葉っぱとお花と私たちの名前
おにいちゃんは、私のことを「ハナ」と呼ぶ。
「佐藤花子」が、私の氏名。
「佐藤」は、母が再婚してからの姓で、おにいちゃんともお揃い。
そして、「花子」というのは、死んだ実父がつけた。
実父は、「生まれてくる子どもの名前は、自分が絶対につける。」と言っていたらしい。
そして、私が母のお腹にいたときから、子どもの名前について、「男の子だったら『太郎』、女の子だったら『花子』な。」と言っていたという。
なぜ、生まれてくる子どもの名前の候補が「太郎」と「花子」だったのだろう?
伯父さん(母の兄)によれば、「太郎」と「花子」というのは、昭和初期から中期くらいの子どもの名前の定番だったとのこと。
それは、犬だったら「ポチ」、猫だったら「タマ」と同じくらい、それは、昔は、最も変哲のない平凡なありふれた名前だったという。
実父は、なんで、そんな大量生産商品に貼るラベルみたいな名前を、自分の子どもにつけたのだろうか? 世間では、特注品みたいなお洒落な名前を子どもにつけてくれる親だって少なくないというのに。
もう、実父は死んでいるので、なぜ「花子」なんて極めて平凡な名前を私につけたのか尋ねることはできないけど、たぶん「支配はしたがるが、決して愛することはしない」という、実父の嫌な性格の現れであるように思う。
実父はパワハラ気質な人で、私にも、母にも、職場の部下にも、大声で服従させようとするだけで、絶対に誰も大事にはしなかった。
たぶんだけど、実父は、私の名前をつけることで、象徴的に私という存在を支配することには拘ったけど、私という存在を愛するつもりはなかったので、名前自体は、「花子」でも、「A」でも、「B」でも、「C」でも、「1」でも、なんでもよかったのだと思う。
私は、以前は、この「花子」という自分の名前が、大嫌いだった。
大嫌いな実父のつけた名前であるというのもあるけど、「花子」というのは、ただただ古臭い。それに、「花子」は、小学生のトイレに出てくると言われている幽霊と同じ名前である。
母は、「『花子』は、『赤毛のアン』の有名な翻訳者さんと同じ名前だし、よい名前だと思うよ。」と言っていたけど、それなら、私は「白蓮」とか「燁子」といった名前の方がよかったです。
「花子」は、できることなら改名したいと思うくらい大嫌いな名前だったのに、ある日、魔法みたいに、私にとっての「花子」の名前の意味が変わってしまった。
きっかけは、母と再婚したおとうさん。
家族みんなで食事していたときのことだったのだけど、おとうさんが「『葉一』に『花子』って、葉っぱにお花で、まるで最初から兄妹だったみたいな名前だね。」と言ってくれたのだ。
うん。うん。やっぱりね。これは、運命だったんだよ。
「花子」という私の名前は、私にとって、今では、とても大切なものになった。
私は、おにいちゃんのためだけに咲き誇る、一輪の可憐な花になりたいのです。
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