第21話 花火大会を一緒に見ているだけだ。2

「……デートじゃない。そもそもお互い名前も知らないんだぞ」


 思考が飛びそうになるのを、すんでのところで捕まえなおして、深呼吸をする。観覧車で千桂にからかわれていなかったら、即刻落ちていただろう。


「幸奈ですよ、ゆ・き・な」


 ……何でいきなり名前を呼ぶように仕向けてくるのか。


「そうか、俺は碓井だ」


 TOMという名前は、あまり呼ばれたくない。ゲームのスコア程度で得意になるのも変だろうし。その名前で呼ばれるのにも慣れていない。


「分かりました。冬馬さん」


 幸奈は俺のアカウント画面を見せ、そこに乗っている名前を指差した。


「……」


 そういえば、登録する時にめんどくさくてそのまま本名にしたんだった。すっかり忘れてあんなことをした自分に呆れてしまう。


「さ、冬馬さん、花火がよく見えるところまで歩きましょう?」

「っ……あ、ああ」


 俺の手を幸奈が掴み、優しく引いて歩き出す。距離感の近い振る舞いに、俺は動揺を何とか隠すように努めた。


 さっき通った道には、仕事帰りのサラリーマンが減り、逆に道端で立ち止まっている人や、ベンチに座っている人が増えていた。


「どこも人でいっぱいですね」

「そりゃまあ、ゴールデンウィーク中でしかも花火大会があるからな」


 人ごみを避けるように、しかし花火は見えるようにと場所を選んでいくと、おのずと人気のない路地へと迷い込んでいく事になる。


「いつもあんなに遅くまで起きてるのか?」

「いいえ、昨日というか、今朝だけ特別でした。昨日は特に帰りたくないことがあったんで。なので、冬馬さんと会えたのは本当に偶然でしたね」


 楽しそうに話す彼女に引かれるまま、俺たちは歩く。


 丁度いい具合に花火を見れる場所に付く頃には、一駅分ほど道を歩いてしまっていた。


「この辺り、丁度いいんじゃないか」


 外套がまばらにあり、海辺にほど近い遊歩道、柵によりかかる人も、ベンチに座る人もまばらで、ここなら落ち着いて観られそうだった。


「そうしましょうか、ところで、冬馬さんはどうしてここに?」

「友達とすぐそこのテーマパークで遊んだ帰り道だ」


 ベンチに腰掛けると、幸奈はさっそく話を始める。


「え、もしかしてもう既に恋人が?」

「違う違う、四人グループだ。他の奴は門限やらで先に帰ったよ」


 恋人の有無を聞かれて、一瞬だけ千桂の事が脳裏をよぎる。いや、あれは俺が勘違いしかけただけだから……そう言い聞かせて、頭を振った。


「ということは……もしかして、冬馬さんってフリーだったりします?」


 幸奈が身をのり出して俺に詰め寄る。


「ま、まあ、彼女は――」

「おいおい、ガキがこんなとこで何してんだ?」


 応える寸前、男が俺たちに声を掛けてきた。


「ま、いいや。それはそうと俺、金持ってねえんだわ、貸してくんね? 一万くらい」

「……」


 背丈や体格からして高校三年から大学生くらいか、立ち姿からは格闘技の経験をうかがわせるオーラを放っているが、肉の付き具合からして、それほどトレーニングはしていなそうだ。


「冬馬さん……」


 幸奈が袖を掴むのを感じると、俺は立ち上がらざるを得なかった。身長は大体同じくらい。ただ相手の方が来ている服装を含めると大きく見える。


 周囲の人は見てみぬふり、逃げる先としては今来た道を戻ればなんとかなる。あとは……


「幸奈、逃げる準備をしてくれ」

「あ? なんだよ、その反抗――」


 顎に一発、顔面に一発。連続して拳を叩き込み、一瞬で昏倒させる。


 意識を一瞬で刈り取られた相手は、脱力して膝から崩れ落ちる。それを気配で感じ取り、俺は幸奈の手を掴む。


「走るぞっ!」

「えっ、あっ……」


 状況が理解できない様子だったが、俺は何とか幸奈を連れてその場を逃げ出すことに成功した。

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