桜の感情
「おかしいなぁ……今日も返事がこない。誰かに持っていかれちゃったのかな……」
ノートが見当たらない。
私が最後に返事を書いた日の翌朝、ノートはいつも通りなくなっていた。しかしいつもなら夕方には花壇の木の隙間に挟まっているはずのそれが、次の日の夕方になっても見当たらず、今日はさらに丸一日が経っている。
つまり今は、あの日から三日目の夕方であるのだが、ノートはなくなったまま戻ってきていないのだ。
どうしてなのだろう。考えられる可能性は二つ。誰かに持っていかれてしまったのか、もしくはただ単に先輩が返事をしてこないだけなのか。
もし後者である場合、その理由はなんなのだろう。突然の桃太郎話しにおかしな奴だとひかれてしまったのだろうか。それとも律儀に考えてくれているだけなのだろうか。考えた分だけわからなくなる。しかしそれもまた、私の好奇心を刺激してくるというものだ。
そして翌日、ついに先輩から返事がきた。三日ぶりのそれは、先輩の過去を語っているような気がした。
ーー僕は君が大嫌いだ。そもそも誰かがあんな話を思い付くのがいけないんだ。桜もそうだ。この世に桜なんて存在しなければよかったんだ。
「あーあ、嫌われちゃった……」
話を変えた結果がこれだ。どうやら私は、思わぬところで先輩の地雷を的確に踏み抜いてしまったらしい。
「花咲か爺さんならまだしも、まさか桃太郎だとは思わないって……」
でもいっそのこと、とことん嫌われてみようかな。先輩にとって嫌な話題だったから私を避けようとしたけれど、これだけは言いたかったということだ。普段は口に出すことができない本音を、ここでならぶつけられるというのであれば、私は好んで嫌われましょう。
ーーそんなこと言ったら、作者さんも桜も泣いちゃいますよ。
その次の日、返事がくるか心配だったが、夕方になるとノートは戻ってきていた。
ーー桜に感情なんてない。僕のほうが被害者だ。
ーーそうでしょうか。先輩の描いた桜の木はどれも、私には笑っているように見えます。
ーー馬鹿にするならすればいいさ。
「先輩、ひねくれすぎだよ……」
ーーそんなこと思ってもいないですよ。私には本当にそう見えるんです。先輩も実は、桜が好きなんですね。
ーー何回も言わせるな。僕は桜が嫌いだ。君のことも嫌いだ。
ーーそんなこと言わないでください。私も桜も泣いちゃいますからね。
ーー勝手にすればいいさ。
ーー『うわーん、うわーん』 って、桜の泣いてる声がします。涙も降ってきました。
ーー君は病院で検査してもらったほうが良いと思う。桜が泣くわけがない。
「なっ! 私が頭のおかしい人ってこと!? ひどいなぁ」
ーー先輩はひどいことを言いますね。桜も泣くんですよ。逆に笑いかけてあげたら返してくれるんです。
ーーひどいのは桜のほうだ。
ーーどうしてですか。桜が先輩に何か嫌なことをしましたか?
ーーただそこにあるだけで僕を嫌な気持ちにさせる。そんなものと一生離れることができない僕の気持ちが君にわかるか。
ーー私にはわかりません。昔はそんな時期もありましたけど、今は離れたいなんて思わないです。
ーー君は僕とは正反対だ。
「確かに、私はそんなにひねくれてないよー、っだ」
ーー先輩はそうやって言葉では突き放しても、自分から離れようとはしないんですね。
ーーどういう意味だ。
ーーそのままの意味ですよ。嫌いと言いながらも返事をくれるし、桜だって何枚も描いているじゃないですか。
ーー僕は僕のノートに文字を書いているだけだ。絵はそれがテーマだったんだからしょうがないだろ。
「すごい言い訳……!」
顔がわからないのに、ムキになっている先輩の姿がなぜだか想像できてしまって、自然とニヤける頬を押さえた。
ーーじゃあ、そういうことにしておきます。そのかわり、先輩の描く桜の絵がもっと見たいです。
ーー僕は君の偉そうにするところが嫌いだ。君に見せるための絵は描かない。それに僕は暇じゃないんだ。
「先輩のほうがよっぽど偉そうなくせに……!」
ムッとした感情と、なんだか弾むような気持ちが私の中で混じる。自分が変なのかと疑ってしまうのは、絶対に先輩のせいだ。
ーー私だって暇じゃないんです! お店の手伝いと入学準備で忙しいんですから。
ーー君は新一年生なのか? どこの学校に通う?
「やっと私に興味を持ってくれましたね、先輩」
ーー先輩こそ、どこの学校に通っているんですか?
ーーどこでも良いじゃないか。
ーーなら私の通う学校だって、どこでも良いですよね。
ーー君を迎える学校は気の毒だな。君みたいな新入生のために式の準備をするんだから。
「どうしてそういうことを言うかなぁ……流石の私も傷付くんだから」
ーー先輩は意地悪ですね。それにひねくれ者です。素直な先輩を返してください!
ーー君は理解不能だ。変なことばかり言う。返すもなにも君にあげた覚えはないし、僕は素直なんかじゃない。
ーー嘘つきな先輩は嫌いです。
ーー君の無神経なところが大嫌いだ。
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