16、
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『大石鍬次郎よ』
「ん……」
『我は時間がたんまりとあるが、お主には時間が限られている』
「いったい何なんだ。……夢なんだろう」
先ほど、急激に眠くなり意識を飛んでしまった。そう思っていたのに、すぐに名前を呼ばれたのだ。眠い目を擦りながら体を起こすと、そこに真っ黒な霧に包まれた世界であった。けれど、一箇所だけぼんやりとした明りが灯っている場所がある。そこから声がするのだ。
凛としつつも、温かみのある男性の声であった。
大石は、眩しさを堪えながらそちらに視線を向ける。そこには、寝る時の寝巻姿であった。といっても、白い平服を着込んでおり、一目見ただけで身分が高いものだとわかる。
だが、今の大石にとってはどうでもいい事であった。自分は明日には死んでしまうのだ。大切な人と約束を守るために生き残る手段を考えなければいけない。まだ解決方法は浮かんでいないのだ。早く目覚めて、死ぬもの狂いで脱走しなければいけないかもしれない。そうなれば、いつまでも呑気に寝てられない。
「こうしてはおれん。俺はすぐに起きて逃げなければいけない」
『おまえが起きる頃にはもう朝になっているぞ。逃げる時間などありはしない』
「何故、それがわかる?」
『私がとある術師に夢でおぬしと話がしたいと頼んだのだ。そのためには深い眠りにつく必要があるそうでな、今現実ではとっくに夜明けの時間であるはずだ』
「俺と話すため?こんな貴重な時間に勝手な事をするな。俺には時間がないとわかっているなら、何故こんな事をする。俺の邪魔をするな!」
焦りと不安を相手にぶつけた。どうにかしければいけないという、気持ちが爆発したのだろう。
大声を上げて怒声を浴びせられたが、切れ長の綺麗な瞳を持つ誠実そうな男は正座をしたまま、鍬次郎の顔を見つめかえした。
『おまえは生き延びたいのだろう。強さを極めるために』
「……どうして、それを」
『そういう人物を探していたのだ。私の願いを叶えるためには、かなりの剣術者である事、そして生き続けたと強く願っている。そんな者を探していた』
「どういう事だ。詳しく言っても貰わないとわからんな」
『そうか、話を聞いてくれるか。では、座って話そうではないか。短い話ではないのだ』
そういうと、目の前に座るよう片手を差し出す。すると、この男の正面にもぼんやりとした灯りがつく。そこに座れという意味なのだろう。
訳がわからないが、この男は鍬次郎がこの場所に座らない限り、話をするつもりはないらしい。
それにこの夢から無理矢理覚めてしまえば、処刑当日を迎えてしまう。そうなっては、ただ死ぬだけだ。それならば、こうまでして鍬次郎と話がしたいと妙な術まで使って会いにきた男の話をきくしかないのだ。
そう思わせるように仕組んだのは、目の前の男の仕業なのだが。
「で、おまえが話していた願いとやらは何だ?それが条件という事だろう」
『話が早くて助かる。俺の願いは、部下達の安寧に次の世を生きてもらう事。死んだ者への弔いをしたいのだ』
「部下?弔い、だと……」
『この新政府軍との戦いでは、沢山の幕府軍が亡くなった。武士はもちろんのこと、志願してきた民、そうではないのに、戦に巻き込まれた者達も多いのだ。その者達の悲しみや恨みは、とてつもなく大きなものであろう。おぬしも戦を戦って生きてきたのだ。あの残酷な現状を知っておるのだろう。死んでいった者達の気持ちは痛いほどわかるのではないか?』
「おまえは一体、何者なんだ?」
『それはおまえが引き受けてくれたら教えよう。これでも私は立場がある者なのでな。易々と名を明かす事は出来ないのだ』
「………で、弔いをしたいなら自分ですればよかろう。それか、僧侶の方が良いだろうに。私は経もあげられんぞ」
『そんな事で部下達が納得するならば、問題ではないのだ。私の部下達、そして旧幕府軍の武士達は、忠誠心が強いのだ。死んでもなお、戦いを続けたり、鍛錬を繰り返しているというのだ。まだ戦いたいと願う武士にとってはただ経を上げるだけでは納得して成仏などしないと言うのだ』
「じゃあ、何をすればいいのだよ」
『おまえはもう薄々気づいているのではないか?』
「……」
『戦って斬ってやって欲しい』
「それが成仏に繋がるとは思えん」
『あやつらは、自分が何をしたかったのか、何を成し遂げたかったのか。話しを聞いて、そして斬って欲しいのだ。そうして成仏させてやってくれ。いつまでも無駄な戦いたいを続けるのは、あまりにも苦しすぎることである。だから、部下達を助けてはくれないか。成仏させて、来世では安寧に生きて欲しいのだ』
「それが、今でも戦い続ける事を望んでいる奴らでもか」
『もう後にひけなくなっているだけだ。もう死んでいるのだ、武士も幕府もいないではないか。忠誠心や、武士として生き様は良き者である。だが、今でもは忠誠すべき幕府も、武士とという世界も必要されないものなんだ。ならば、他に守りたいものを見つけて生きて欲しいのだ。大切なものを、な』
「死んだ後に幸せになる?」
武士としてしか生きたことがない鍬次郎にとって、刀を持たずに自分も他人も守るというのは、どうにも想像できる世界ではなかった。だが、実際に刀よりも銃が有利となった世界だ。大砲や船も大きな衝撃を与え、武士が必要なくなるのではないかという不安は、きっと皆がかんじていたことだろう。
それに長い期間頂点に立ち続け、一国をまとめ上げてきた幕府がなくなり、新しい政府が君臨したのだ。
ずっと続くものなのはないのだと、この時代の波に呑まれていた人々は感じていることだろう。変わっていく時代の中でも、人は生きていかなければいけないのだ。
この世がどんな世界になっていくのか、今を必死に生きてきた鍬次郎には想像など出来ない。だが、安寧とした生活が出来るのであれば、それが一番だと思えるのだ。
『こんな話しをしておいて、おまえには死を与えられはしないのだ。申し訳ない』
「処刑されない、だけではないのか?」
『おまえは妖術を用いて、私の願いを叶えるまで死ぬ事は出来ぬ。鍬次郎、おまえは死なずに剣術を極め、強くなるために生き続けたいと思っているのだろう。そうなれば、たかが60年ほどの人の寿命では叶えることは困難なのではないか』
「……」
『それにただの人の体では鍛えてもすぐに衰えてしまうはずだ。だが、私がおまえに与える力はそんな事はなくなるぞ』
「なるほど、人ではなくなるというのだな」
『そうなるだろうが。全ての武士を成仏させた暁には、穏やかな死が訪れるだろう』
目の前の男は、鍬次郎に人間を捨てろと言っているのだ。
他の人が聞けば、「ありえない条件で誰も受けるはずがない」と思えるものかもしれない。このまま斬首をされて死んだ方がいいだろうと考えるはずだ。
だが、鍬次郎は違った。
どうしても、沖田の夢を叶えたかった。
自分が死んで再会するときに、沖田と勝負をして勝ちたいんだ。そして、「くわちゃんは強くなったね」と笑って欲しいのだ。
子どものような、幼稚な夢かもしれない。けれど、この夢が鍬次郎には何よりも大切なのだ。
「わかった。その仕事、受けよう」
『……おまえならばそう言ってくれると思っていたのに。感謝するぞ、鍬次郎』
そう言うと、その男は立ち上あがり、すり足でこちらに近づいてきた。男を月が追いかけるかのように、灯りも移動する。そして、その灯りが鍬次郎のものと重なる。
すると、男は脇にさしていた1本の刀を鞘ごと抜くと、両手で高々と上げたあと、鍬次郎の元へと腕を伸ばした。
受け取らなければいけないとわかっている。だが、その刀から凶々しい恐ろしい殺気を感じ取り、鍬次郎は躊躇してしまう。
すると高貴な男は満足した様子で大きく1度頷いた。
『やはりおまえほどの男ならばこの刀のすごさを察知するか。やはり、私が見込んだ男であるな』
「この刀はなんだ。まさか、俺にこれを使えというのか?」
『そのまさか、である』
「触れて平気なのか?」
『この刀は、妖刀として作られた貴重ななものでな』
「道理で不気味な雰囲気のはずだ」
妖刀とは、言葉のとうり妖術がかかっていたり、呪い、妖怪や霊が宿っているものを言う。
人の血を浴びすぎたり、持ち主が狂気に満ちた行いをすると、その意思を刀が受け継ぎ、使う人を殺人人形として暴走させたりする。その力はかなりのもので、敵に勝つためなら妖刀を使いたいと言う武士も多かった。
その事から、刀を作る時から妖刀を作ろうとする者もいた。
鍛治職人が刀をうつときに、周りに遺体を並べている場所で行なったり、死んだ武士の骨を粉にして混ぜてつくることもあると聞いたことがあった。
『おまえが想像していること全てをやったらしいぞ。遺体を並べて作る、骨を真似る、戦場で幾人もの血を浴びる。そのせいで、このかなりの力が入り込んだ。それはもう何人もの霊の力が』
「それを持てばどうなるのだ」
『処刑されおまえの命が耐えたとしても、この刀を持っていれば生き返る。いや、死ねなくなるのだ。妖刀がおまえの命をいつまでも与えてくれるだろう』
「到底想像もつかないことだが、やってみないとわからん」
『一度死ねばわかることだ』
そう言うと、辺りが明るくなり、目の前の男が顔がぼやけ始めた。
『それでは、お前の成功を祈っていよう。無事に蘇ることが出来たら、おまえに褒美を与えてよう』
「おい。おれはおまえの名前を聞いていない」
辺りが眩しいほど明るくなってきた。朝日のように一気に辺りを照らす力のある光り。
目覚めの時間なのだろう。
この夢から覚めて仕舞えば、もう目の前の男とは会えないような気がした鍬次郎は咄嗟に彼の名前を聞いた。
『恐れるな。今後、我と会えない事はない。それに、敵であっても私がの部下が潜入している。その刀をを持っていても咎められないようにしてある』
「え、いつの間に……」
その男の視線の先には、妖刀があり、気づくと鍬次郎の腕の中にあった。凶々しさはあるものの、触れても今のところ不快な事はなかった。
『お前たちは少々過激であったが最後までついてきてくれた事、私は感謝しているのだ。私さえも断りたあっ京都守護職の仕事を、誠実に忠誠心を持って勤めてくれた事、慶喜様もお褒めいただけていた事だろう』
「京都守護職とは、まさかおまえは……」
名前を呼ぼうとしたが、その男は後ろを振り向き歩いて去ってしまっていた。
手を伸ばしても、声を出そうとしても、それはもう叶わなかった。
もう目覚めの時間。人間と生きれる最後の1日が始まったのだ。
意識が現実世界に戻ると、何故か手には縄でぐるぐる巻きにされた、あの幼刀があった。
そして最後の食事として、いつもよりは多少豪華な飯を食わされ、浅葱色の着物に着替えさせ、外へと連れ出された。久しぶりの外の空気と太陽の光りの暖かさ。そして、川辺には赤や黄色の落ち葉が層になって重なっていた。外出て初めて今は秋になったのだと気づいた。
先ほどの夢のせいだろうか。
今から首を刎ねられ死ぬとは思えなかった。多少の怖さもある。だが、あの男の正体を知って仕舞えば、疑う事はなかった。最後まで戦いを諦めなかった、武士なのだから。
一度の死は、人間としての死であり、これからの始まりのきっかけにすぎない。
鍬次郎は両手を縄で繋がれたまま、刀を大事に掴み、引かれるままゆっくりと歩いた。
川辺に簡単に掘られた穴。そして、そこに川に繋がる坂がある。首を刎ねた後、転がって自然に川にに流れるというわけだ。
考えると恐ろしい。だが、きっと痛さを感じる事死ぬことができるはずだ。
「そこに座れ」
鍬次郎は抵抗もせずに、汚れた茣蓙の上に正座をする。すると横に控えてた男が高々と鍬次郎の罪名を読み上げる。けれど、鍬次郎の耳にはもう何も入ってこない。
人間として感じられる、太陽の暖かさを肌を撫でる風、冷たい草や川の水に触れながら、最後の安らぎを感じていた。
沢山の人を斬ってきた。きっと自分が死ぬときも誰かに斬られるか撃たれて死ぬだろう。そんな覚悟をもって武士をしていた。だからこれも運命だと思えたのかもしれない。沖田との約束がなければ。
「最後に言い残した事はないか」
鍬次郎に残された時間はもう僅か。ひとつの言葉を発する時間だけ。
けれど、鍬次郎の言葉はもう決まっていた。
「俺は生き続けるのだから、最後の言葉ではない。だが、何か言えというならば、武士の心は永遠のものになる。ただそれだけだ」
「時代遅れな男だ。さっさとやれ」
「はっ」
鍬次郎の最後の言葉を聞いた新政府軍の男は呆れた表情で大きくため息をつくと、斬首を命令した。
鍬次郎は自分から頭を下げて、目を瞑った。
「沖田さん、俺はまだそっちには行きませんから、まだ待っててくださいね」
心の中でそう呟くと、鍬次郎は全ての感覚を閉じた。
最後に感じたのは温かい風であった。
痛みも苦しみも感じない、何故か夏のような爽やかな風だった。
それと同時に、あの硝子の風鈴の音が響いたような気がしたが、きっとそれは気のせいだ。
そうして、大石鍬次郎の一度目の死が訪れたのだった。
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