第10話 あと少しで殴り掛かるところだった。

 家に帰った後、ネットで漫画の技法とか色々検索してみた。多分、田中にまた意見を求められるだろうから、せめて実のある情報を彼女に与えてやりたい。


 そういう訳で、俺は朝の通学中も信号待ちなどを使って、情報収集をしているのだった。


 田中は一番になる難しさを知っていて、それでもなお挑戦しようとしている。それは俺に無い考え方で、何とか彼女からその秘訣を知れないか、と考えていた。


「あ、碓井くんおはよー」


 教室に入ると、穂村が俺に気付いた。挨拶を返しつつ自分の席にカバンを置く。


「田中は?」

「まだ来てないね、やっぱり気になっちゃう?」

「そりゃあな」


 元気よく帰っていったものの、それが空元気である可能性はゼロじゃない。もしそうだったらどうフォローすればいいか……


「ぎゃはははは! お前マジかよ!?」


 二人で考え込んでいると、クラスの騒がしい連中が、教室の入り口近くで騒ぎ出した。正直なところ、誰かがウザいだとか、あいつは馬鹿だとか、そういう話ばかりするので俺は苦手だった。


「? 碓井くん、どうかした?」

「いや、何でもない」


 誰かが苦手、という話題を出して目立つのも、あいつらの同類になるのも嫌だったので、俺はあいつらを意識しないように視線を逸らした。


「そういえば、穂村はゴールデンウィークどうするつもりなんだ?」


 嫌な事よりも、楽しみな事を考えよう。そう思って、俺はゴールデンウィークの予定を話し合う事にする。


「むむ、わたしは見たい映画があるのでそれを見る予定ですね。それ以外は何も決まってませんが、遊園地に行くのもいいでしょうなぁ」

「映画に遊園地か……」


 どちらもこいつと会うまでは、考えもしなかった選択肢だ。


「そうだな、じゃあ金曜に映画見に行って、日曜に遊園地とかどうだ? 港湾地区にでかい観覧車があっただろ」

「へ?」


 俺の提案に、穂村は意外そうな反応を返す。あ、これもしかして、めっちゃ恥ずかしい奴……


「あー、一緒に回るもんだと思ってたが、違うならすまん」

「い、いえいえ! まさか碓井くんがこういうイベントに乗り気だと思わなかっただけで! 大歓迎ですよ!」


 ぐっと両手を握る穂村に安堵をする。さすがに二人きりは恥ずかしいから、田中と石倉あたりも呼ぼうか。


 二人で予定を話し合っていると、廊下を誰かが走る音が聞こえてきた。時計を見ると予鈴三分前、まあ急ぐのも分かるが、走ると危ないぞ。


「はぁっ、はぁっ……ま、まにあ、った……」


 足音の主は田中だった。眼鏡がずれ、髪の毛が好き放題に撥ねていて、顔から汗が滴っている。


「田中、おはよう」


 予鈴前なんだから急ぐことも無いだろうに、そう思いながら俺は田中に挨拶する。


「あ、碓井さん! 何とかネームだけですが、なおせました!」


 満面の笑みで封筒を取り出し、俺に向かって見せてくれる。よかった。傷ついて筆折ってたらどうしようかと……


 彼女は早く見て欲しいのか、封筒を掲げて俺の方にまっすぐ歩いてくる。


「言われたところを直したら、別の場所も直したくなっちゃいまして、大変でし――」

「いてっ」


 それが良くなかった。


 教室の入り口に陣取っていた。騒がしい奴が田中にぶつかり、彼女は封筒を取り落としてしまい。中身が辺りに舞ってしまう。


「あ? 何これ」


 そして、慌てる田中をよそに、男子生徒は漫画の原稿を拾い上げる。


「あ、す、すいません、返して……」

「へーお前、漫画とか描いてんだ」


 田中は散らばった原稿を拾い集めているが、そいつはそのうち一枚をにやにやしながら眺めていた。


「おい、お前――」


 立ち上がって、俺は田中に駆け寄る。

 嫌な予感がした。

 俺が心を折られた瞬間と同じような感覚。


「キモ、すげー下手じゃん。なんで描いてんの?」


「――」


 瞬間、俺と田中の呼吸が止まったのを感じる。


 そいつは田中に原稿を返すと、それがなんでもなかったかのように、他の連中との会話に戻る。


「っ……!! 田中、大丈夫か?」


 今、俺がここで問題を起こせば、田中に負担をかけてしまう。俺は奥歯を砕きそうな勢いで歯を食いしばると、田中と一緒に原稿を集めた。

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