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鳥羽・伏見の戦いが勃発すると、新選組が守っていた伏見奉行所には爆発音と共に沢山の大砲が降ってきた。
男達の怒声と銃声、そして、木が燃える焦げた香りと血の匂い。戦が始まったのだと金秋は全身を使って感じさせられていた。
愕然としたのは、もう刀同士がぶつかる高い音がほとんど聞こえない事であった。
銃声と大砲。火薬が弾ける音がそこら銃声から聞こえている。
「つっこめ!」
「無闇矢鱈に突っ込めば、命が何個あっても足りねー!囮役と突っ込み役に別れろ。奉行所は火に気をつけろ。燃えたら終わりだぞ!」
局長の近藤不在の中、始まった戦だ。新選組をまとめるのは副局長の土方であった。いつもよりも深く眉間の皺を作り、自ら刀を持ちながら大声で指示をしている。その険しい表情を見ていれば、隊士達はすぐに察してしまう。この戦いは厳しいものなのだ、と。
それを裏付けるように、怪我人も続々と増えて行く。土方は怪我人はすぐに裏口から逃していた。無理に戦わせることはしない。が、怪我人が思いの外多くなり、戦える新選組の隊士の人数は目に見えて少なくなっていた。
「囮役は二番隊が引き受ける。そして、一番隊もついてこい!囮役だからと言って遠距離するなよ。生きて敵を一人でも多く斬りまくれ」
「「おうっ!!」」
大声で囮役を名乗り出たのは二番隊隊長の永倉新八であった。
金秋が稽古でも何回もやられた、凄腕の男であった。技では圧倒的に沖田や斎藤が優っていたが、永倉は力が凄かった。人一倍身体を鍛えている永倉であったが、この男はそれだけではなかった。それに剣術の幅が広く、そして度胸があった。自分が強いと自信を持っているのだ。それが、何よりもこの永倉という男を強くしたのだろう。
そんな彼の下につく隊士達も同じような性格になるのか、囮役になると隊長が決めても誰一人として反対する様子はなく、大声で返答しやる気に満ち溢れた表情であった。
それは、一番隊の隊士達も同じである。同じように、高揚した表情で戦いの命令を受け入れている。
もちろん、金秋も同じである。
新選組がなくなるのは嫌だ。
仲間が死ぬのは嫌だ。
それは隊士が戦う理由であるはずであり、金秋であっても同じだ。
完璧な実力主義の世界である新選組は、金秋にとって居心地が良い場所であり、この場所を失くしたくないと思う。それに何度も稽古をし合った隊士を死なせたくはないと思う。
だが、それが本当の理由かと問われたならば、金秋は迷うだろう。
目の前で始まろうとしている戦は、お世辞にも勝っている戦いではない。相手は、最新式の海外の拳銃を装備しているのだろう。銃撃の距離が、新選組の銃撃隊のものとは全く持って違う高性能な銃であった。
だが、この戦に勝てば自分はまたひと回りもふた回りも、強くなると確信していた。そうすれば、「これで沖田さんに近づける」と思うのだ。だからこそ、この戦に参加し、強くなってやろうと決意していた。きっとこんな考えで戦いに臨むものはいないだろうが、そんな事はどうでもいいのだ。自分が強くなれれば、それでいい。
そこまで考えたが、ふっと脳裏を過ぎったのはついこの間近藤と共に大阪に下った時の沖田の顔だった。
金秋であっても、わかっている。気づかないふりをしたいだけ。認めたくないだけだと、自分自身でもわかっている。「沖田さんは、剣を持ち本気で戦える事はない」のだ、と。
「っ!」
そこまで思考の沼にはまっていた金秋を覚醒させたのは、轟音に負けないほど大声を上げた永倉の声であった。
「第一、第二部隊、突っ込めーーー!!」
「よし!銃撃隊も囮役を援護しろ。味方を撃つなよ。敵の真ん前まで斬り込んでいけるよう、敵の前線のやつらを撃ち倒せ!」
沖田と共に怪我の治療のために大阪に向かった局長の近藤。そのため、この戦の陣頭指揮は土方が行っていた。
永倉と土方の命令に、抜刀隊は野太い声で声を上げて前線へと突っ走った。
どこから襲撃されるかわからない戦場。金秋は味方と十分に間隔が空いたのを確認すると、すぐに抜刀する。高い音と共に青白い刀が姿が現す。沖田と交換した刀。皮肉にも本来の持ち主の顔色と同じだな、と思ってしまう。
大和守安定。
沖田に憧れる金秋は、彼と同じ刀を探し求めた。沖田に気づかれるのは気恥ずかしく、「たまたま同じだになっただけです」と言って誤魔化したりもした。
けれど、今はその憧れた男の刀を手にして戦場に立っている。昔の自分では想像が出来ない事であるが、その理由は最悪なものになってしまった。
「負けるわけにはいかねーんだ。沖田さんに返さなきゃいけない。死ねねーなー!」
独り言が自然に大声になる。
けれど、周りに金秋の叫び声を気にするものなど誰もいない。殺すか、殺されるかの戦いなのだ。誰もが自分の全てをかけて戦っているんだ。
気づくと金秋の目の前には、敵の姿があった。
鬼の形相で、何か叫び声を上げて弾を発砲した。だが、すでにその軌道から外れていた金秋はその敵を正面から斬り込んだ。敵は断末魔を上げながら倒れた。すかさず、その銃を取り、すぐにその場から離れる。囮役の抜刀隊が訪れた事で敵は焦りから連携に解れが見られた。焦らずにそこを狙えば勝機はあると金秋は考えて、周囲の状態を確認しながら目の前の敵を斬りまくった。
その内に、相手が薩摩藩の小銃隊だと確認が出来た。薩摩藩がこのような武器を持っているのは知らなかった金秋は驚いてしまう。幕府軍よりも最新式の銃を持っているのだ。何故だ、と考えてしまいそうになるが、今は一番争いが激しい最前線である。金秋は背中の帯に銃を挟むと、刀を握りしめて、敵が殺到する場所へと突っ込む。敵との距離が近距離になれば、銃よりも刀の方が優先である。相手もそれもよく理解しており銃を捨てて刀を抜く。
そうなれば、鍛えられてきた新選組の方が圧倒的に有利である。
「この戦、もらった」と幕府軍が、新選組隊士達の誰もがそう思った。
だが、戦局というのは、些細な事で一転するのだ。
天候や、人間一人の死、最新型の武器や船。
鳥羽・伏見の戦いもそれに当てはまる事になる。現代人からすれば、ただの赤い布で、戦いの流れが変わったのだ。
「あれを見ろ!錦の御旗だ!」
誰が見つけ、指をさし、叫んだのか。そんな事を気にする者は誰もいなかった。
縦長の夕焼けに秋の満月。真っ赤な錦の布地に黄金の日像が刺繍されているのだ。
それが敵軍の薩摩藩の本営である東寺に錦旗が掲げられたのだ。それを見た幕府の目と口は皆が大きく開き、誰もが動きを止めた。
錦の御旗とは朝廷、言わば天皇が与えたものであった。朝廷は、なんと敵軍である新政府軍を味方にし官軍としたのだ。それは幕府軍が賊軍という、天皇に抗う者になった瞬間であった。
「な、何故薩摩のやつらが錦の御旗を掲げているんだ。……俺たちが賊軍になったのか」
「俺たちは日本のために戦っているのではなかったのか?どうして賊軍になる?」
「天皇に逆らうつもりは更々無いぞ……」
「………そんな戦いしたくない」
「俺も賊軍になんてないたくない」
幕府を守る事は、国を守る事。徳川幕府がなくなっても、よき国にしようと戦ってきた。
今まで支えてきた徳川に対する処罰は厳しいもので、それに反対するものも多く、そのために戦っていたかもしれない。だが、ほとんどのものは天皇に反抗するつもりはなかった。だからこそ、動揺が広がっていたのだ。
「俺は戦えねぇ……」
「俺だってそうだ」
新選組の隊士たちは、次々に肩を落とし、刀を持つ腕も下がっていた。
だが、錦の御旗を掲げた薩摩藩達はこれで戦いを止めるはずがなかった。むしろ、先ほどより目をぎらつかせて、やる気に満ち溢れていた。賊軍になった幕府軍とはまるで正反対である。
「天皇は我らに味方してくださった」
「私たちが正しいのだ!」
「官軍の勝利は導かれているぞ」
そんな歓喜の叫び声と共に、彼らの表情には無敵の笑みが浮かんでいた。それと同時に先ほどよりも激しい銃撃が隊士達に襲いかかった。
戦意を失いかけていても、戦わなければ自分が死んでしまう。刀から手を離そうとしていた者たちも、のろのろと戦いを再開する。が、呆然としているものや、放心状態のものも多く、先ほどまでの勢いはもう失っていた。
だが、錦の御旗を見て賊軍となっても、戦意を 失っていない者もいる。
その一人が金秋である。
「………だから何だっていうんだよ!」
大声で独り言を吐き出す。
それと同時に、官軍の一人の首を切り落とす。返り血を浴びながら、刀についた血液を振り落とすと、戦意を失くしたく味方の間をすり抜けて、敵軍を次々と斬り込んでいく。どんなに戦意が上がっても、官軍になったとしても、剣術の腕が上がるわけではない。
刀と全身を使い、近距離での攻撃を繰り返す。敵の懐に入ってしまえば、こちらのものであった。銃を構える間に斬る。そして、味方が多い場所では、誤って味方同士で撃ち合いになる可能性が高いので、無闇矢鱈に撃てないのだ。それを理解している金秋は相手の陣営に突っ込むのだ。そうなると、相手も刀を向かざるおえない。そうなれば、金秋が戦う目的である、刀同士の戦いになる。
官軍、賊軍が何だっていうのだ。
何のために武士となったのだ。戦わなけば意味がないではないか。強いものが生き残る世界なのだから、勝ったものが官軍ではないのか。
「お前たちが負ければ賊軍になるんだよ!もう勝利した気持ちでぼやついているから、斬られるんだ!刀を構えろ!武士らしく戦え!それが戦だっ!!」
血だらけになった金秋の背中が大きくゆっくりと揺れる。
怒声が味方の隊士の動きを一度止めた。だが、ただの一瞬であるが、ある一定の味方の思いを変えた。
「鍬次郎に続け!今は生き残るために戦うのだ!考えるのは後からだ。死んだら何もできんぞ!」
金秋の言葉に答えたのは第二隊組長の永倉であった。隊長の一声は隊士にとっては何よりも大きい。局長や副長が現場にいない場合は一番力を持つ幹部になるのだ。永倉の声を耳にして、隊士達が上がり刀を持つ手にも力がこもる。
それを横目で見た金秋は目の前の敵に鋭い視線を送る。
一瞬でも隙をつくってしまえば、相手は銃に弾を入れてしまう。遠方へと逃げた敵が先ほどからこちらに向けて発砲しているのも気になる。先にそちらに向かった方いいだろうか。
そんな事を考えながらも、金秋は目の前の敵を斬り倒していく。金秋が歩いた場所に残されたのは、沢山の敵軍の亡骸と血の池である。全身に赤黒い血を浴びながらも、金秋は動きを止めない。全身が高揚しているからであろうか、疲れを全く感じないのだ。
「………俺は、まだやれる。やれるんだ!」
もっと強くならなければ。そうしなければ、あの人は。
金秋は焦燥感を感じ、息を荒げて一人敵陣の中の更に奥へと駆けていこうとした。
「鍬次郎っ!もう止めろ!」
聞き覚えのある声と共に、金秋の右手首を掴まれた。強い力で引かれて、後ろを向くと、金秋と同じぐらいの血と傷跡まみれの永倉であった。
「何で止めるんですか!まだあんなにも敵がいるのにっ!」
「撤退命令が出た」
「………撤退。何で、何でですか!」
「後ろを見てみろ」
臍を噛んだ表情の永倉はそう言いながら、視線を後方へと向ける。それを真似て自分の来た道を振り返る。
自分は沢山の敵兵を斬ってきたのだ。そこには、敵の亡骸が並んでいるかと思った。
が、違った。後ろには、新選組隊士の姿はほとんどなく、先ほどまで戦っていた隊士が血を垂らし、苦痛を浮かべた表情のまま動かずに、地面に倒れていた。敵のよりも圧倒的に味方が多く倒れている。
「……な」
「いいから退がれ!味方の陣地まで振り返らず突っ走るんだ。これは隊長の命令だ。俺が殿をつとめる。いけっ!!」
隊士にとって「命令だ」と言わればすぐに体が行動するようになってしまっている。
悔しさと情けなさが、体の底から込み上げてくるが金秋は敵陣をひと睨みした後に、勢いよく駆け出した。
それと同時に、銃声や悲鳴が一気に耳に入る。先ほどまでは無心で戦いに没頭していたため、こんな酷い声や匂いを感じられずにいたのだろう。
銃声と罵声、悲鳴に血と油の匂い。
「すまない、………許してくれ」
退却するときに、どうしても味方の亡骸を踏んでしまうことがあった。その度に、金秋の心は強く締め付けられた。自分が先陣を切って敵を斬り、味方を守っていたと思っていた。
だが、金秋に弾が届かなかったのは、標的にされたのは後方にいた味方が居たからであると、金秋は初めて気付かされた。
自分は、味方に助けられていたのだ。
剣術を磨いて、「人斬り鍬次郎」と呼ばれて強くなった気分でいたら、この様である。
悔しさで目の前がぼやける。頭ががんがんと殴られたように痛む。
けれど、死ぬわけにはいかないのだ。
この刀だけは戦地に埋もれたり、敵兵に渡したりしてはいけない、大切なものなのだ。自分の命より尊いものだ。
「………みんな、悪い。いつか、絶対に弔いにくる」
金秋は弱々しい言葉を残し、戦場を後にした。
1868年(慶応4年)1月3日、鳥羽・伏見の戦いは旧幕府軍の歴史的大敗となった。
旧幕府軍はこれから、過酷な戦いと運命を辿って行く事になるとは、この時は誰も想像していなかった。
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