第4話 嫌な顔を見た。
次の日、登校すると周囲の対応はがらりと変わっていた。
……なんて事は無く、俺は相変わらず一人で次の授業に備えている。
入学して一か月経つかどうかというくらいだ。新しい知り合いの新たな一面を見た程度では、周囲の反応は変わりようもない。
「碓井くーん」
「……」
まあ、こいつはそれより前からこんな態度だったしな。
「実はさっきの授業で分からないところがありましてー」
じゃあ先生に直接聞けよ。と思わないでもなかったが、懲りずに話しかけてくるこいつに、半ばあきらめの気持ちが沸いていた。
「……どこだ?」
つまり、やるやらないの押し問答をするよりも、さっさと答えて会話を早く終わらせた方が効率的だと気づいたのだ。
「えっとですね、この応用問題なんだけど、なんで公式が使えるのかなって」
「xyの値が公式を使えるように無理やりやってみろ」
ノートの端に解法を簡単に書いてやる。応用とはいえこれはまだ初歩的な問題だ。この説明でも十分だろう。
「はっ、こんな無理矢理やって大丈夫なんですか!? ……あれ、でも答えは綺麗な数字ですね?」
「数学は先人が散々『この公式はどんな時でも成り立つ』って証明をしてきたんだ。俺たちがちょっとくらい無理な使い方しても、使い方が正しい限りは問題ない」
俺はそう答えて穂村を見る。彼女は感心したというか、目から鱗というか、そんな顔をしていた。
「うーん……なるほど、数学は奥が深いですなあ」
納得した様子の穂村から視線を逸らすと、丁度廊下を歩く上級生の集団が見えた。
運動部の青田刈りか何かかと思ったが、どうもそうではない。なぜかというとあからさまに文化系の容姿をしていたからだ。
「むむ? 碓井殿も生徒会の人たちが気になりますかな?」
「……別に」
唐突に変な口調になった穂村に答えつつ、俺は思い出した。
そういえば、ガイダンスの時になんか言っていたような、たしか「新生活で分からないことがあれば、休み時間に生徒会が巡回するので、その時に聞いてくれ」とか何とか。
確かに面々を見ると、リーダーシップがありそうな奴から地味な奴(これは俺も人のこと言えないが)まで、いかにも生徒会然しているようにも見えた。
「隠さなくても良いですよー、特に今の副会長は文武両道、才色兼備、男子からの人気も高くて何をさせても一番――」
「止めろ!」
俺のトラウマ――他人と比べられることに嫌気がさした原因。その話をされそうになって、俺は思わず強い口調になっていた。
穂村もなんで急にそんな怒りだしたのか分からなくて、目を丸くしている。
「……悪い」
「あ、や……別にいい、デス、けど」
気まずい沈黙。何か話そうという気もないが、俺とあいつのことを黙ったまま、変な勘繰りをされるのも嫌だった。
「あの副会長――綾瀬とは幼馴染でな、事あるごとに比べられて、うんざりしてるんだ」
「……ぁー、ごめんね」
それ以上の言葉は必要なかった。
入学直後から、あいつの名声は嫌でも耳に入ってくる。入学式では上級生代表の言葉を、生徒会長を差し置いて話しているし、彼女の名前を聞かない日は無かった。
ちなみに余談ではあるが、石倉は昨日のバスケの試合で自信を付けて綾瀬に告白し、見事玉砕したらしい。
「まま、意外でしたけど、碓井くんの新たな一面が聞けてわたしは満足です! 話してくれてありがとう!」
気をつかって明るく話す穂村に嫌な気はしなかった。軽く頷いて謝意を告げる。
穂村の方を向くのも気恥ずかしいので、生徒会の面々をぼんやりとみていると、噂をすれば影が差すという言葉の通り、黒く長い、まっすぐな髪が見えた。
意志の強さを感じる切れ長の瞳に、一歩間違えれば不愛想にも見える怜悧な表情。俺にとって、一番見たくない顔がそこにあった。
「……」
目が合った? 一瞬だけ視線が交錯したような気がしたが、あいつは俺がこんな頭もじゃもじゃで、地味な格好しているなんて思っていないだろうし、どうせ気付いていないだろう。精々「石ころが落ちている」くらいの認識なはずだ。
「穂村」
「ひゃいっ!」
「……そろそろ予鈴なるぞ」
変な声で返事した彼女に口元が緩みそうになったが、何とか抑えて冷静に言う。
「ほっ? あ、あー! そですね! では、またお昼時にっ!」
ビシッと敬礼して穂村は自分の席に戻っていく。予鈴が鳴りそうなのは事実なので、俺もノートを開いて授業の準備を始める。
「……」
ちらりと廊下の方を見ると、生徒会の面々は既に各々の教室に戻ったようだった。
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