第23話 ちなみに起きたのは六時前らしい。

 翌朝、俺は昨日と同じように早めに起きて、走り込みと筋トレを済ませて、シャワーを浴びた。


 昨日走り込みを再開して感じたのは、随分衰えた体力だった。


 別に使う予定もないし、目的もない。しかし、体力の低下は想像以上に恐怖だった。そういう訳で、俺は軽いものから早朝のトレーニングを再開したのだった。


 冷たいシャワーがシャンプーと石鹸の泡を落としていく。ボサボサに伸び放題の頭をわしわしと洗い流すと、邪魔になるのでかき上げてまとめる。長らく人目に触れていない目元と額は、相変わらずだ。


 風呂場から出てタオルで乱暴に拭き取ると、また冴えない姿に戻る。こっちのほうが落ち着くな。


 何も、俺は最初からこの姿を好き好んでいたわけじゃない。中学時代の友人や、知り合いから逃げるための簡易的な変装みたいなものだった。


 両親からは特に何も言われなかった。まあ元がワックスや染髪上等みたいな感じだったから、むしろ落ち着いてくれて助かってるのかもしれない。


「……」


 ジャケットに袖を通すと、時計が目に入る。待ち合わせはまた駅前広場だから、そろそろ出かける時間だ。


『おはよ、そろそろ出るね』


 千桂からのメッセージが着信したので、俺も出るところだと返す。家はどこか分からないが、昨日みたいに全員が全員バラバラに早い時間に到着する。なんて珍事は起きないだろう。


 エナメル質の光沢をもった革靴を履いて、ドアを開ける。


「あ、冬馬くん。おはよう」

「っ……ああ」


 視界の先には、黒髪が躍っている。朝から見たくない相手を見てしまった。


 そう、うちの高校で生徒会副会長を務める綾瀬は、俺と同じマンションに住んでいるのだ。それはもう、小さい頃から比較もされるし、対抗意識も持つだろう。


「どこかに出かけるの? 私は――」

「じゃ、待ち合わせに遅れるから」


 始まりそうになった会話を無理やりぶつ切りにして、俺は階段を駆け下りていく。エレベーターだと絶対に一緒にいる羽目になるので、それだけは避けたかった。


「はっ……はぁっ……」


 考えてみれば、ただ子供みたいに拗ねてるような物。それはもう分かっている。千桂たちと話してるうちに、俺の中にあるのは整理しきれてない気持ちだけだと。


 だが、それでも。整理のつかないまま、綾瀬と話をするのはどうしても無理だった。


 嫉妬から憎むようなのも、劣等感からこびへつらうのも、俺の心を削り取られるような痛みを持っている。そんな状態で、綾瀬とは合えなかった。今はもう無い、ただ俺と綾瀬の二人だけだった頃に帰りたい。彼女を越えたいと思わなければ、どれだけ楽だったか。


「あ、冬馬ー……って、なんでそんな急いで来たんです? 待ち合わせにはまだまだ時間が」

「はあっ、はっ……すまん、ちょっと、な」


 階段を降りた勢いで走りっぱなしだったのを、千桂に言われて初めて気づく。時計を見ると到着予想よりも、二〇分くらい早かった。


 呼吸を整え、ジャケットを揺らす。シャワーまで浴びて汗を落としたのに、これじゃ意味ないな。


「急いでないからちょっと落ち着こうよ」

「ああ、ありがとう……」


 広場のベンチに座って深呼吸する。徐々に指向のもやが晴れ、考えが落ち着いてくるのを感じた。


「なあ、千桂」

「はい? なんです?」


 と、俺は一つの疑問にぶつかる。


「なんで俺が急いで来たのに、一緒に出たお前が先に居るんだ?」

「うっ!?」


 よく考えてみれば、余程家が近いだとか、そういう事情が無ければ走ってきた俺の方が早く到着するはずだ。だというのに、千桂の方が早く到着している。これはどういうことなのだろうか。


「え、えっとぉー、それはですねえ……」


 気まずそうに千桂は指を絡ませ、両手を揉み、散々言い淀んでから口を開く。


「二日連続で早くついてたら恥ずかしいかなぁ……って」

「……」


 いや、何だその可愛い理由は。


「ちなみに、一時間くらい前についてました」


 言ってくれれば早く来たのに。と言いかけて言葉を飲み込む。言えなかったからこうなってるんだな。

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