第19話 観覧車からの景色はとてもよかった。2
「千桂、ちゃん……?」
「はいっ、冬馬くん!」
口にしてみて、どうにもしっくりとこない、やはり名字呼びになれているからか、「ちゃん」とか「くん」はむず痒い気分になる。
「悪い、やっぱしっくりこないわ、穂村のままで良いか?」
「むぅっ」
頭を掻いてそう告げると、穂村はしょんぼりとした表情になる。
「まあ、無理にとは言わないですよー……?」
「あーいや、別に呼びたくないわけじゃないんだが」
「……別にこのままでもいいですし」
どうする? どうしよう。
なるべくなら穂村の希望に沿いたいが、そうなると今度は田中や石倉にもくん呼び、ちゃん呼びしないと違和感が出てしまう。
「……これからも碓井くんって呼びますし?」
「待て、待てって――」
頭をフル回転させ、違和感のない、しかし親しみの篭った呼び方を考える。
一つはある。だが、その呼び方は何というか、その、ある意味でちゃん付けよりも親密っぽく聞こえかねない。
「……千桂」
「うぇっ!?」
正直なところ、恋人っぽくてこっぱずかしい。意識すればするほど顔が火照るのを感じる。
だが、穂村が拗ねだしたりしたら、これから先も変に拗れそうだし、意識しているのは俺だけだ。そう自分に言い聞かせて納得する。
「えっと、冬馬く、碓井く……あーっ! 君はちょっと距離詰め過ぎじゃないかな!?」
「いや、そんな事は無いだろ、苗字呼び捨てか名前呼び捨ての違いだし、些細なものだろ」
頼む、意識しないでくれ、意識されるとやり辛くなる……!
「ていうか、そっちがそんなに気になるなら、俺のことも呼び捨てにすりゃ良いじゃねえか、名前の呼び方くらいで変に意識し過ぎだ」
まくしたてるように持論を展開し、相手を丸め込む。口数が妙に多くなっているのは自覚していた。
「じゃ、じゃじゃじゃ、じゃあっ! ……冬馬」
「っ……これで文句ないだろ、千桂」
あくまで平静に、平静に……もともとこいつは距離感近いところあったし、それの延長線上だと考えるんだ。
そう、これには恋愛感情は一切無い。中学時代、こういう勘違いして玉砕した同級生を何人も知っている。
「……」
そして訪れる沈黙、隣のゴンドラから石倉と田中がこっちを覗いているのが見えて、一層気まずくなる。大丈夫、あいつらには会話は聞こえていない。
そうやって平静を保とうとしても、この気まずい空気はそのままだ。俺は何とかして話題を探す。
「千桂は、今日どうだった?」
「ど、どうって?」
「いや、割と俺と田中を気遣ってくれてたみたいだからさ、千桂自身は楽しめたのかなって」
恐らく観覧車を乗り終わった後、門限もあるだろうから俺たちは帰る事になる。今のうちに今日の感想を聞いておきたくなった。
「それはー……って、冬馬はどうだったんです?」
ゴンドラがてっぺんに差し掛かり、石倉達の姿が見えなくなる。変に冷やかされる事もないと、俺はちょっとだけ本心を話すことにした。
「楽しかったよ、お前らと――いや、千桂と出会えてよかった。そう思える……くらい、には」
最後のあたりは流石に恥ずかしくなって、目を逸らしてしまう。だが、それでも千桂には十分伝わったらしい。
「俺は答えたぞ、次はお前の番だ」
恥ずかしさを隠すように、視線を外に向けたまま話を振ると、ゴンドラが小さく揺れ、視線の反対側に暖かな体温を感じた。
「わたしは、冬馬と来れて、楽しかったですよ」
「……」
「さいしょは、メロンパンをくれたり、にくまん譲ってくれたり、優しい人だなーと思ってたんですけど、球技大会でそれだけじゃないって分かって、田中ちゃんと漫画の話も精一杯真面目にやって……今日もみんなを上手く纏めてくれてたじゃないですか」
息苦しい。
喉が渇く。
鼓動が大きくなる。
俺は千桂の体温を肩に感じつつ、テンパっているのを必死に隠していた。
「そんな、なんにでも全力で頑張っていて、優しい冬馬と一緒に回れて、最後は一緒に観覧車に乗れて、最高の一日でした」
まずい。
これ以上やられると勘違いしてしまう。千桂は別に俺のことを好きなわけじゃなくて、異性との距離が近いだけなんだ。ほら、石倉とノリノリで楽しんでたりもしただろ! クラスの男子ともスキンシップ多いし!
と、そこまで考えて思い当たる。こいつが、こんなトーンで話すのを見たことも聞いた事もない事に。これ、いけるのか!? 勘違いしていいのか!?
「……なーんちゃって」
「は?」
勘違いまであと数秒という所で、千桂は元の席に戻る。
「冬馬が名前呼び捨てなんてことをするので、そのお返しでーす。千桂ちゃんじゃなかったら勘違いしちゃってたぞー」
あ、あぶねえ……
「お前、止めろよそういうの」
いたずらっぽく笑う千桂に、俺は苦笑を返す。
そうだ、こんな明るくて誰からも好かれるような奴が、競争から逃げて地味に日陰を歩くことを選んだ俺に、恋愛感情を抱くわけないもんな。
少しの残念さと共に、俺は諦観にも似た納得をした。
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