庭の柘榴 ― 御茶と烟草と茹玉子 ―

  御茶と烟草たばこ茹玉子ゆでたまご



 麻の胴衣チヨツキ衣兜かくしから袂時計たもとゞけいを取出して見た。

「もうしばらくどうか……」と云はれてから、十分が過ぎてゐる。

 はらの底がわく〳〵するやうに思ひながら、耳の奧でしいんと鳴る音を聞いてゐる。それより他に、自分にすべき事は無い。

 今にも、此椅子このいすから跳上とびあがつて、はしり出しさうになるのだが、必死にそれおさへてゐる。

 再び袂時計たもとゞけいを取出した。先刻さつきから、二分餘にふんよしかつてゐない。

 時計を仕舞しまふと、ふうと息をいてみた。わく〳〵する心持こゝろもちしづめようと、何度も何度もふう〳〵と息を吐いた。


 廊下ろうかに不規則なあしおとがする。見遣みやると下女まかなひらしい御婆おばあさんが左手にかごを抱へ、右手には小振こぶり藥罐やくわんをぶらげて來た。自分と目が合ふと、愛想の好いゑくぼを見せて會釋ゑしやくをするので、自分も椅子に腰掛けたまゝ、頭を下げた。

「御待たせをしてをりますね。どうぞ、御茶でも御上り下さい。何も御座いませんが、どうぞ、御茶でも……」

 さう言訣いひわけをしながら、少しく右足を引摺ひきずるやうに遣つて來て、卓子テエブル藥罐やくわんせ、かごから茶碗二つと灰皿を取出してならべた。

 それでゐて、茶碗に御茶をいでれる樣子やうす一向いつかうに無い。

大夛和おほたわさん? ――で御座いますね? さうで御座いませう、やつぱりね。お二人ともご樣子やうすくつてらつしやるから…… それはね、おだやかでい方で入らつしやいますよ。わたしどもにもね。こんな所で御座いますから、それはね、色〻いろ〳〵と分らない方もたくさん入らつしやいますが…… えゝ……、あんまりめつさうな事は申されませんけれどもね、それはもう―― 大きなこゑを御出しになつたり、騷動さうどうをなすつたり…… でも、彼方あのかたに限つてそんな事はちつとも御座いませんのでね。御安心ごあんしん遊ばせ。――えゝ、えゝ、いつも穩やかに、にこ〳〵となさつて…… 本當ほんたうに助かります……」

 一頻ひとしきり御愛想おあいさうならべると、御婆さんは出て行つた。其脊中そのせなかに向かつて、

難有ありがたう御座います。御世話になります。よろしく御願おねがひ申します」と頭をれると、振返つて莞爾につこりと笑ひ去つて行つた。

 しかるに、結局、最后迄さいごまで御茶をいでれる事は無かつた。それこゝ仕來しきたりなのかも知れぬといふがした。

 自分は手づから藥罐やくわんを傾けて茶碗に半分程滿たした。茶の色が隨分ずいぶん黃色いやうに思れる。一口、口をうるほした。味は少し薄いやうだが、尋常である。

 さうして、上着の內側の衣兜かくしから先日せんじつ或人あるひとからもらつた敷島しきしまを取出し、口をつぶして吸點すひつけると、二、三服ゆつくりけむりを樂しんだ。日頃、山櫻許やまざくらばかりを口にしてゐる身としては、矢張やはこれ相應さうおうに旨い。


「ほら、こゝに段差だんさが御座いませう。御氣おきを附けになつてね……」

 見遣ると、先刻さつき名刺を渡した婦人に手を引かれて、喬子たかこが立つてゐた。

久振ひさしぶりだね。かはりは無かつたかい?」

「來てくだすつたの? もう、お逢ひできないと思つてゐましたのに……」

「もう逢はれないなんて――、莫迦ばかな事を考へるんだな……。んな事、あるはずも無いぢやないか。ほら、かうしてちやんと來てゐるだらう?」

「えゝ、ほんたうに―― ありがたう……」

「さあ、んな所に立つてゐないで、此方こつちに來て、腰掛ければ好いぢやないか……」

「えゝ」

「それでは、私はこれで…… 面會めんくわい御時閒おじかんは三十分となつてをりますので、どうか―― その頃に、又、御迎おむかへに參りますので……」

難有ありがたう御座います。御世話になります」


 婦人が去つて行くと、喬子たかこ表情へうじやう一層いつそう安堵あんどしたやうに思はれた。

「どれ、今日は、僕が君に御茶をれて差上さしあげよう」

「あら、あなたが? ずいぶん珍しい事をなさるのね。嬉しいわ―― ふゝゝゝ……」

「大分血色が好いやうに見えるね。こゝの食事は美味しいかい?」

「えゝ、まあ…… でも、やつぱりね――、おみおつけなんて、お味噌が食べ慣れたものとは違ふんでせう、どうしても。だから――ね……」

「ふむ、さういふものかね――」

「さうですよ。さういふものなの」

「さうなのかい?」

「えゝ、さうよ…… あ、――さう〳〵、葉書はんでくだすつた?」

「葉書? あ――、あゝ、茹玉子ゆでたまごかい?」

「えゝ、何だかどうしても食べたくなつてしまつて―― あんな事書いてしまつて、ごめんなさいね」

いやいんだよ――、たゞ…… それがね、申訣まうしわけないんだが、今日は持つて來てないんだよ」

「あら――、どうして?」

いやね、ほら、んなに暑くなつたゞらう―― だから、玉子は劒吞けんのんだよ。持つて來るあひだ屹度きつと惡くなつてしまふよ…… はらでもこはしたらつまらないだらう?」

「さう? ――さうね。えゝ――、きつと、さうね」

「又――、涼しくなつたら、持つて來るよ。だから……」

「涼しくなつたらつて、いつ? ――また來てくださるの?」

「あゝ、勿論もちろんだよ。又來るよ。屹度きつとだよ」

「さうかしら…… でも…… さうね――きつと……」

 見る〳〵うちに、喬子たかこかほかげが差すやうに思はれた。

「――あなた、茹玉子ゆでたまご……、お好きでせう? だから、あなたといつしよに食べたかつたの……」

 寂しさうな顏でつぶやいた。

「――でも、また今度ね……」

 しまひには消入りさうになつたこゑに、何だか目頭が熱くなり、たまらない心持こゝろもちになつた。それしきりに烟草たばこを吹かし、けぶたさうな素振そぶりで、手巾ハンケチを出して目に壓當おしあてたりした。






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