ソーシャル・エクスキューザー
シカンタザ(AI使用)
第1話
農園には濃い霧が垂れ籠めている。霧は下方の湖からはい登り、湿った草原の上をそろそろと進んで森に懸かり、見通しをさえぎる乳白色の流れの中にすべてをすっぽり包んでいる。何気なく窓の外に目をやる。下に一台トラックが停まっているのが霧の中に薄ぼんやり見える。農園の門にはヘルメットにアサルトライフルの歩哨が二人立っている。ずっと離れた後方で別の兵士が霧の中に姿を消す。この農場ではいつもこうだ。
ぼくは、霧の中でひっそりと息づく植物たちの葉擦れの音を聞きながら、机の上のパソコン画面に視線を移す。画面では、緑色の背景に白い文字で英文が表示され、その下には、いくつかの単語と数字の組み合わせによる、複雑な計算結果が示されている。コンピューターの演算処理の結果は、画面上部の大きなスクリーンに映し出された。その映像を見ながら、ぼくは、机の上に積まれた書類の中から必要なものを引き出し、クリップボードに挟み込む。それから、机の下の床に置かれた段ボール箱を開け、中から小さな缶を取り出した。中身は固形燃料だ。それを、コーヒーの粉末を入れた紙コップに入れ、ライターで火をつけた。たちまち、炎が上がり、温かな湯気が立ち上った。
ぼくは、椅子に深く腰掛け、ゆっくりと飲み始める。
この世界はおかしい。なぜこんなことになったのか、誰にもわからない。ただ、気づいたときにはもう手遅れだった。何もかもがおかしくなり始めていたのだ。
霧の向こうにかすかに何かの動く気配を感じる。どうやら、今日もまた、新しい被験者が運ばれてくるらしい。
ぼくは、コーヒーを飲み干すと、立ち上がって、部屋を出た。廊下は暗く、静まり返っている。突き当たりの扉を開ける。大きなベッドとたくさんの機器類が置かれた狭い部屋に、一人の男が横になっている。男は、顔に呼吸器のようなマスクをつけられ、体中にコードを巻き付けられていた。男の傍らには、白衣を着た男たちがいる。彼らは皆、手に、注射器を持っていた。男の体にいくつもの針が刺さり、透明な液体が注入されていく。男は、しばらくすると、目を閉じ、静かに眠り始めた。
その様子を見届けてから、ぼくは、再び歩き出す。霧の中にぼんやりと浮かび上がる、巨大な建物。その建物に向かってまっすぐに伸びた道の先に、その建物はあった。建物の入り口にある門は開かれており、大勢の人が行き交っていた。ぼくは、建物へと続く道を、人の流れに沿って歩いていく。建物の中に入ると、正面に受付があり、制服姿の女性がいた。彼女は、ぼくを見ると、にっこりと微笑んだ。受付の脇を通り過ぎ、奥へと向かう。エレベーターに乗り込むと、女性は、地下三階を押した。ゆっくりと下降していく箱の中で、女性が、話しかけてきた。
「あなたは、何のために、ここに来たのですか?」
「ここは、どこなのか知りたいからです」
「それは、なぜ? この場所は、世間の誰もが知っているし、ここに来れば何でもわかるはずですよ」
「わからないからこそ、来る意味があるんです」
「そう。でも、残念ながら、ここには、あなたの求めていることは何もありませんよ」
「わかっています」
「それならいいのですけど」
エレベーターは、音もなく止まった。扉が開く。
「どうぞ、お入りください」
女性が手招きする。
「ありがとうございます」
ぼくは女性に礼を言うと、薄暗い通路を進んでいく。やがて、広い空間に出た。床も壁も天井も真っ黒な材質でできている。まるで、宇宙のようだ。
目の前に、一人の少女が立っていた。黒い髪に白い肌。整った顔立ちに、切れ長の目。彼女が、ぼくを見つめてくる。
「ようこそ、この世界へ」
彼女の声は、直接、頭の中に響いてきた。
「あなたは、ここで何をしますか?」
……。
「ここでは、あらゆることが自由です。望むものを手に入れ、好きなことをして、好きなように生きていけます」……。
しばらく沈黙が続いた後、彼女はにっこり笑った。
そして、ぼくたちは別れた。ぼくは、来た道を戻る。エレベーターに乗って地上に戻る。外に出ると、日差しが強く照っていた。さあ、どこに向かおうかな。
ぼくは、公園のベンチに座っていた。目の前には、大きな桜の木がある。その花びらが、風に吹かれて散っていく。ぼくは、自分の存在の証明のため、いろいろなことに挑戦した。そのどれもが、うまくいかなかったが、今になって思うと、それらは、ぼくのしたいことだったのかもしれない。ぼくの生きる意味だったのだろう。
しかし、結局、ぼくは、何もできなかったし、これからも、ずっとできないのだと思う。なぜなら、それは、ぼくにとって、ただの通過点に過ぎなかったからだ。そうやって生きているうちに、いつか、ぼくは、ぼく自身の人生を生きていくことができるようになるのだろうか。わからない。ただ、ひとつ言えるのは、ぼくは、まだ、スタートラインにも立っていないということだ。ぼくは、ここから歩き始める。そして、ゴールを目指す。それが、ぼくの人生だ。風が強い。その強い風の中を、たくさんの人が歩いていく。その人たちは、みんな、それぞれ、それぞれの人生を持っている。彼ら一人ひとりは、きっと、それぞれが主人公なのだ。その物語の主人公になることはできるのだろうか。それとも、その物語は、もう終わってしまったのだろうか。わからない。
ふいに、誰かが近づいてくる。その人は、とても背が高い。まるで巨人のように、大きい。その人物は、黒いスーツを着ていて、サングラスをかけており、髪はぼさぼさに伸びていた。その人物は、ぼくの前に立つと、言った。
「おや、あなたは、ずいぶんと小さいですね」
その人物が、にっこりと笑った。どうやら、彼は、ぼくのことを、子どもだと思っているようだ。ぼくも笑顔を返した。すると、その人物も微笑んだ。それから、その人物は、両手を大きく広げて、こう叫んだ。
「ようこそ! こちら側へ!」
目の前には、大きな川があった。その川は、流れていく。どこまでも、どこへともなく。その川に、橋はなかった。向こう岸に行くためには、泳ぐしかないだろう。しかし、泳いで渡るのは難しそうだ。しかし、問題はない。なぜなら、ぼくは、泳ぎが得意だったから。それに、この川を渡らずにすむ方法もあった。それは、空を飛ぶことだった。ぼくは、空を飛んで、対岸に渡った。そして、そのまま、まっすぐに進んだ。しばらく進むと、森が見えてきた。森の中に入ると、道のようなものを見つけた。その道を進んでいった。すると、そこには、小屋のようなものがあった。中に入ってみると、ベッドがあり、机もあり、本棚もあった。ここで暮らすこともできそうだった。ただ、窓の外を見ると、外は真っ暗で、何も見えなかった。
その部屋を出ると、廊下に出た。その先には、扉があって、その先には、階段が続いていた。階段を降りてみると、そこは、広い空間になっていた。天井が高く、壁一面にいろいろなものが置かれていた。まるで倉庫のようだ。その部屋の奥の方にある壁には、たくさんのボタンが設置されていた。そのボタンを押すと、上から、透明なガラスの容器が落ちてきて、地面にぶつかって割れると、白い煙が出てきて、あたりに広がっていった。その煙は、だんだんと薄くなっていき、消えていった。すると、今度は、透明で巨大なカプセルのような装置が現れた。その装置は、床から少し浮いていた。その装置の中には、液体が入っていた。その液体の中では、人が眠っていた。その人は、目を覚ますと、外に出て、歩いてきた。その人は、僕を見つけると、話しかけてきた。
「きみは、だれだ?」
「ぼくは、じぶんです」
その人は、不思議そうな顔をして、こう言った。
「よくわからないけど、あなたは、あなたなんですかね」
「はい。ぼくは、じぶんです」
「ふーん」
その人は、首を傾げながら、こういった。
「じゃあ、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくおねがいします」
「わたしの名前は、えむ」
「えむさんですか」
「そう。あなたは、なんていう名前だったっけ?」
「ぼくの名前ですか?じぶんっていう名前ですよ」
「へぇ、そうなんだ。変わった名前だねぇ」
「はい。変わっていますよね」
「うん。変わっている。でも、いいと思うよ」
「ありがとうございます」
「ところでさ、これからどうするのかな。」
「どうするのとは、どういうことでしょうか?」
「このまま、ここで過ごすのかい?」
「いえ、べつに、どうもしないと思いますが」
「そっか。なら、よかった」
「はい。」
「あの、ちょっと聞いてもいいかな。」
「はい。なんですかね」
「君は、今、幸せ?」
「しあわせか……わかりません」
「わからないの?」
「はい」
「ふぅーん。そうなんだ」
「はい」
「ねえ、君、これからどこに行くの?」
「えっと、どこにも行く予定はないですね」
「そっか」
「はい」
「じゃあ、一緒に来ない?」
「えっ?」
「いっしょに行こうよ。」
「あっ、はい」
ぼくが返事をすると、えむは、手を差し伸べてきた。その手をつかむとえむは歩き出した。そのあとをついていく。どこまで歩くのだろうか。歩いている間、いろいろなことを話した。好きな食べ物の話とか、今までにやったゲームの話だとか。そうして、歩いていくうちにだんだんと景色が変わった。まるで、夢の中で見たような光景が広がっている。しばらく歩いた後、少し広い空間に出た。そこには、小さな机と椅子があった。えむはその席に座った。そして、隣にあるもうひとつの椅子を指差す。ぼくは、その椅子に腰掛けた。なんだか、とても眠くなってきた。そのまま眠りについた。
目を開けると、そこは白い部屋だった。えむの姿はなかった。どこかへ行ってしまったようだ。起き上がって周りを見渡す。白一色の部屋だ。天井も壁も床も真っ白で、窓がないから部屋の中は暗い。家具のようなものは何もなかった。ドアもないから出ることができない。どうやって入ったのかもよく覚えていない。そもそも、なぜこんなところにいるのだろう。確か、えむと一緒にいたはずなのだが、その記憶が曖昧になっている。しかし、この場所は、見覚えがある。どこで知ったのだろうか。思い出せない。それにしても、本当に何もない。暇すぎる。どうしよう。とりあえず、横になってみる。何も起こらない。次に、目をつぶってみた。何も変わらない。今度は、両手で顔を覆って、大きく息を吸ったり吐いたりしてみた。特に変化はない。
ふと、気がつくと目の前に人影が現れた。その人はこちらに向かってくる。近づいてきたのは、若い女性のようだった。彼女は、ぼくに話しかけてくる。
「わたしは、あなたに、これから起こることを伝えるために来ました。あなたの知りたいことを教えましょう。あなたの願いを叶えます。さあ、言ってください。何をすればいいのですか?」
「えっと、どういう意味でしょうか」
「そのままの意味です。あなたの望むことをします。ただし、できることに限りはあります。例えば、世界を滅ぼすことや、人を消すことなどは不可能です。しかし、それ以外なら、たいていのことができるでしょう。さあ、何でも言ってくれませんか」
「じゃ、まず、元の世界に戻りたいんだけど」
「それは無理ですね。すでに、あの世界の時間軸は停止しています。今から戻ろうとしても、もう間に合いません」
「それでは、別の質問をしてもいいかな。君は誰なの? どうして、ぼくの前に現れたんだい?」
「私は、あなたの案内役を務めるAI(人工知能)です。名前はありません」
「なるほど。それで、君がぼくの望みを叶えてくれるっていうことなんだね」
「はい。そうです」
「でも、一体どうやって?」
「あなたは、どうしたいと思っていますか?」
「えっと、それは、もちろん元いた世界に戻って、もう一度やり直せたらいいなと思っているけど」
「わかりました。では、私があなたの希望を実現します」
「本当にできるのかい?」
「はい。ただし、条件があります」
「なに?」
「あなたには、私の助手になってもらいたいのです」
「わかったよ。それで、具体的には何をするんだい?」
「私と一緒に、この世界を旅するんです」
「はははっ。面白い冗談だね」
「いいえ、本気ですよ」
「それじゃ、まず、ぼくがなぜここに来たか教えてくれないか」
「それは、あなたの願いを叶えるためです」
「それって、どういうことなの?」
「あなたの願いは、元の世界でやり直したいということでしたよね」
「うん、そうだけど」
「では、まず、あなたを元の世界に戻しましょう」
「はい、ありがとうございます」
「いえ、お礼は必要ありません。これは、サービスの一環ですから」
「なにしろ、この世界では、何でもできてしまうので、逆に何もできないんです」
「なるほど」
「では、目を閉じてください」
「はい」
「では、いきます」
「はい」
「あなたは、今、意識を失っています。これから、あなたの記憶をさかのぼります。あなたの記憶を、一〇〇倍速で再生します。あなたは、一〇分前に、この場所に来ました。そして、あなたは、ここで、いろいろなことをしました。あなたは、ここで、いろんな人と出会い、別れ、助け、助けられました。あなたの記憶は、ここから先もずっと続きます。あなたは、ここでは、あなたの好きなように生きることができます。では、目を開けてください」
僕は目を開けた。
「おはようございます」
ぼくは、公園のベンチに座っていた。
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