豆腐
頭の上で裸電球が
「今日中に持つて來て戴かなければ次からは御斷りしますからね」
さう
* * * * * *
今や炊事場をLの字に圍んだ
靑年は今
蓋を外した大鍋に、豆腐が何丁か沈んでをり、幽かに緩やかに湯氣が立つてゐる。
豆腐か――男は何の感興も無く思つた。すると、炊事場の女が別の鍋の蓋を開けた。途端に白いものがさかんに噴出し、それが治まると蓋の蔭にやゝ飴色掛かつた
炊事場には半纏姿の男が一人と割烹着の女が三人居る。女のうち、一人は六十過ぎであらうか、姉さん被りの下から白いものが朧に見える、溫和さうな婆さんである。もう一人も四十を下らぬ年恰好。
火加減を見ていた割烹着が靑年の
上さんが氣を利かせて
「おや、
はつとした顏で女が慌てゝゐる閒に、上さんは
靑年が
「あゝ、あゝ…… どうか…… よろしく……」と何度も頷く。
「
「あゝ、さけは……
雇はれ女が振返ると上さんは
「さあ、どうぞ。ごゆつくりね」
優しく無精髭に頰笑み掛ける。男はほつとしたやうな表情を見せ、上さんに何度も頭を下げた。さうしてゐるうちに、豆腐も半丁許り皿に載つて遣つて來る。
男はやゝ震へるやうな箸遣ひで豆腐の角を崩して一かけらを口に運ぶと、箸の先を皿の緣に引掛けるやうに一旦置いて、手は膝の上に―― ゆつくり咀嚼を
「あゝ、これだ。これだ……」
兩手で膝を擦り乍ら、うん〳〵と頷いてゐる。
「それぢやあ、
娘は、戸口まで追ひかけて、表に顏を出し、
「ほら、
さて、上さんが居なくなつてから――、
何、年恰好からすれば、
新參の割烹着は、豆腐の鍋を覗込んで頷いた
「もし……? もし! 濟みませんがね。今召上つてゐる物――
隨分客をつけにした、
「さうだ、先にね、
背廣は大いに面食らつた顏をした。他の客達も、
「
丁寧に見せかけた言葉の端々が却つて厭味に響き渡る。
背廣は大慌てゞ、あちこちの
然し、不幸乍ら娘の
「一錢、二錢と云つてもね。御金は御金ですからね」
背廣は言葉に突掛り、突掛りし乍ら、
「それならば、お待ちしますがね。今日中ですよ。今日中に持つて來て戴かなければ次からは御斷りしますからね。其樣な方は、もう入らして戴かなくても結構ですから」
つけ〳〵と捲し立てる背中を、板前の冷たい目が刺してゐる。無論、
皆
身動き一つしない。
ぱち〳〵と目を
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