそこまで高くはないが、俺はあいつの漫画に対する情熱と、打たれ強さには尊敬すら抱いている。


「誰かと比べる事、比べられる事は覆しようが無いし、避けられない。でも、それがすべてじゃないっていう事を覚えておいて」


 腕相撲で握ったままの手に、左手を重ねられて心臓が跳ねる。思わず生唾を飲み込む。


「あ、ああ……わかった」


 慌てて手を引っ込める。心臓の鼓動が速いように感じるのは、どうやら気の所為ではないらしい。


「あのぉー、そろそろ良いですかね?」

「ぉっ!?」


 突然の声に驚くと、すぐ隣に千桂が居た。


「い、いつから?」

「そりゃもう最初から最後まで様子は見ておりましたよ? わたし、おトイレ行くとは言ってませんし?」


 全然気付かなかったというのと、恥ずかしいところを見られたという羞恥心で、顔が熱い。俺は手で顔を覆うしかできなかった。

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