庭の柘榴 ー 御嫁と金槌 ー

  御嫁と金槌



わたくしきつと出掛けますわ、今夜限りに」とさいが云ふ。

何處どこに出掛けるのかね?」と問へば、

御嫁およめに行くのです。極まつてゐるわ」とさも可笑おかしさうに呵〻けら〳〵わらふ。

 かうはれてしまつては仕方がない。

 其顏そのかほから目をらし、まどの外を見遣みやつた。

 自分の視線の先のひろい庭には大きな柘榴ざくろの木があり、ぼつてりとした朱色の花がおびたゞしくけてゐた。



   *   *   *   *   *   *   *



 天道てんたうがかん〳〵と萬物ばんぶつあぶつてゐる。

 脊丈せたけよりはるかに高い煉瓦屛れんがべいがずつとむかまで長〻とつゞいてをり、其處そこけやき竝木なみきが影を落としてゐた。その日蔭ひかげを敎へられた通りに眞直まつすぐに進んで行く。

 半町はんちやう程步いた所に、てつの板の、くろい扉がとざされてあり、それを右手ににらんで通り過ぎると、何時いつにか竝木なみき南京櫨なんきんはぜ入替いれかはつてゐた。

 葉のそよぎが、黑眼鏡くろめがねを通して見ると、陰陽いんやうてんじつゝぱら〳〵と吹返されては、わづかにりやう纏綿てんめんせしめ、幾許いくばくかのなぐさみとなる。

 やが煉瓦屛れんがべいの果てが近附ちかづいて來た。

へいきる角を折れると、十閒じつけんも行かずに出入口の門がありますから……」

 さう聞いた通りに期待して曲つてはみたものゝ、其處そこにも唯〻たゞ〳〵へい一町許いつちやうばかつゞいてゐるのみ。何處どこからも中へは這入はいられさうにない。かく、もう一つ角を曲つてみようと、其儘そのまゝ進んだら、果たして二つ目の角を折れた五閒程先ごけんほどさきに、やうやく門が見えた。どうやら、自分は聞違きゝちがへでもしてゐたらしい。

 もつとも、此門このもんにしてもてつ格子かうしが堅く閉まつてゐる。近附ちかづいて中の樣子やうすうかゞふと、格子の隙閒すきまから、屋根を銅でいた煉瓦造れんがづくり守衞所しゆゑいじよが見え、其中そのなかから、詰襟つめえりの服を着た四十恰好しじふがつかうの男が門の外を眺めてゐた。

 自分は黑眼鏡くろめがねはづし、麻の上着うはぎの、胸の衣嚢かくしに納めると、麥藁むぎわらの夏帽をだつして丁寧ていねいに頭を下げ來意らいゝつたへた。男は仔細しさいらしくうなづなが鐵扉てつぴ內側うちがはに引いて自分を招き入れ、奧に見える白い木造の洋舘やうくわんだまつて指さした。

 門から建物のあひだは、せいの高い高野槇かうやまきが涼しいかげを作つてゐる。

 男にかる會釋ゑしやくをして其場そのばを離れ、車寄くるまよせのある玄關げんくわんへと向かつた。

 ひさしくゞり、受附うけつけと書かれた窗口まどぐちを覗いてみたが、誰も居ない。舘內くわんないめう森閑しんかんとしてゐる。

 一旦いつたん玄關げんくわんの外に出てみると、使丁こづかひおぼしき御爺おぢいさんが步いてゐる姿を認めた。右手に金槌かなづちだか何だかをげてゐる。

御免ごめん下さい」とこゑを掛けたが知らぬ風で通り過ぎて行く。耳が遠いのかも知れぬ。近附ちかづいて、もう一度呼掛よびかけると、驚いたやうに此方こちらを見上げた。大きなこゑわけを話すと、

「あゝ、受附うけつけがね、玄關げんくわん這入へえつた所に……」と云ふので、

「いえ、どなたも見えぬのです」と又大きなこゑこたへた。

「はて、さうでがせうかな……」

 御爺おぢいさんが先に立つて受附うけつけに向かつたが、矢張やはり誰も居ない。

「あいや……、不淨はゞかりにでも行きましたかな。うがす。拙者わつち御連おつれしませう。どうぞ御上おあがりなすつて……」

 うながされるまゝ簀子すのこうへ上草履うはざうり履替はきかへ、御爺さんの後にしたがつた。

 御爺さんは、先刻さつきから手に金槌かなづちをぶらげたまゝ上草履うはざうりの音もかろやかに、すた〳〵と長い廊下を右に左に何度か折れながら進んで行く。少〻腰が曲つてゐるにもかゝはらず、存外ぞんぐわいあゆみが早い。御爺さんの脊中せなか見失みうしなはないやうに自分もやゝ早足はやあしいて行くと、突然に廊下の途中で左へと曲がつた。

 其處そこは、離れのやうに外に出張ではつた部屋であり、入口に「面會室めんくわいしつ」と書かれてゐた。一つの卓子テエブル椅子いすが五つばかり置いてある。

「どうぞ、此處こゝ御待おまちなすつて……、人を呼んでまゐりませう――」


 御爺おぢいさんが居なくなると、四圍しゐ森閑しんかんとした樣子やうす愈〻いよ〳〵身に沁みるやうであつた。

 耳の奧がしいんと鳴つてゐる。


 五分待つた。誰も來ない。

 十分待つた。だ來ない。


 十五分待つた――どうしたものだらうか?

 廊下らうかに出て左見右見とみかうみしてゐると、上草履うはざうりの音が近附ちかづいて來る。角から姿を現した若い婦人に自分は深く低頭ていとうした。

「あゝ、御待たせを致しまして申訣まうしわけ御座ございません。大夛和おほたわさんの……」

左樣さやうです」

 自分は紙入から名刺を取出して相手に渡した。

それでは、申訣まうしわけ御座いませんが、もう少〻せう〳〵彼方あちらで御待ちいたゞけますでせうか? 今日は、一寸ちょつと取込とりこみが御座いましてね。此方こちら御連おつまうしますので、もうしばらくどうか……」











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