商談9 鵜ノ原郷

 俺は先方から指示された待ち合わせ場所へ向かうため、タクシーを取った。今時は、スマートフォン1つでタクシーを呼ぶことができるから、実に便利な時代だ。

「すみません、原郷はらごうまでお願いします」

 俺はタクシーへ乗り込み、行き先を告げる。先方の目的地は誕生駅が最寄りと聞いていたが、地図を見た限り山中のように思える。

「お客さんも変わった人だねぇ? こんな辺鄙へんぴなところに向かうなんて」

 運転手の話によると、鵜ノ原郷は勝山峠かつやまとうげの中腹にある集落で人気があまりないそうだ。いわゆる、限界集落と言ったところか。しかも勝山峠は県内屈指の難所で、高低差も激しく曲がり道も多いことから交通事故が多発しているとのこと。話を聞く限り、俺の命は大丈夫だろうか?

 鴨河漁港からタクシーを走らせることわずか数分で、景色は緑の装いを呈する。両端は木々に囲まれ、急な坂道が続く。ドライバーは丁寧な運転をしているはずなのに、右往左往する道路に車体が揺られる。これぞ勝山峠が難所と言われる所以、俺はだんだん気分が悪くなってきた。しかも、この状態があと1時間近く続くというのだ。これは拷問か何かか?

「お客さん、到着しましたよ」

 乗り物酔いと格闘すること1時間、俺はようやく鵜ノ原郷へ到着した。気分が悪くてあまり覚えていないが、タクシーの運賃がとんでもないことになっていたような気がする。けど、スマートフォンアプリのおかげで自動決済なのは非常に助かった。とにかく、今は近くのベンチで一休みしよう。

 ――気分の落ち着いた俺は、今一度周囲を確認する。どうやらここはバス停のようだ。しかし、年季の入った小屋に申し訳程度の小さなベンチがあるだけ。時刻表を見てみると、1日にわずか3本しかバスが来ないようだ。俺は限界集落の現実を思い知らされる。

 俺は改めて外の景色を眺める。全方位が木々に囲まれ、小鳥たちがさえずる何とも癒される光景だ。だが、その名前に反し鵜の姿は見られない。そんなことより、仕事など投げ出してこのまま森林浴をしたいところだ。

 けれど、そうも言っていられない。さて、先方の待ち合わせ場所はどっちへ向かうんだっけか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る