11、
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鳥羽・伏見の戦いの敗戦後。
4日から6日まで新選組は敗戦続きであった。
そして、多数の隊士の命が消えていった。そこには、試衛館時代からの仲間や幹部の死もあり、鬼の副長と言われていた土方さえも目に見えて苦しげな表情を見せていた。新選組を取り巻く環境が、そして度重なる負け戦と、隊士の死が、新選組の気力を失わさせていたのだ。
「俺は初めて船に乗りました!こんな重そうなものが海の上を浮かび、人が自由に動かせるなど、どうなっているんでしょうね」
そんな暗い雰囲気の中、一人だけ陽気な声で甲板に出てきょろきょろと辺りを見ている隊士が一人いた。
そんな彼を止めるものはなく、心配しながらも温かい視線で見守っている。
「総司だけであるぞ。こんなにはしゃいでいるのは」
「敵兵が襲ってくるわけではないのですから、今は気が抜けていても大丈夫です。もし敵襲があったとしても、僕が斬りますのでご安心ください」
「そうか。そうだな。総司がいれば安心だな」
鳥羽・伏見の戦いに敗戦し、そのまま北へ北へと敗戦を重ねた新選組は、近藤や沖田が療養のために下った大阪へと向かった。もちろん、合流場所は大阪城であった。負け戦を重ねた土方は、近藤に何度も「すまない」と謝っていたが、近藤は何も言わずに彼をの肩を強く叩くだけであった。
だが、その腕にはいつも力がない。どうやら撃たれた肩は、治療をされても元通りには戻ってはいないのだと、その一つの行動だけでわかってしまった。
朝廷が味方となった薩摩藩や長州藩などは新政府軍と呼ばれ、新選組ら徳川幕府の軍は幕府軍と呼ばれるようになる。
そんな幕府軍は大阪城に立て籠もるか、否なのか。皆が疲弊した身体のままそんな事を考えていた。
大坂城に残った武士達は、まだ諦めてはいなかった。そう、ここには自分たちの総大将である徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜がいるのだ。 慶喜はどんな判断を下すのか。幕府軍や新選組はその答えを固唾を飲んで待っていた。金秋自身は「戦いが終わるわけではない」と確信していたので、ただただ体を休めて過ごした。
だが、悪い事は続くものである。
「慶喜様がいない、だと?」
「………ああ」
「それはどういう事だ!?」
近藤の言葉に戦いから命かながら逃げ出してきた皆は唖然とした。目に見えて怒りを露わにしたのは土方であった。それに対し、近藤は苦しげに答える。
「どうやら、夜のうちに数人を引き連れて大坂城から出てしまったようだ」
「………それは逃亡したって事だろうよ」
「徳川殿は何か考えがあっての行動かもしれん。安易にそんな事を言葉にしてはならん」
「考えがあるなら、俺たちにも伝えるのが筋ってもんじゃないか。前線で命を賭けて戦ってんだ。死んだやつらも山ほどいる」
「………」
土方は激戦となった鳥羽・伏見の戦いの現状を知っている。
そして、無残に死んでいった隊士の最後の姿も、怪我を負い苦しんでいる姿も。そのため、土方は敵前逃亡がどうにも許せなかったのだろう。徳川幕府のために戦っていた旗本の武士も多くいたはずだ。そんな部下をおいて自分たちだけが安全な場所へと逃げるなど、到底考えられないものであった。例えそれにどんな理由があったとしても。
「それで、近藤さん。これからはどうする?まさか大坂城に籠城なんて考えじゃないよな」
「ここまで隊士が少なってしまったらいくら籠城でも戦力が足りん。立て直すためにも大坂からは出た方がいいだろう」
「俺も同じ意見だ」
将軍の逃亡により、幕府軍はまとめ役である存在を失ったのだ。これからは、自分たちで戦う道を見つけなければいけない。新選組の局長と副長は、隊士の増員を目的としてまた北へと向かう事に決めた。
そのため、幕府軍は船で大坂を脱出し、新選組幹部の故郷である江戸へと舵を切ったのだ。その船内には、治療のために大坂に居た沖田の姿ももちろんあった。大坂城には姿がなかった沖田だったが、皆が江戸に戻ると聞くと自分も行くと志願したようだ。弱っている体をでの船旅は辛いものだろうと止めたらしいが、あの男はにへらと笑いながらも頑固である。そう言い始めては、考えを曲げない。
そんな事から沖田の乗せた船旅が、始まった。短い旅路だが、沖田の調子はよかった。
先ほどのように、緊張状態であった隊士を笑わせていた。そんな姿を、試衛館の面々は懐かしい眼差しで見守っていた。幹部の中でも死亡したものが増えた。怪我を負っていた山崎烝が船内で亡くなった。金秋と同じくらい諸士調役兼監察として新選組に貢献してきた。金秋にとっても近しい人物だっただけに喪失感は大きい。沖田も山崎の亡骸を呆然と見つめていた。そんな暗い雰囲気を変えようとしたのが沖田だったのだ。誰よりも辛い状態の彼が明るく振舞っているのだ。他の隊士達は、今だけは明るく過ごそうと考え、誰もが笑みを無理矢理にでも作っていた。
金秋以外は。
金秋は夜になり、監視役以外が休む頃を待って行動を始めた。波の音が響く船内で、金秋は足を音を殺して暗い船内を歩いた。そして、ある個室の前に立ち止まる。小窓からは、明るい光りが漏れている。きっと、あの男は起きていてくれるだろう。そう思っていた。
「くわちゃんいるんでしょ?早く入って来ないと僕寝ちゃうよ」
さすが天才剣士と呼ばれた男である。足音も殺気も殺している金秋に扉一枚挟んだ場所でも気づかれている。
金秋は苦笑を浮かべたまま、無言でドアを開けて部屋に入った。
「ちゃんと死ななで帰ってきたね。やっぱり俺の第一部隊は優秀だな」
「……沖田さん」
「くわちゃん、初戦でかなり活躍したんだってね。新八さんが根性あるやつだなって褒めてたよ」
「沖田さん」
「そんなに活躍するなら、俺の代わりに第一部隊の隊長になってよ」
「………やめてください」
「………」
「そんな事を言わないで早く立って下さいよ」
「………ごめんね、くわちゃん」
沖田さんが元気なのは、口だけだった。
彼は、ずっと寝たままで動けなくなっていた。甲板で皆を笑わせた時であっても他の隊士に支えられながら歩き、椅子に座りながら、呼吸を小刻みにしながら過ごしていたのだ。
自分の力で立ち上がる事が出来ないほどに、沖田の体は弱っていたのだ。
「俺はもう戦えない。それは、くわちゃんだってわかってるでしょ」
「そんなはずは……」
「もう死ぬのを待つしかないんだ。戦えると思ってたけど、もう無理なんだ」
「そんな事を言うなっ!」
気づくと、金秋は寝ている沖田の胸ぐらを掴んだ。
そうすると、赤子のように軽くなった彼の体はいとも簡単に宙に浮いた。
わかっていた事だ。もう沖田という男は死んでしまうのだ、と。
もう一緒に戦に出る事も、稽古で技を競い合う事も、そして沖田に勝つ事も出来ない。
本当に手の届かない遠い所へ行ってしまうのだ。
だけれど、彼の口からそんな言葉を聞きたくはなかった。そうしてしまえば、もう彼の死を受け入れなければいけなくなってしまうからだ。
どうしても受け行けたくない金秋とは違い、もう目の前の男はとっくに死を受け入れてしまっていたのだろう。そんな金秋を、何故か微笑みを持って見つめていた。
「………くわちゃん。俺は本当に嬉しかったんだ。みんな俺を哀れんで見ていた。もう武士ではなく、病人としてしか見ていなかった。けど、くわちゃんだけは、こんなに弱った俺を最後まで武士として見てくれた。だから、布団で寝ているだけの悔しい時間になるとね、くわちゃん来てくれないかなって思ってたんだ」
「そんな事、俺は……」
体が震える。それは、掴んでいる服から伝わる沖田の震えではない。
金秋が、涙を堪えて悔しさを溢れさせているからだった。ふっと腕の力が抜け、沖田は布団の上に体を沈める。こんな些細な衝撃でさえも、彼の体にとっては毒なのだろう。また、重く乾いた咳が出る。沖田の胸の上に置かれたままの金秋の手からは先ほどとは違う大きな揺れが伝わる。それと同時に、彼の鼓動も。
こうやってこの男の胸の音は、あとどれぐらいなり続けるのだろうか。そう思うと、その命の音は弱々しく聞こえてしまう。
「俺はただ沖田さんのように強くなりたかっただけなんだ」
「今のくわちゃんなら勝てるんじゃない」
「そんなの意味がないんだ!だから、早く治してくれよ。お願いだ。俺が新選組には入ったのも、仕事をこなし続けたのも、強くありたいと鍛えてきたのも、全てあんたのためなんだ。沖田さんがいないと、俺は何を目的に生きればいい?戦う意味なんてないじゃないか」
いつの間にか沖田の顔がボヤける。
すると、よろよろと細くなった沖田の腕が伸びてくる。そうしているうちに、金秋の目に溜まった涙を指でゆっくりと拭い取ってくれる。普段ならば、「やめてくれ」と突っぱねる状況だが、今はどんな事は出来ずにそれをただただ見ていた。彼のおかげで良好になった視界には、沖田の頬に水跡があることに気づく。一瞬それが沖田のものだと思ったが、そうではないと理解に一瞬で恥ずかしくなり視線を外そうとする。
「………くわちゃん、聞いてよ。こんな俺でも夢があるんだ。これでも、夢を叶えたいって今でも思ってる。……馬鹿みたいだろう?」
「だったら死ぬなんて言わないで下さいよ」
「自分の体なんだから、あとどれぐらいで死ぬかなんて何となくわかるさ。こうやって息も絶え絶えでやっとの声に出来るし、誰かの助けがないと暮らしていけない人間が、あと何年も生きるわけがないじゃないか」
そうやって薄暗い船内で、彼は弱々しく微笑みを浮かべる。今は笑顔なんて見せなくてもいいのに。この沖田総司という男は、死ぬ直前まで笑みを浮かべているのではないか。そして、それは自分のためではなく周りに心配をかけないために微笑み続けるのだろう。そう思うと、我慢していた切なさが更に込み上げてくる。
この男に死んで欲しくはない。新選組としてもどうしても必要であると同時に、金秋自身が生き延びて欲しいと願うのだ。理由はただ一つだ。彼の背中を見ていたい、ではない。今は、彼と戦い強くなりたい。
この急激に変わろうとしている日本という国で、刀が武士が必要なくなる事はもう明白である。だが、それでも自分が生涯をかけて剣術を磨きたいという気持ちだけは、国が変わっても簡単に変わるはずがない。
刀が銃に変わり、武士は何に変わってしまうのだろうか。
どんな形だったとしても、金秋は武士でいつづけるだろう。そして、もちろん目の前の男もそれを望んでいた。
それなのに何故、一人だけの命だけがこんなにも短く終わってしまうのだろうか。納得など、終わりを見届ける事など出来るはずがなかった。
どの時代でも、刀を握り鍛え競い合い、戦いのだ。
認められるはずがない。その夢がが終わる事を。
だが、そんな風に思っているのは金秋だけだったのだ、と沖田の次の言葉を耳にして知ることになる。
「俺の夢はね、ありきたりだけど、剣術を鍛えて極めて、一番強くなる事なんだ。だって一番になったら、誰かを守れないなんてないんだよ。どんな敵がきても倒せるんだ。そして、やっぱり己の信念を貫いてまっすぐ生きる武士でありたいんだ」
言葉を紡ぎながらも重い咳を繰り返すうちに、乏しい明かりの中でもわかるぐらいの真っ黒な血が沖田の手のひらに広がっていた。彼の所々ある着物の染みは、沖田の吐血の跡である。咳のしすぎで食道を痛めただけではない、肺が悲鳴を上げている証拠である、体の中の血である。
弱々しく血を枕元にある布で拭おうとするが、血液はどんどん垂れて腕を伝っていく。この血の中に沖田の体を蝕む病原があるのだろうか。だとしたら、この血を斬ってしまいたい。それで沖田が治ると言うのならば、金秋は何度でも刀を振り落とすだろう。
まだ完璧に血が落ちきれていない手を必死に伸ばす。沖田は、金秋の手を握りしめた。
「どうしても叶えたい夢なんだ。……だから、俺の夢をくわちゃんに託す」
「な、何で俺に………」
「くわちゃんがまだまだ弱いから。もっと強くなって、俺より強くなって、剣術を磨いてよ」
「……沖田さんの夢を俺が?」
「そうだよ。誰よりも強くなるんだ。そのために、死んではだめだ。お願いだ。くわちゃんと俺の夢は同じだろう」
「違う!俺は沖田さんに勝ちたいだけだっ!」
「だったら、生きて強くなってよ。俺が死んだ後に、君が俺の夢を叶えずに死んで会いにきたら、俺はくわちゃんと絶対に戦わないから」
「………」
どう答えればいいのか迷った金秋は黙り込んでしまった。それ見つめながら、沖田は優しい声で言葉を残す。
「だから、俺の生きるんだ。新選組を守って欲しい気持ちもある。けれど、くわちゃんにはずっと生きて俺の夢を叶えて欲しいって思うんだ」
「……戦で死ねずに、どうやって戦えというんですか」
「逃げればいい。強くなるためには、生きなければいけないのだから。相手に勝てるようになってから戦えばいい事。そうしなければ、いくら命があっても足りないだろう。剣の道に進むのであれば、まずは生きろ」
「それが、何よりも難しいではないですか………」
武士になり、逃げる事は恥と言われてきた。新選組では、もし逃げれば切腹である。それぐらい武士にとっては弱い証である。けれど、沖田の夢は全く恥じるものではない。とても尊きもので、そして金秋が目指すものでもある。逃げて、生きて、強くなる。その理由はただ1つである。
「強くなって、沖田さんと同じ場所に行ったら、また戦ってくれるんですよね?」
その問いに対して、沖田はこの弱った体のどこから力が出てきたのかと驚くほどに強い力で金秋の手を握りしめた。木刀を強く握り稽古に励んだ沖田の手にはいつもまめができていたが、それもいつの間にかなくなっている。けれど、温かく優しい彼の手のひらからは、心地よい温もりが感じられた。それこそ、誰からも好かれ、強い武士である、金秋の憧れた沖田総司とう男、そのものであった。
「大石鍬次郎、俺の夢をまかせた。死んでもこっちにきても、簡単には勝たせて上げないからね」
鍬次郎は、大きく頷きそして刀に手を置きながら、彼の部屋から立ち去った。
金秋の夢を、刀を持って沖田は死んでいく。そして今、手にしている刀と共に、鍬次郎は沖田の夢を託されたのだ。
最後に鍬次郎が見た沖田総司という男は、いつもと変わらぬ、子どものような無邪気な表情であった。
金秋はこの過去を夢で見るたびに、誓い気持ちを強くもちなおす。
必ずや叶えて、死んでやるのだ、と。そして、沖田が驚き「強くなったな」と言ってくれる日を夢見続けるのだ。
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