第77話「風呂場」

 ――まったく、何なんだよ。


 シャンプーをしながら、先程の楓花のことを思い出す。

 何が不満で、俺を野菜の刑に処してきたのかはよく分からないだけに、あれが何だったのか純粋に気になってしまう。


 思えば、もう楓花も高校生になったのだ。

 つまりもしかしたら、これが俗に言う反抗期ってやつなのかもしれないなぁ。


 しかし、そういうのは普通は親に向けられるものだと思うけれど、どうやら楓花の場合、親ではなく兄へ向けられてしまっているようだ。

 まぁ、それが何故なのか見当も付かない俺は、とりあえず早く機嫌を直してくれれば何でも良いけどと思いつつ頭の上の泡を流す。


 するとその時、浴室のすりガラスの向こうが少し動いたような気がする。


 ――え!? 今、動いたよなっ!?


 そう思い目を向けるも、そこには何もいないようだった。

 シャンプーをしていて物音には気付かなかったが、こういうのは一度気になってしまうともうダメだった。

 別にホラーとか苦手ではないが、創作物と実際のものとでは全然わけが違う。


 そんなことを考えていると、またすりガラスの向こうが少しだけ動いた。


 ――絶対何かいるぅううう!!


 え、なにこれ怖い! 怖すぎる!!

 もう楓花のことなんてどうでも良くなった俺は、その得体の知れない物陰と向き合うしかなかった――。


 出入口はそのすりガラスのみ。

 つまり、俺はその扉を開けないとここから出ることは出来ない――。


 ――つ、詰んでないか、これ?


 不味いことになったと、胸のドキドキが加速していく。

 ただまぁ、もしかしたら母さんがバスタオルを棚に入れてるだけとか、思い違いの可能性は色々考えられる。

 というか、十中八九これは思い違いだ。オバケなんてないさ、オバケなんて嘘さ!

 だから俺は、恐る恐る声をかける――。


「だ、誰かいるの……?」


 するとその声に反応するように、すりガラスの向こうでまたピクリと物陰が動く。

 しかし、何も返事はない。

 だがもう、それだけで十分だった。そのことが確認できた俺は、覚悟を決める――。


「誰!?」


 そう声を発しながら、勢いよくすりガラスを開いた。

 するとそこには、何故かしゃがんでいる楓花の姿があった。


 ――なんだよ……楓花かよ……。


 正体が分かった俺は、一気に気が抜ける。

 そして楓花はというと、その顔が見る見るうちに赤く染まっていく――。


「お前なぁ――」

「うぎゃあ!」


 こんなところで何してるんだと問おうとした瞬間、突然奇声をあげる楓花。

 何だよと思ったが、俺もその理由に気が付いて慌てて背中を向ける。


 そう、現在風呂に入っている俺は、完全に生まれたままの姿だったのである。


 この歳になって、妹の前で全てを晒してしまったことに対して、後悔と申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいになる……。


 しかし、元はと言えばこんなところに楓花がいることがおかしいのだ。

 俺が風呂に入っていることは当然知っているわけだから、こんなところでしゃがんで何をしてたんだって話だ。


「――で? お前は何をしてたんだよ」

「べ、別にぃ? 関係ないじゃん」


 いや、俺を謎の恐怖体験に陥れたのだ、関係しかないだろう。

 そう思い再び楓花の方をチラ見すると、楓花の顔はやっぱり真っ赤だった。

 そしてどこかバツが悪そうな感じもする。


「ま、まさかお前、俺の風呂を覗こうとしてたんじゃ……」

「そ、そんなわけないでしょっ! 歯を磨いてたのよっ!」


 まさかと思い声をかけると、楓花は咄嗟に手にした歯ブラシを見せてきた。

 歯ブラシには泡が付いており、たしかに歯を磨いていたことが窺えた。


「――なんだよ、歯磨きかよ」

「そう! だから早く戻ってよね!」


 そう言って楓花が怒るため、俺も全裸だったことを思い出し慌てて扉を閉める。

 というわけで、謎の幽霊騒ぎも蓋を開けてみればなんてことはない。

 ただ楓花が、歯を磨いているだけだったのである。


 たしかに歯を磨いていればそんなに動くこともないし、すりガラス越しでは音も伝わりづらい。

 だからこそ、たまに動く楓花の影が怪しく思えてしまったわけだと、点と点が線に繋がる。


 ――まったく、人騒がせというか何というか……。


 呆れながら俺は、浴槽に入り冷えた身体を温める。

 その頃にはもう楓花も歯磨き終えたようで、浴室に人の気配はなくなっていた。


 温かいお湯に浸かりながら、何だか今日は楓花に振り回されっぱなしだなぁと一日を思い返す。


 まぁ、それは別に今日始まった話でもないし、何ならあいつは基本的にいつも訳が分からないから、ある意味平常運転なことに気が付いた俺は、思わず笑ってしまう。


 本当に、外面と家とでは全然違うよなと我が妹の二面性に笑っていると、俺はあることに気が付く。


 それは、歯を磨いていたのは分かったが、何故楓花はあそこでしゃがんでいたのかについてだ。

 普通、歯を磨く時にその場でしゃがむ人なんているだろうか。

 その点について不思議に思いながら、俺は風呂からあがる。

 そして身体を拭いたバスタオルを洗濯カゴに入れたところで、俺は更にあることに気が付いてしまう――。


 それは、楓花がしゃがんでいた先には、この洗濯カゴがあったのだ――。

 そしてこのカゴには、俺の脱いだ服しか入っていない――。


 ――いやいやいや、これはいくらなんでもまさかな。


 いくら相手が楓花とは言っても、そんなことするわけがあるまいと思い、妹の名誉のため俺は変な考えを即座に打ち消す。

 きっと歯磨き粉の蓋でも落として拾っていただけだろう。


 まぁそんなわけで、こうして風呂場でも俺は、楓花に振り回されてしまうのであった。


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