第5話 俺は逃げ出した。

 帰り道、いつもの公園で、俺は再び穂村に捕まっていた。


「意外、あの副会長と幼馴染なんて!」

「全く嬉しくはないがな」


 結局俺への気遣いよりも好奇心が勝ったようで、さっきからしつこいくらいにあいつとの関係を聞かれている。


 幼馴染と言えば聞こえはいいが、年齢は一つ上、習い事や成績でも、去年の彼女を引き合いに出される。常に誰かから「君は頑張ってるね、綾瀬さんには及ばないけど」と言われる生活。


 そんなある日、学校のテストで学年三位の成績を残した時に言われた言葉が、俺の心を完全に挫いた。


――でも、一番じゃないじゃん。


 別に一番になるためじゃなかった。誰かに俺としての個人を褒めてもらいたかった。


 今思えば、ただ勝手に俺が意識していただけかもしれない。だが、理性で押し込められるほど俺は大人じゃない。


「むぐむぐ、でも、わたしは碓井くんもすごいなあって思うよ……はぐっ、もぐもぐ、ほら、球技大会もすごかったじゃん。勉強も、んぐっ……できるし!」


 肉まんを頬張りながら穂村は言う。フォローしてくれるのはありがたいのだが、ものを食べながらではどうしても真剣さに欠ける。


「……はぁ」


 結局、俺は中途半端だ。


 もう誰からの批評も受けたくなくて、一人で居ることを決めたのに、数日こいつと一緒にいるだけで、その決意が揺らぐ。俺は、俺自身が決めたことすら守れない情けない人間なんだ。そういう気持ちが沸いて来て、一層気分が落ち込んだ。


「むむっ、碓井くん。ちょっと失礼」


 何かを見つけたのか、穂村はベンチを立ち上がって公園の外へ駆けていく。どこへ行く気なんだ?

 座っていた場所を見ると、鞄が置きっぱなしになっている。どうやら戻ってくる気ではあるらしい。


 ……カバンを忘れて帰った可能性は多分にあるが。


 さて、こうなってしまっては手持無沙汰だ。近くに鳩が寄ってきているが、生憎俺は餌を持っていない。通じるかは分からないが、鳩に手のひらを見せてみる。


「……」


 うん、通じるとは思っていない。鳩は無機質な瞳で地面をつついている。


 こいつが自分のことをするなら、俺も自分の事をしよう。スマホを取り出して、ソシャゲの周回を始める。


 無限に時間が溶けるのでやってられない。そんな評価があるが、俺は時間を潰すためにやっているのだ。願ったりかなったり、渡りに船というものだろう。


「冬馬君?」

「……」


 聞き覚えのある。しかしそれで居て今一番聞きたくない声が聞こえた。綾瀬楓、幼馴染にして俺が逃げ出した壁だった。


「やっぱり、私が卒業してからだから、大体一年ぶりかな? 印象変わったね」


 俺が無視しようと、拒絶しようと、綾瀬は言葉を続けてくる。


 中学時代から髪型を野暮ったくした。制服を着崩すようにした。笑わないようにした。それでも俺を見分けてくるのは、絶対にこいつからは逃げられないのだ、と言われているようで、憂鬱な気分になった。


「教室で見かけてもしかしてって思ったけど、同じ高校に入ったんだね」

「……」


 なるべく話したくない。できるなら今すぐここから立ち去りたい。穂村のカバンを置いて帰っちゃうか? いや、でもあいつに悪いな……


「もしよければなんだけど、二学期の生徒会――」

「ふははは! 碓井くーん、君もエナドリ飲んで翼を授かりませんか!? 元気になりますぞー……ってあれ?」

「穂村っ!」


 ようやく帰ってきたか! 俺は弾かれたように立ち上がると、穂村のカバンを掴んでもう片方の手で彼女の手を掴んだ。


「はわっ!? あ、綾瀬副会長、お疲れさ――」

「行くぞ!」


 彼女の手を引いてその場を離れる。何を話したかったのかは知りたくもないし、知ったところでどうしようもない事だろう。結局のところ、俺はまた惨めな思いをするだけだ。


 俺はまさに、ようやく掴みかけた居場所と共に、綾瀬から逃げだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る