第4話 微かな雪解け
一
「ひゅ~、こっからでも結構冷えるな」
両腕をさすりながら、アレックスはこれから自分達が行く方向から鼠色が迫ってきた空を見る。
遂にフォード大陸へ着いた四人は、ビハール港へ降りる。
ビハール港――ここは、宿を兼ねた船着き場以外は何も無いシンプルな港だ。
今のフォード大陸では唯一の船の停泊所でもあるのだ。
昔――ロンベル王国があった頃はいくつかはあったかもしれないが、今はここだけだ。
人も殆どおらず、ここでは食料はろくに取れないので、毎日漁師が食料や日用品を届けてくれるのだ。
「そうだな。空の色が――徐々に灰色に染まっている。まだ青空はあるが」
フィリアはマントの両端を握りしめながら空を見る。
空は微かに冷気が含まれているのが肌に伝わってくる。
「やっぱあの時より冷気が広がってるね、少しずつだけど確実に」
「ルピアさんが来た時は、やっぱりここまでは」
「うん。まだここまでじゃ無かったよ」
まるであの時を見るような目で空を見る。
「うひぃ~寒い」と船員達は歯をカチカチ鳴らしながら、急いで中へ入って行った。
船員達はまた暫くしたら向こうへ戻るからしばしの間だけで済むが、レナ達はそうはいかない。
何日か、最悪の場合は永久にこの地に留まるかもしれない。
それにしてもここは寒い。一昨日の湿原とは比べ物にならない。
波の方も風の影響からかしけってきている。
今は流石に停泊所は波の影響が少ないが、もしも呪いの影響がここまで広がったら更に時化るか――いや、波打ち際が凍るかもしれない。
「えっと。ロンベル王国は……」
「ここだよ」
ルピアが地図上の白く染まっているエリアの中心を指さす。
ここからはニ十キロはあるというのがルピア談だ。
「そんじゃ、行きますか」
アレックスは地面に置いていた着替えや日用品を入れているデイパックをかつぎ、足を踏み出す。
レナとルピアも彼の後に続く。
「……」
フィリアは自分の荷物にある例の物を指さしで確認する。
(うむ。アレはあるな)
フィリアがゆっくりと頷く。
「フィリアさん。行きますよ」
「ああ」
レナに促され、フィリアも後を追った。
レナ達の一連の行動を、船着き場兼宿屋の古びた木枠の三階の窓から見ている男がいた。
「行くか……」
その男――ルークは、四人がビハールを出たのを見届け、自分も部屋を出ていった。
二
「う~、寒い~~!」
歯をカチカチ鳴らしつつ両腕を擦りながら一歩一歩進んでいく。
「お前よかフィリアの方が大変じゃね?」
「……そうだね」
ルピアが彼を見て目蓋と口を真一文字に結んで納得する。
そう。フィリアはサンダルだ。
流石に厚手のベージュの靴下は履いているものの、それでも寒いのか爪先を上下に動かしてしもやけを少しでも防ごうとしている。
顔にも表れて、あの冷静沈着なフィリアが目を見開いて唇をキュッと結んでいる。
だが、この様子を保っていなければ、気が持っていかれそうだからだ。
「フィ、フィリアさん……足大丈夫ですか?」
レナが見ているこっちまで寒そうな顔でフィリアに訊く。
「……雪の大地用にブーツを買った方が良いな。これからは……」
フィリアの声が少し震えている。
「こりゃあ早急に行かないと、目当ての場所へ行く前にフィリアがしもやけになっちまうぜ」
「そうだね」
「それでしたら、あっしに任せるでやんす」
突然火の精霊サラが現れる。
「サラ」
「すいやせん。でも皆さん、特にフィリアさんが辛そうなんで、あっし見てらんなくて……」
因みに精霊の言葉は、精霊使いじゃないと分からないので、慌てて咄嗟にアレックスが訳する。
「……すまないが、頼んで良いか?」
「任せなさーい!」
サラは得意げに胸をドンと叩いて、ベージュ色の息を四人に纏うように吹きかける。
息はまるで羽衣のように四人を包みこむ
「わあ、暖かい!」
「へぇ。こりゃ凄いね」
「……足元の寒さが消えた……有難う」
先程の震えがピタッと収まった。
三人、特にフィリアが有難そうに礼を言う。
「いやあ、それほどでも~」
「ふふ、ん?」
アレックスが違和感を覚えた左手の甲をみると、むくれた顔をしたディオーネが体育座りをしていた。
「どうしたんだよ?」
「――。冷気だったら私でも抑えられるのに!」
ディオーネは水の精霊だから、氷や冷気も意のままに操れる。
後は、火の精霊サラとは相対する属性だからかちょっぴり対抗意識があるのだ。
「……ああ」
アレックスは少し申し訳ないといったトーンで呟く。
「仕方ないでやんすよ。こういうのはあっしの分野でやんすから」
「私だって冷気対策は出来ます!」
「コラコラ」
アレックスが流石に止めに入る。
二人はむ~と睨みあう。
傍から見たら、まるで子供の喧嘩を止める父親だ。
因みにサラとディオーネは人間に換算すると十七歳。実際の年齢は何百年にもなるが。
そうなるとどちらかと言うと、親子よりは先生と生徒みたいだ。
三人はそんなやり取りを見てクスッと笑う。
「ふう。もう二人共戻れ」
まだむくれているディオーネと呆れ顔のサラを強制的に戻す。
赤と青の光が同時に消える。
「ふう~う。んじゃ改めて行こうぜ」
ちょっと疲れたアレックスに促され、三人は口元だけ笑みを浮かべて頷く。
フィリアが吹きすさぶ冷気と格闘しながら地図を広げる。
今のところまだ二キロほどしか進んでいない。
今はまだ冷気は弱いから耐えられるが、ここから先確実にブリザードが吹きすさぶ未来が見えている。
四人は急ぐ気持ちを抑えて、ザクザクとゆっくりかつ確実に歩む。
歩いて三十分、漸く八キロ程進むことが出来た。
ここからは霜柱が広く占めていき、こげ茶色の大地が水色に染め上げていっている。
冷気も少しずつ強くなっていっている。
「まあ、まだサラの力が勝っている」
とまだ強気なアレックス。
「それにしても、似たような景色ばかりだね。森や雪山じゃないのに迷いそうだね」
「それは否めねえな」
「兎に角まっすぐ行きましょう。下手に曲がったら本当に迷いそうです」
先頭を歩いているレナが、いまだ見えない遙か前方を指さす。
前方の方は一メートル先があまり分からない。まるで蜃気楼の様だ。
段々サクサクと霜柱を踏む音が大きくなってくる。
ヒュオオ……。
――――。
「ん?」
突然最後を歩いていたフィリアの歩みが止まる。
「どうした、フィリア?」
フィリアの一歩前を歩いているアレックスが、歩みを止めた音に気づいて彼に呼びかける。
「……今、吹雪に交ざって声がしたような……」
フィリアが耳を澄まして確かめる。
アレックスも耳を澄まして聞こうとする。だけど、聴こえるのは悲鳴の様な吹雪だけだ。
「う~ん。聴こえないなあ。おーい、レナ、ルピア! 今声が聴こえなかったか?」
アレックスは、少し前を歩いていた二人に訊いてみる。
「え? 何て?」
強くなってきた吹雪の所為であまり聞き取れなかったルピアが、もう一度訊き返す。
「だから! 妙な声が聴こえなかったかって言ってるんだよ!」
アレックスがワントーン高く言い返す。
「う~ん、あたしは何も!」
「私もです!」
二人もアレックスと同じくらいの大きさで答える。
「だってよ、フィリア」
「……そうか(いや、確かに吹雪に混ざって笑い声らしきものが。あれは……)」
フィリアが辺りをキョロキョロしていると、追及を止めて再び歩を進めたアレックスが、
「おーい、フィリアーー! 早く行こうぜー!」
と大声でフィリアを呼ぶ。
「あ、ああ(これ以上追及は一旦控えよう。遭難したら元も子もない)」
フィリアは両頬をペチペチ叩いて、三人に追い付こうと走った。
この吹雪が、後に悪魔からの微笑みの息吹になることになろうとは、思いもよらなかった。
三
「ふう……ここで一旦休憩しよ」
一番最初に入ったルピアが、どさりと自分の荷物とロングボウを暖炉前に下ろす。
ここは廃墟となったコテージ。
丁度ロンベル王国とビハール港との中間にぽつんと建っている。
外観はログハウスだ。
内部は埃がそこかしこに随分たまっているが、使われているのが煉瓦の為か、幸い壁や天井には穴は空いていない。
暖炉の脇には薪が少し残っており、荷物の中にもガルディの森で拾ってきたストックが多少ある。
だから薪の不足は心配しなくても大丈夫だ。
「よし、これで良いな。んじゃあサラ」
「はいでやんす」
次に入って来たアレックスは薪を並べて、サラに頼んで火を点けてもらう。
サラが先程とは違い朱色の息を吹くと、コテージ内が淡い橙色に染まる。
その次に入ったフィリアは、暖炉の傍へ近付いてマントに付いた雪をパンパンと払う。
払われた雪が暖炉の火によってじゅう、と蒸発してゆく。
「ここまで猛吹雪になるとはな……」
フィリアがフードを外しながら、暖炉の左隣の窓を見つめる。
外は今ブリザードが吹き荒れ、視界なぞほぼゼロに等しい。
「いきなりあんなに吹き荒れるなんてね」
ルピアも怪訝な顔で窓を見つめる。
今の雪はまるで横殴りの増水した川の様だ。
「ふう。……ん?」
ひと段落したアレックスが、何かに気付く。
「おい、レナは?」
「え?」
ルピアが慌ててトイレの方も見てみる。
「トイレにはいない」
「ま、まさか……」
フィリアが今度は焦燥の色を表して再び窓を見る。
外は変わらず銀世界ならぬ青鈍色の世界が広がっている。
「あの子、途中ではぐれたの?!」
「マジかよ!!」
アレックスが叫びながら血相変えて外へ出ようとする。
「おいアレックス、何処へ行く!?」
フィリアが慌ててアレックスの左腕を掴む。
「探さなかったらレナが死んじまう」
「待ってよアレックス」
「止めるのか? レナはどうするんだよ」
アレックスがもがいて振りほどこうとする。
「単独で探すことは危険だ。私達も探す」
「そうだよ。何もあたし達はここで待ってるって言ってないよ」
「――。そ、そうか」
二人にそう言われて少し落ち着きを取り戻すアレックス。
「とは言え、バラバラで探すと私達も遭難する。皆で固まってコテージを見失わない様にレナを探そう」
「おう」
アレックスは頷く。
三人はコテージを出て、雪の息吹が360度吹きすさぶ中を、必死に探していく。
「レナー!」
「レナ、何処なのーー!」
「おーーいレナーー!!」
三人は大切な剣士の
だが、三人の大声も雪が生み出す騒音の前では、か細い囁き声に等しい。
叫んでも叫んでもレナの声は一向に返って来ない。
むしろ雪からの叫び声が増していくだけだ。
「くそ!」
アレックスは自身の拳を血が出る位強く握りしめる。
(俺はまた大切な人を失うのか? ……嫌だ。もうこれ以上犠牲を出したくねぇ!)
アレックスの全身に焦燥が走る。
その時、アレックスの胸から五色の光が出て来た。
「大丈夫でやんすか?」
「アレックスさん。私達がレナさんの気を探します」
「そうなのね。オラ達なら離れて行動する事も出来るのね」
「精霊は契約した精霊使いの気さえ感じ取れていたら、何処にいても戻れます」
「そうじゃ。ここはわしらに任せて下され!」
サラ、ディオーネ、そして他の三人の精霊も彼の焦燥に触れて、いてもたってもいられず現れたのだ。
サラとディオーネは出て来たが、他の三人はこのお話では初めてになる。
では、他の三人の精霊をざっと紹介しよう。
一見農夫のような服装に黄土色の髪と眼、そして「なのね」が口癖ののんびり屋さんな土の精霊ノーラ。
青緑色のウェーブ状のセミロングヘアに水色の瞳、そして薄緑色のバレリーナの衣装を纏った、一見可愛らしい妖精の見た目の風の精霊シルファ。
そして仙人のような丸坊主の頭、紫色の立派なひげを蓄えた雷の精霊ポルカだ。
では紹介終了。
「お前ら……。分かった。そんじゃあサラ以外の四人は手分けして探してくれ。サラはこいつらの言葉を俺に伝えて欲しいから、俺の傍にいてくれ」
「『了解』なのね」
「がってん承知でやんす!」
サラを除いた四人は、気合十分に光となって一斉に散っていく。
「よし。俺らも探すのを再開しようぜ」
「そうだね」
「ああ」
先程よりは焦燥が和らいだ三人は、レナ探しを再開する。
四
「ふう、ふう……。もうどれくらい歩いたのかしら」
サクサクとゆっくりかつ確実に踏んでいく。
だけど違和感を感じていた。
(なんだか妙に静か。吹雪しか聴こえないなんて……)
レナが周りを見渡すと、つい今まで一緒にいただろう三人の姿が無かった。
「あら? ルピアさん、アレックスさん、フィリアさん? ま、まさか……私はぐれたの!?」
レナの顔に不安がよぎる。
それはそうだろう。てっきりずっと一緒に歩いていたと思っていた三人が急にいないと分かったのだから。
だが、レナの脳裏にはもっと恐ろしい事が浮かんできた。
仲間とはぐれたのは勿論だが、今はまだサラの力が働いている為何とかなっているが、効力を失ったらと考えると……。
「と、兎に角戻らないと」
なんとか不安を抑えて冷静を保ちつつ、歩いた道を戻って行こうとする。
三人がいるかもしれないからだ。
サク、サク、サクと三人と一緒にいた時よりも深くなってきた雪の道を引き返していく。
だが、歩き疲れが滲み出て来ているのか、先程より足取りがゆっくりになっている。確実に。
ハア、ハアと白い息がレナの周りを纏う。
それがレナの足取りから軽やかさを奪っている。
「体が……重い……」
足から来る疲労が平地や湿原、森を歩いている時とは比べ物にならない。
そうなると鎧の重さを改めて知る事になる。
いくら剣士とはいえ、十六の少女の身には辛くて当然だ。
レナは決して小柄では無いが、そこまで長身でもない。
遂に恐れていたことが現実になった。
「うぅ……寒くなって来た……」
サラの力の効果が弱まって来たのか、徐々に体中に冷気が侵入してくる。
足取りも徐々に遅くなっていき、一歩一歩踏み出すだけで精いっぱいになってくる。
それでもレナは頑張って歩き続ける。三人の大切な仲間と再会するために……。
だが、吹雪は容赦なくレナから温もりを失ってゆくばかり。
そして遂にレナの歩みが止まる。
「こんな……こんなところで……」
レナはとうとう膝をつき、俯せになって倒れた。
顔と腹に雪の冷たさが嫌程伝わってくる。
「ルピアさん……アレックスさん……フィリアさん……」
消え入る声で大切な仲間の名を呼ぶ。
そして、
「お父さん……お母さん……」
今は天国にいる両親も。
レナの両親は城仕えの人だった。
父ビリー・キルグスは騎士団長、母メリル・キルグスはその城の王族に仕えた侍女の一人だ。
レナに兄弟はいない。つまり一人娘だ。
その城にはレナと同じく一人娘の王女がいた。
王女エリーとレナは年が近かったのもあり、よく剣の相手をしたり、相談相手になったりしていた。
周りからはまるで親友のような間柄に見えた。
王も王妃も、キルグス一家には絶大な信頼があったため、レナはいずれエリー王女直属の守護剣士になるのでは、と誰もが思っていた。
それは両親は勿論、レナ本人も思っていたし、エリー王女もそうであって欲しいと思っていた。
ところが今から三年前のある日、レナの日常が音を立てて崩れた。
当時のレナは十三歳、エリー王女は十五歳だった。
城が他国の襲撃にあったのだ。
燃え盛る戦火の中、ビリー率いる騎士団は必死に戦い、メリルとレナを含んだ女達は、王族の者を魔の手から逃がすことに奮闘していた。
城内は血と怒号が織り成す戦慄の宴が催された。
他国と自国の血は次第に広がっていき、自国の戦力は徐々に失ってゆく。
その中で辛うじて脱出したレナ達は、無我夢中で走っていた。
レナは父の事も気になっていたが、母から「自分のやるべきことをまっとうしなさい」と諭され、必死にエリー王女達を守っていた。
だが敵もたとえ女子供とは言え容赦しなかった。
追って来た魔導師達は炎を繰り出し、彼女たちの行く手を阻む。
そうなると、女達はなすすべもなく散り散りになっていく。
戦いの心得を持っていた女も数人はいたが、守るのに精いっぱいで、敵の追跡を断ち切るまでの力まで余裕が無かった。
レナは前述の通りまだ十三歳で、実戦経験はまだまだ浅かった。
レナは我を忘れて無我夢中に走った。何処までも何処までも。
何処まで走っただろうか?
気が付いた時には何十人いた女達は、自分を含めたった四人しかいなかった。
そこには母やエリー王女の姿は無かった。
王も王妃さえも。
あの炎に巻き込まれたか、追っての魔の手に捕まったのか……。それは分からない。
我に返った時、レナは膝から崩れ号泣した。
大切な人を守れなかった悔しさ、失った悲しみ、逃げるしか出来なかった自分の未熟さ、それらがまぜこぜになってレナの内から溢れ出てきた。
その後、城は陥落し、父を始め騎士団の皆は命を落としたと後で分かった。
それからレナは旅に出た。
彼女に唯一残ったのが、今持っているブロードソードだ。
これはレナが十歳の時、誕生日祝いに父から貰った大切な物として
レナは凍えてしまっている右手で頑張ってその剣の柄を握ろうとする。
(お父さん……)
こんなに早くに両親や王女の元へ行くのか、と半ば諦めの気持ちで目蓋を閉じかけたその時。
ザク、ザクとレナの頭の方から誰かがこちらへ近づいてくるのが聴こえた。
(誰……?)
だが、レナは首を上げる前に気を失ってしまった。
気を失う寸前に、ショートブーツが見えた。
五
「くそ。まだ見つからねえ」
「もう、一時間か」
「こうなったら」
「アレックス」
アレックスは拳を作って苛立ち、ルピアは胸に下げている懐中時計を見る。
アレックス達は一旦コテージへと戻っていた。
少なくともコテージが見える範囲にはいなく、これ以上捜索したら逆に遭難しかねないと三人で判断してだ。
探したい、だが吹雪では長時間長距離を離れるのは自殺行為だ。
それが分かっているからこそ余計にもどかしい。
しびれを切らしたアレックスがもう一度辺りを探そうとした時、
「アレックスさん!」
「ん? サラか。どうしたんだよ」
サラが視界に入ったアレックスの目が少し落ち着きを取り戻す。
「シルファからでやんす。レナさんらしい人を見つけたみたいでやんす」
「何?! 本当か!」
アレックスが更に詰め寄る。
「は、はい。どうやら男の人に背負われているみたいで、今こっちへ誘導しているそうでやんすよ」
「そうか。よし、こっちへ誘導するようシルファに伝えてくれ。後、皆もシルファの元へ合流するようにもな」
「了解でやんす」
サラは嬉しそうに頷き、赤い光を帯びて、青鈍色の世界にいる精霊達とコンタクトを取る。
「良かった……」
「ああ。だが、男とは一体……」
ルピアはホッと胸を撫で下ろす。
「そうだね。気にはなるけど」
「だけど、今はレナが先だ」
「そうだね」
十分後、コテージの扉が外から開いた。
入って来たのは、大分冷えて顔が青白くなってぐったりとしているレナと、そのレナを背負っている雪だらけの男だった。
男が顔を上げると、皆――特にルピアが目を見開いて驚いた。
「ルーク!」
「よぉ……」
少し弱々しい声で入って来た。
それは吹雪で体力を多少奪われただけではないのは、一昨日の出来事で所為だ。
ルークは四人の後を追って先回りしようとしたのだが、猛烈なブリザードの所為で断念して、一旦途中で見かけたコテージまで戻ろうとした時、偶然倒れていたレナをみつけたのだ。
「と、兎に角二人共暖炉へ」
フィリアが二人を暖炉へ連れていく。
「お、ご苦労だったな、お前ら」
ルークの後を付いていた精霊達は、やり切った顔でアレックスの元へ戻っていった。サラも。
ルピアは扉を閉め、ルークをやりきれない思いで見つめていた。
今のルピアの目つきは、ガルディの森の時の獲物を狙う猛禽類の目ではなく、飼い主と初対面した雛鳥の様だ。
フィリアはルークからレナをもらい、ゆっくりと横にする。
ルークは近くにあった揺り椅子に腰かける。
早速フィリアは二人の介抱に取り掛かる。
ルークの方は少し体が冷えた程度なので、暖炉で暖まったらすぐに回復するだろう。
レナは――幸い息はあるものの大分体温が下がっており、両手と左頬に凍傷を起こしている。
「意識障害……か」
フィリアはそう呟き、自分の荷物を開けて、手の平サイズの小瓶を取り出した。
中には赤い液体が瓶の三分の二程入っている。
「フィリア。それは?」
アレックスが訊くと、フィリアが蓋を開けながら答える。
「ホットハーブを水で浸したものだ。昨日の港町で作った」
それだけ言うと、レナを口をこじ開けてハーブ水を飲ませる。
ホットハーブは体を瞬時に温める事が出来る、暖かい気候の土地に自生している薬草だ。
色はまるで彼岸花の様に赤い。形もまるで炎の様だ。
ガルディの森で見かけたのを、行く所を考慮して摘んだのだ。
レナがそれを飲むと、あんなに青かった顔色がみるみるうちに肌色に戻ってゆく。
「うう……ん……」
レナの目蓋がゆっくりと開いてゆく。
「気が付いたか?」
フィリアがレナを覗き込む。
「フィリア……さん、皆……」
レナは大切な仲間と再会できた嬉しさで、目に涙を浮かべながら起き上がろうとする。
だが、まだ完全に回復していないので体がグラっと揺れる。
「レナ、今はまだ横になれ」
フィリアが優しく肩に触れて促す。
「あ……はい」
レナは頷き、再び横になる。
先程の雪よりも幾分も温かい床に。
ホットハーブ水のお陰で、冷えからは解放された。
ただ、このホットハーブ水はリスクもある。
これは水温によっては効力が半減したり、最悪水分を失って脱水症状になって死に至ることもある。
故に素人が作れる代物ではないのだ。
元薬師のフィリアだからこそ出来る事だ。
「有難うございました、皆さん。ルークさんも」
「お、おう」
レナが首だけ挙げて礼を言う。
ルークは照れ臭そうに少しどもって視線を逸らす。
「ルーク……」
さっきまで扉の前で立ち尽くしていたルピアが、いつの間にか彼の元へやって来ていた。
「ルピア……」
ルークもルピアと同じ様な目になりながら、揺り椅子から立ち上がって彼女を見る。
端から見たら感動の再会に見えるワンシーンだが、二人の場合はあまりそうとは言えない。
何せガルディの森で気まずい別れ方をしているだけあるからだ。
だが、今回のは森よりあまりピリピリした雰囲気は無い。
何となく退職した同僚同士が再開した――そんな感じだ。
ルピアが漸く重く閉ざしていた口を開いた。
「ルーク。ガルディの森の件は悪かったね。あの後皆――特にレナにこっぴどく叱られたよ。何も言わなかったことをさ。あの時は何で今更、って思ったけどちょっとしてから気持ちが変わったよ」
ルピアがまだ固い笑顔でアハハと笑う。
レナがその事を思い出して、耳まで赤くなる。
今度はルークが口を開いた。
「……謝るのは俺の方だ。俺の方こそ何も言わずに君の元からいなくなってしまって……。当然だよな。今更だって思うよな。けどあの時これ以上見過ごすなんて出来ないって思って、体が勝手に」
「そっか。まあ今はちょっと感謝しているよ。あの時への終止符を打つ機会が出来たってね」
「……」
ルークは今にも泣きそうな顔で黙り込む。
「どうしたんだい?」
「本当にゴメン! 君にすぐに会えなかったのには――俺はあいつに打開するものを探していたんだ。そしたら城跡のすぐ後ろの崖から足を滑らせて落ちてしまったんだ」
『!!』
それは初耳だった。
傍観していたレナ、アレックス、フィリアも驚く。
ルークがブーツを脱いで右足を見せた。
そこには、踝の親指側の方に十センチ程の長さの縫合跡がある。
ルピアは驚きを隠せなかった。
この傷はあれと戦う前には無かったものだったからだ。
「これがあの時崖から落ちた時の傷さ。あの時は年貢の納め時かと思った。けど、悪運が強かったのかねえ俺も。偶々あの城跡の近くの遺跡を調べていた学者が俺を見つけてくれて、俺は一命を取り留めたよ」
ルークはブーツをはき直し、あの時を思い出すかのように目を宙に向けている。
「それからその学者と一緒にここを後にしてから、俺は足のリハビリに勤しんだんだ。二か月かけてな。足が治ってからルピアに話そうと思ったんだけど、もうその時には何処にいるかは分からず仕舞いで結局言えなかったんだ」
「そうでしたか」
「気づかなかったぜ。いや、それ程随分リハビリに勤しんでいたんだな」
「まあな」
レナとアレックスはほう、と感心する。
ふとルピアを見ると、彼女のワインレッドの瞳からはボロボロと涙が零れていた。
『!!』
四人は一斉に驚いた。
レナは体の事を忘れて起き上がり、ルピアの元へ駆け寄る。
「……あたし、ずっと誤解してた。……あんたの事。知らないであんな事……言ってしまったんだね」
ルピアは、拭おうとせずひたすら出て来るままに流し続けた。今までの膿を落とす様に。
レナ達はそんなルピアを黙って見守る。
三分後、ルピアは漸く涙を拭い、ルークを今度は気丈な眼差しで見る。
「ルーク、酷い事をしたのはあたしの方だ。何も知ろうとしないで真実から目を背けていた。あんたにはどんなに詫びても詫びきれない」
そう言うと、バッと勢いよく頭を下げる。
「良いよ。俺も誤解を抱くことをしてしまったんだから」
ルークは頭を下げたままのルピアに手を差し出すと、ルピアは無言かつ笑みを浮かべてその手を握った。
三人はその様子を温かい心で見つめていた。
極寒の世界が、少しだけ雪解けしたかのようだ。
六
「ルーク。改めて訊きたいことがあるのだが、良いか?」
「おう」
漸くフィリアがルークに尋ねる。
そっとルピアの手を離して、フィリアを見る。
「その学者から何か訊いただろう? もしも何か訊いたのなら教えて欲しいのだが」
レナとアレックスも頷く。
「分かった。ここを去る時の船の中で話してくれたんだ。まずはあの魔物の事だ。奴は強力な呪術で護られていて、普通じゃあ傷一つ与えられないらしい」
「そうか。だからあの時はダメージを与えられなかったんだね」
ルピアが納得する。
「そんで、決定打は?」
アレックスが結論を促す。
「その学者が持っていた文献をによると、その学者が俺を助ける前に訪れていた例の遺跡に、唯一その呪術を破る事が出来るものが安置されているとか」
「何だって!? 本当かい?」
ルピアが驚く。
「ああ。学者はその遺跡に入ろうとしたんだけど、氷に阻まれて入るのは断念したとか」
「そっか」
「だから彼も実物は見てないんだ。名前は知っていたけど」
「う~ん。ルーク、その文献ってやっぱ無いか?」
アレックスがダメもとで訊く。
「悪い。流石に原本は……」
「そうか。ま、そうだよな」
残念がるアレックスに、
「大丈夫。こんなこともあろうかとある程度はメモったんだ」
ルークはA4サイズのわら半紙を出した。
「お、ナイス!」
アレックスが拍手する。
「えっとな……」
紙の内容はこうだ。
それは魔界の氷の世界に住まう魔物。名はグラキエース。
ドクロの姿を持ち、その息吹は力が満ちれば国一つ凍らせる力を持つ。
その力、魔界にも広く轟いており、特に炎にまつわる魔物からは恐れられている。
「実はグラキエースがロンベル王国を襲ったのは、あれが最初じゃないんだよ」
グラキエースは今から二百年前、ロンベル王国の大臣が国王を屠らんとこれを召喚した。
結果、王は大臣の野望通りグラキエースの手によって死してしまった。だが、大臣にはあまりにも大きな代償が待ち受けていた。
グラキエースの手により大臣は氷像となり、国も氷の国へと変わってしまった。
王国の人々の命は大半が失われ、グラキエースの魔の手から難を逃れた王子が、ここを訪れたある五人の冒険者に助けを求めた。
「五人? なんだか俺らと似てるな」
「そうだね」
依頼され、引き受けた当時の冒険者一行も、最初は苦戦を強いられた。
幾ら攻撃を加えても傷一つ受けていない。
挙句には盗賊の女が凍り付いた。
剣士、ガンナーと凍り付き、残りの仲間も王子も万事休すと思われたその時だった。
賢者の男が仲間の傷を癒す目的で一つの楽器を奏でた。
すると、グラキエースは突如もがき苦しみ、吹雪が弱まった。
それからは形勢逆転し、精霊使いと賢者が一斉に畳みかけた。仲間の仇と言わんばかりに。
そして遂にグラキエースを氷の世界へ戻す事に成功した。
そこから国を覆っていた氷や雪はみるみる融けてゆき、仲間を縛っていた氷も融けていった。
その後、グラキエースを呼んだ大臣は極刑となった。当然だろう。亡国になる寸前まで国中の人々を脅かしたのだから。
王国はその後、王子が後を継ぎ、王国に平和の炎を取り戻した。
冒険者達はその後この国を去り、賢者の男が持っていた楽器は炎の様な真紅に染まっていたので、【紅蓮のフルート】と呼ばれ、王国の西にあるアーサラ遺跡にて大切に祀られた。
「というわけだ」
わら半紙をしまい、ルークが締めくくった。
「ふ~ん、成程ね」
アレックスが納得と言った形で頷く。
「まさか二百年前にも呼ばれたとはな。そして今から五十年前、再び悲劇が舞い戻ったのか」
フィリアが言う。
「そうでしたか。今度は遺跡の入り口が氷で閉ざされたとなったら、【紅蓮のフルート】は手に入れられない。だから今回は封印するしか出来なかったのですね」
「ああ」
「そうでしたか。もしかしてフルートは先に凍らされたのかもしれませんね」
「かもな」
「それじゃあ、一旦王国へ行く前にそのアーサラ遺跡とやら行ってみた方が良いね」
ルピアが左手を右手の平へポン、と叩く。
「そうだな。あ、レナ。身体はもう大丈夫か?」
アレックスがレナに訊く。
「はい。大分回復しました。もう歩けます!」
レナの顔はコテージに入った時の青白さはどこへやら、今は年相応の女の子の肌色になった。
「良かった。んじゃあ改めて出発するとするか」
「あ、ちょっと待ってくれ」
ルークが引き留める。
「ん?」
「俺も連れて行ってくれないか。せめてもの罪滅ぼしとして。俺もルピアみたいにあの時の因果を断ち切りたいんだ。頼む」
「……分かったよ」
ルピアが頷き、三人も賛成と頷いてくれた。
「有難う」
こうして五人はコテージを後にした。
コテージの中の暖炉の火は消えかけているが、パチパチと健気に燃えていた。
まるで今の五人の絆を表している様だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます