第12話

 仕事はおおむね順調だった。日本人は勤勉で粘り強いとは聞いていたが、俺が講師として勤めるパソコン教室の生徒もまさに「典型的な日本人」だった。管理職の中年男性や、仕事帰りの若いOL、大学生まで多種多様な人間が黙々とこちらの指示する通りにエクセルやパワーポイントの作業をしている。就職や進学のために資格を取りたいというのが動機のひとつらしい。何も考えずにシステムエンジニアになった、いわゆる「ポッと出」の俺からすれば、志の高い彼らに思わず閉口しそうだった。

 講義後の彼らの豹変ぶりにもとにかく驚かされた。仲良くなった受講生同士数人で何度か食事に行っているようだった。俺も担当した管理職の中年男性・太田さんに誘われて飲み会に参加したことがあるが、受講中の大人しい態度からは想像できないくらい良く喋り、笑った。そして彼らは大量のビールジョッキを次々に飲み干していった。居酒屋じゅうの生ビールを呑み尽くすんじゃないかと思うくらい、絶え間なくジョッキは運ばれ、太田さんや若いサラリーマン・佐々木さんたちの体内へと吸い込まれていった。中年肥りの太田さんはともかく、こんな小さな体躯の佐々木さんのどこに莫大な量のビールが入り込むスペースがあるのか不思議だった。

  仮にも俺は二人の講師として、全額とまではいかなくとも少しはご馳走する義務があると思っている。それが社会人のマナーだ。そうは言っても、やはりこんなに飲まれると俺の懐具合は大きなダメージを受ける。日本に来て物要りだから余計に苦しい。空になったジョッキを見て俺は頭を抱えた。

 これだけ飲めばさすがに酔いが回るらしく、ひとしきり飲むと二人は必ず猥談を始めるのだった。俺は心ひそかに閉店まで追加注文せずにずっと喋っていろと祈った。

「こないだ行った荻窪の風の店の女がさぁ」

「風の店?」

 俺はきょとんとして太田さんに聞き返した。

「風俗店のことですよ」

 佐々木さんがこっそりと耳打ちする真似をして教えてくれたが、隠す気がなさそうな声の大きさだった。

「風の店と言ったら、お金を払った男性にプロの女性が性的なサービスしてくれるお店ですよ。先生はご存じないんですか?」

 またまたぁ。先生も男性ならご興味くらいあるはずだ。と、太田さんのがなり声は続けた。

「それで、そこの娘がさぁ、東北の出身のくせに肌が汚くてよぉ。ノリはいいし気さくなんだけどやんなっちまったよ」

 太田さんは枝豆の殻を指でいじりながら構わず続けた。

「いや~それは残念ですね。あの辺の店は当たり外れ激しいですもんね。ボクなんかこの前……」

 佐々木さんも相槌を打ちながら話を広げていく。かつて自分が利用した風俗店の感想や、大塚に熟女好きのための専門店がオープンしたこと。その店名が汁に婆と書いて「しるば」と読むらしい。コンピューターによる写真加工技術の発展のせいか、店頭の写真と実物の風俗嬢があまりにかけ離れている由々しき事態について、不満を盛大にこぼした。

「コンピューターはいろいろ便利だけど、こんなところに弊害がもたらされるとはなぁ。ビル・ゲイツに責任取ってもらいたいわ」

  太田さんは焼き鳥の串を持ったまま机に突っ伏した。いい年をした男二人はひとしきり風俗業界の最新情報を披露した。こんなに熱く、何かについて雄弁に語る二人を初めて見た。日本語で言う「お年頃」という奴だろうか。

「そういえば先生は彼女とかはいらっしゃらないんですか?」

 突然、「お年頃」な二人の話の矛先が俺に向けられて俺は飲みかけのビールを吹きそうになった。

「え、いや。その」

 頭にふとヨリコの顔が浮かんだ。

「この慌てようは誰かいますね。さてはロンドンに残してきたとか。金髪ですか? パツキン良いなー。俺も彼女ほしいなぁー」

 佐々木さんは目を思いきり閉じてくぅーと唸ったかと思うと、みるみる顔が赤くなっていった。そしてパツキン、パツキンと手を叩いてはしゃぎ出した。

 なんだその表情は。

 俺はもう良く分からない。まるでやりたい盛りの中学生だ。そうだ、彼らをこれから「お年頃ボーイズ」とこっそり呼ぼう。よし、決めた。佐々木さん、今日から君は名誉ある「お年頃ボーイズ」の弟だ。

「おお、良いねぇ。俺もパツキン美女に一度でいいからお相手願いたいよ」

 お年頃ボーイズの兄である太田さんも一緒に頭の上で手を叩いた。

 パツキン。

 パツキン。

 お年頃ボーイズによるパツキン音頭はしばらく店内に響いていた。店員に閉店時刻を告げられるまで俺は日本語が分からないふりをした。

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