庭の柘榴 ― 腸詰の花 ―

  腸詰の花



「いつもは、何をしてすごしてゐるんだい? 一日はながいだらう」

「えゝ、何だか――することも御座いませんの。畫輯ぐわしふを眺めたり、刺繍しゝうをしたり…… でも、針箱とか鋏とかはどこかにしまはれてゐて、看護婦さんやまかなひさんにお願ひして、持つて來ていたゞかなくてはいけないの……」

一日坐いちにちすわつてばかりでも不可いけないね。何か運動をしたはうからう」

「えゝ、お洗濯をしたり、まかなひさんのお手つだひでお掃除をしたり…… それからね、看護婦さんやまかなひさんと一緒に、お庭をお散步したり…… こゝのお庭はずいぶんひろいでせう、中に池があつたり、丘があつたり、會堂くわいどうもありますのよ」

會堂くわいどうかい? ――あゝさうか、こゝはさういふ所だつたね」

「えゝ、お祈りがある時には、患者さんでもね、看護婦さんに連れて行つていたゞく方もあつてよ。――私はまだ行つたこと、ありませんけれども――」

「散步にはよく行くのかい?」

「さうね、二、三日置きくらゐかしら―― 一人であちこちには出步であるかれないの。看護婦さんだとかまかなひさんだとかと一緖でなくては。――勝手には行かれないことになつてゐますの」

「さうかい。――少し窮屈きゆうくつだね。大丈夫だいぢやうぶかい?」

「えゝ…… あの…… それより、あなたのはうは大丈夫ですの? ――いちやんは元氣げんきにしてゐますの?」

 ぎくりとなつた。

 喬子たかこかほ見遣みやつたが、存外ぞんぐわい平氣へいきさうにしてゐる。

 先刻迄さつきまで大分だいぶいやうに見えてゐたが、矢張やはり分つてゐない所があるのだ。


「喜いちやん」とは、喜代乃きよの、つまり、二人のあひだの娘の事である。


 娘は半年前にチブスで世を去つた。

 あれは非常に寒い冬の日であつた。何日も高熱で苦しんでゐるのを、喬子は必死になつて世話をした。醫者いしやにも掛かり色〻と手をつくしてはみたものゝ、喜代乃が再び床を離れる事は無かつた。

 始めの頃は、見てをられない程に隨分ずいぶんと苦しがつたが、日に〳〵弱りおとろへて行き、最期は、まるねむるやうに息を引取つた。

 自分達に他に子供は居なかつた。喜代乃にしても、一緖になつて五年目にやつと出來た娘である。產れて來た時は、自分もさいしんから喜んだ。小さい頃は幸ひにして比較的丈夫な子であつたが、尋常科じんじやうかに上がつた年の冬に急に大病にかゝつて命を取られる事と爲つてしまつた。

 やうやく授かつたはずの一人娘を失つたさいの嘆きは大きかつた。食も細くなり、見る〳〵やつれて行つた。

 其頃そのころ生憎あいにくな事に、自分は恰度ちやうど役所の仕事が忙しくり始めてゐた。露西亞ロシヤとの戰爭も終つたばかりで、世の中もだ〳〵落着かなかつた。娘の死を悲嘆し、次第にせて行くさいを氣に掛けながらも、地方𢌞ちはうまはりで家を何日も留守にする事が段〻だん〳〵へて行つた。

 田舎から自分の母に出て來てもらつたが、かへつてしうとめに氣をつかつてしまひ、休まらない樣子やうすであつた。其處そこで今度は母をかへして、妻の妹に來てもらひもしたのだが、其裡そのうち明らかに調子と云はうか、樣子やうすがおかしい事につてしまつた。

 病院に入れたのは、二月前ふたつきまへである。

 其后そのあとも、北陸だの九州だのと自分は留守勝るすがちであり、半月程前にさいが病院を移らねばならなくなつた折にも、ぐにはもどる事が出來できず、一切いつさい義妹いもうとを始め、さい實家じつかたよるといふ不義理にいたつた。

 仕事も少し落着いて歸京ききやうしたのは五日前だつたが、新しい療養所れうやうじよやゝ離れた地方の村にあるため其儘直そのまゝすぐにはおとなふ事が出來なかつた。金曜日の今日と土曜の明日は、上役うはやくに休みを申出まうしでて、日曜と合せて三日閒みつかゝんいとまを貰ひ、やうやうしてさいの顏を見る事が叶つたのである。


いちやんは元氣げんきにしてゐますの?」との問掛けに、自分はほと〳〵返答にこうじた。

暜段ふだんはおかあさまが見てくだすつてゐるの?」

「――あゝ、さうだね」

「今日は一緖には來なかつたのね?……」

「――まあね……」

「學校がありますものね。それに…… それに、――こんなところ……、連れて來たら、きつと怖がるでせうね?」

「――うむ。まあ、どうだらうね……」

 其からさい隨分ずいぶんしばらだまりこくつた。自分は仕方がないので烟草たばこばかりをんでゐた。

「あなた……」

「うん?」

 さう云ひさして、其儘そのまゝ、再び默込だまりこむと、さいは中〻言葉をがうとしない。難しい顏で下を向いてゐる。

「――どうしたね?」

「あなた――」と突然にさい起上たちあがつた。

「今日は、もうおかへりになつて――」

「……ん? どうしたね?」

「支度がありますの。だから、あなたはおかへりになつて」

だ、面會めんくわい時閒は半分も過ぎてゐないぢやないか……」

「それでも……」

 さい背后はいごの壁には、いばらかんむりかぶつた耶蘇ヤソの顏ががくに入つてかゝつてゐた。恰度ちやうど立つてゐるさいの顏の眞橫まよこ――

 さいも耶蘇も恨めしさうな樣子やうすで、自分を見下みおろしてゐる。

かく、腰掛けたまへ。だ、迎への看護婦さんは來ないから……」

 やうやなだめすかして、さいは何とか腰を下した。しかし、目附めつきも定まらず、そは〳〵と落着かぬ素振そぶりをする。

わたくしきつと出掛けますわ、今夜限りに」

 しきりにんな事を云つてゐる。

「出掛けるつて、一體いつたい何處どこに出掛けるのかね?」

「御嫁に行くのです。極まつてゐるわ」

 さも可笑おかしさうに呵〻けら〳〵わらつてゐる。

 茶を一口ひとくちふくんでみたが、て、言葉の接穗つぎほ愈〻いよ〳〵無くなつて了つた。

 目頭が熱くなり、それ以上妻の顏を見續みつゞけてゐる事が出來ず、自然、まどの外に目が向いた。


 恰度ちやうど澤山たくさん柘榴ざくろの花が見える。

 花〻は、ぼつてりした肉厚のがくから吹出るやうに咲いてをり、だ開かぬ腸詰ちやうづめのやうなつぼみもあれば、すで花瓣くわべんを散らし六つに裂けた口からしべたばのみをのぞかせてゐるものもあつた。


 自分には、柘榴ざくろ花共はなどもも、妻の哄笑こうせうに無音の唱和しやうわしてゐるやうに思はれた。






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