商談5 愛妻家

「――ところで旦那、やけに大きなアタッシュケースをお持ちで?」

 店主が不思議そうな目でそれを見つめる。これは商機......! 俺はすかさず中身を取り出す。

「大将。実は私、雑貨商を営んでおりまして――」

 ここまでくれば、あとは俺の話術で引き込むだけだ。俺はここぞとばかりに商品説明でたたみかける。今回は、ガラス細工で作られた食器を紹介する。この透明感、そしてこの重厚感。この二つを兼ね備えた作風が何よりの魅力だ。

「――おお、こりゃすごい。錦鯉が泳いでるじゃねえか......」

 この食器、実はワンポイントとして錦鯉の絵があしらわれている。透明なガラスの中を生き生きと泳ぐその姿は実に優雅である。

「気に入った! この食器、俺のところで買おう!!」

 よし来た! ガラス細工に魅入られたら最後、買わずにはいられまい。

「見積もりはこちらに――」

 説明を続ける俺の言葉を店主が遮る。

「――ごちゃごちゃ言うな! いくらだって俺は買うから!」

 この店主、どこまでも器がでかい。そう、器だけに。

「ありがとうございます!」

 俺は深々と頭を下げた。そうと決まれば、さっそく秋子へ発注をかけよう。善は急げ!

『――さっき、メール見たけどさぁ。鯨の髭? こんなの買ってどうするの!?』

 案の定、秋子は激怒していた。まぁ、一般の感覚からすれば価値は分かりかねるだろう。

「まぁ、マニアには売れるさ。それより、食器の発注お願いね?」

 こういう時、俺は発注の話に持ち込んで秋子の怒りをやり過ごす。こんなことは日常茶飯事だ。

『――パパぁ?』

 電話越しにゆなの声が聞こえる。俺たちの可愛い一人娘だ。

『パパぁ、ふりんしないでね?』

 我が娘よ、どこでその言葉を覚えた?

「大丈夫、パパはママを世界一愛しているよ」

 娘にこんなことをいう俺は内心恥ずかしい。しかし、秋子ほどの良妻賢母りょうさいけんぼはそうそういない。これは紛れもない事実だ。

『気持ち悪いこと言ってないで、次の契約取ってきて!』

 電話越しでそれを聞いていた秋子は、ぶっきらぼうに電話を切ってしまった。まったく、素直な女じゃないなぁ。だが、そこがまた愛おしい。

「旦那、さては恋女房だなぁ?」

 電話越しの会話を聞いていた店主は、にんまりとした顔で俺を見ている。俺の心中はすでに悟られている。

「おっしゃる通り。――では、近いうちに納品致します。納品次第お支払いをお願いいたします」

 秋子のことは少々照れ臭いが......なにはともあれ、これで契約成立!

 ――あれ? 何か忘れているような気が......?

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