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「え、まだ来れないのですか!?」
『無理ですね』
助けて欲しい時に助けてもらえない。そんな一言は、どんなに優しく語りかけられたものでも、無情で冷たい残酷ささも感じられてしまうのだろうか。相模の瞳にはうっすらと涙が浮かぶほどに、その言葉は辛いものであった。
「どうしてですか!?金秋さんは、こんなに苦しんでいるのに。命の危険があると言ったのは、斎雲さんじゃないですかっ!どんなに叫んでも、体を揺すっても、ビンタしても起きないなんて、おかしいじゃないですか!本当に死んじゃうかもしれませんよ」
『私もすぐに駆けつけたいのは山々なんですが、まだ龍蛇神の御力を十分に借りれる状態ではないんです
。あと少しなんです…』
「……俺だって、金秋さんがどれぐらいもつかわからないですよ」
宇都宮から帰る新幹線の中。
金秋はいつものように窓際に座ったまま、空を眺めて過ごしていた。そんな彼を、相模は横目で見ながら「今渡しても良いだろうか」「茶碗を上げた後にサプライズで渡せば良いか」など考え浮き足立っていた。だが、そんなソワソワとした時間をふっとした瞬間に我に返った。そして「恋人同士じゃあるまし!」と自分が贈り物1つで盛大に盛り上がっていた事を恥じ、そして大きく深呼吸をして目を瞑る。そして、金秋を盗み見て始めに戻る、というエンドレスな一人芝居をしていた。
1人ででそんな馬鹿げた事を思考していたのがしていたのがダメだったのだろう。
降りる直前になり、珍しく寝たまま起きない彼に気づいたのだ。名前を呼んでも肩を掴んで揺すっても起きない。ぐったりと背もたれに体を沈めているだけだった。そして、その時に気づくのだ。彼の顔にまであの蛇の鱗の跡が付いていること。
終点の駅だったから良かったが、ずっと寝ていれば駅員が来てしまう。そうなってしまうと厄介である。相模は自分より大きな金秋の肩をかついで、新幹線を降りた。そして、すぐに迅を呼んだ。
周りの人々には相模や迅は見えないが、金秋は見える。不自然な体勢で、下車した彼に驚いた様子で見ていた。が、その瞬間、金秋の体がガクンと落ちた。その後すぐに何かに担がれるようにして物凄いスピードで走り去ったのだ。その間、時間にして2秒も無かっただろう。人々は、何が起こったのか理解する時間も声を出す暇もなかった。
そこに残ったのは相模だけ。相模は人知れず「迅、頼んだぞ」と言葉を残した後、駅構内を走った。タクシーに人乗ることも出来ないので、いつも通り電車に乗って帰る。すぐにでも彼の家へ戻りたい気持ちが強く電車の待ち時間もうろうろとしてしまった。
時間がかかってしまったが、金秋の家に到着すると迅は何故か部屋に入れていた。相模も迅のおかげで部屋に入る事が出来た。鍵を持っているのは金秋なので、迅がそれを使ったと思うと、本当にあのニホンオオカミは優秀すぎるだろうと思ってしまう。が、今はそんな事を気にしている暇はないのだ。
真夏の直射日光を浴びながら必死に走って来た。汗は全身から噴き出しているし、喉もカラカラである。だが、相模はすぐにいつも彼が座っているリビングに向かう。と、そこに金秋は居た。
だが、いつとは違う。前回と同じようにリビングに倒れていた。だが、今回は乱雑にひかれた布団の上に体を投げ出していた。きっと、迅が何とか布団を引こうと奮闘したのだろう。人間のように上手く敷けない事を恥じてたのか、クーンと相模の後ろで鳴きながら訴えている。相模は「大丈夫。ありがとな」と迅の頭を撫でる。
そして、少しの間金秋の体を畳の上に移動させ、布団を敷いた後に戻した。
「金秋さん、戻りました。大丈夫ですか?」
「………」
「絶対に何とかしますから」
どんな時でも武士は刀と共に。
それを行動で示すかのように、金秋は3本の刀を抱きしめるようにして、呼吸を荒げ眠っている。
彼も戦っているなら、自分も何かしなけばいけない。
宇都宮城址の時のように、怖い思いをすることになったとしても、やらなければ後悔する。後悔する頃手遅れになってしまうのだ。影葵を抜いた事を相模は後悔はしていない。金秋の助けにはなっていなかったかもしれないが、それでも敵の注意を逸らしたり、多少なりとも敵の数は減らせていたはずだ。金秋が楽に戦えていたのなら、良かったと思える。
だから、ここで金秋が苦しんでいるのを見ているだけで、斎雲の事を待っているだけの時間を過ごすのはダメだとわかっていた。
だから、斎雲に電話をしたのだ。
「金秋さんが少しの間でもいいので、楽になる方法とかってないですか?」
『私が電話口でお経を読むぐらいになるでしょう。それならば、多少なりとも呪いの力を一時的ですが抑え込むのは可能です。ですが、あくまで一時的なもの。根本の解決にはなりません』
「それでもかまいません。少しの間、でも楽にして上げてくれませんか?」
『わかりました。相模さん、何か悪いことでも考えてませんか?』
「そんな事ないです。じゃあ、スマホを金秋さんの枕元に置くので、お願いします」
『承知しました』
斎雲は何か言おうとしたが、少しの間を残してそれを飲み込んだ。
そして、相模は金秋の耳元にスマホを置いて間も無くすると、電話口から聞き慣れた声のお経が聞こえて来た。そして、彼が言っていた通り、お経を流し始めて1分もしないうちに、少しずつ金秋の呼吸は落ち着いて来た。
金秋の穏やかになってきた表情を見て、相模は安堵の一息を吐くと静かに立ち上がった。
「ごめんなさい、斎雲さん。嘘つきました。迅、金秋さんを頼むぞ」
遠い場所から金秋のために必死にお経を読んでくれている斎雲の耳には入らないぐらいに音量で呟くと、相模はあるものを持ち、その場所から去った。
相模は、自分なりの方法で金秋を止めようと決めたのだった。
ーーー
「何をするつもりですか、相模さん」
お経を読み終えて、「相模さん、終わりましたよ」と声を掛けたが、もちろんそれに返事を返すものはいない
途中で、相模が部屋を出て行ったのは気配でわかっていた。そして、厄介なものまで持って行ったことにも。
だが、お経を途中で止めるわけにはいかない。相模が心配していたように、彼は危ない状態であろう。長い時間、持ち堪える事は出来ない。だからこそ、お経をあげて、少しでも時間を伸ばしたい。
「誰かいるか」
「はい」
電話を切り、斎雲は声を上げる。すぐに別室に控えていた弟子の1人が駆けつけてくる。まだ未成年の若い見習いだ。普段穏やかな斎雲だが、何か事件が起こると途端に厳しくなる。それは、自分だけではなく弟子の命まで預かっている身なのだ。何かあっては遅い。厳しくなるのは当然の事。それは弟子もわかっているようで、今もその空気を読んで厳しい目つきで斎雲の指示を待っている。
「今から教える場所に行って欲しい。そこに居る武士風の男が倒れている。呪いを受けているものだ。蛇の呪いだ。思ったより進行が早い。私がここで御力をお借りするまで持つか心配だ。私が向かうまでおまえが呪いの進行を行ってくれないか。もちろん、止める事は許されない」
「承知しました」
「四無行の練習だと思えばいいだろう。9日間もかかる事はないから、心配はするな。だが……」
「はい」
そこで一度話を区切る。
どうしても、これだけは強調して伝えたい事だった。
「人の命がかかっている。心して臨んでください。」
「はい!」
「だけれど、あなたの命が危ないと思ったら逃げなさい」
「………え」
「自分の命を大切することが何よりも大切です。あなたが死んでしまったら、その武士の命さえも救えなくなるのです。私たちは人の命を救うことも大切ですが、自分の命も尊く思わなければいけません。そうしなければ、修行した意味がなくなりますよ。神様につかえている者の言葉とは言えないですが、死んでからお支えすればよいでしょう」
「斎雲様………」
「では、頼みましたよ。私も一刻も早くそちらに向かいます」
そう言うと、斎雲は颯爽と立ち上がり部屋から出た。
日が暮れて、蒸し暑くなった晩。ここに到着してからずっと神に語りかけていたが、「我は知らん」という態度で全く向き合ってくれないのだ。そのため、作戦をねっていたのだ。どうやら、見返りは酒では見合わないらしい。
斎雲は、宿から出てすぐに竜神崎と呼ばれる神社に向かう。パワースポットとなり昼間は人が多いが、夜は誰もいない神秘的な雰囲気が増す場所だ。目の前は海が広がっており、波の音も激しい。そしては、浜辺には鱗状の薄い石が重なり、本当に龍が体を休ませているような不思議な景色が広がっている。
深く頭を下げた後、斎雲は鳥居の中に入り神域に足を踏み入れる。その瞬間に、目の前に澄んだ葵色をした鱗の波が現れる。
『また来たのか。暇な人間よ』
「こう見えても忙しい身なのですが、どうしても高貴なあなた様の御力をお貸しして欲しいのです」
『人間同士の呪いだろう。しかも、我の可愛い子を非道な方法で殺した人間に、何故私が力を貸さなければならん。逆に呪いを落としたいぐらいだ』
「我ら人間が申し訳ないことをした。だが、人間は罪を犯す生き物であるのは神が1番ご存知ではないんですか?」
『だからと言って人間が行ったやましい行いを何故私が無条件で何とかしなければならない』
「では、無条件でなければ良いのですか?」
『酒はいらんぞ。飲みきれんほどの酒を捧げられているからな』
龍蛇神の顔は見えない。あまりにも長い胴体のせいか、斎雲の周りをうねうねとした鱗だらけの体が囲んでいる
。顔を見せるほどの相手ではないと思われている思われているのだろう。
だが、神も所詮は元は現世の生き物である。思考や欲望は人とほとんど同じ。そして、好奇心は現世を生きるものよりも大きいはずだ。長生きをしているほど、知識もあるが平凡に飽きている。刺激が欲しいのだ。
「龍蛇様は現代人で透明な体を持つ者が現れたという話はご存知ですか?」
『………何だと?』
食いついた。
思わずニヤけてしまいそうになりながらも、斎雲は冷静を装った。が、龍蛇神の動きが止まった時はさすがに口元はうっすら上がってしまう
そして、先ほどとは違う動きを見せた龍蛇神はやっとの事で顔を表した。横顔のみであるが、さきほどの鳥居よりも大きな顔だ、銀色の毛は宝石でもまぶしているのかと思うほど煌めいており、風もないのにヒラヒラのなびいていた。大きい目は、澄んだ海のようなコバルトブルーで、漆黒の目が斎雲を見ていた。これほどまでに神が近くに姿を表したのはいくら斎雲でもほとんどない事だ。怖い、と思ってしまう。袴中の足はガクガクと震えている。
だが、これは神との交渉の場。弱い部分を見せた方、優位だと思わせた方の負けなのだ。
『今時珍しい術にかかったものがいるものだ。それはどんな人間だ』
「その人間に近い人物が、呪いにかかっているのです。呪いを解いていただける際にその者も近くにいるかと」
『面白い人間だ。おまえは、我に条件をつけているのか』
「そんな事はございません。龍蛇神様が気になると言うので情報を提供したまでです」
『だが、名は話さんつもりなのだろう』
「………」
返事をする代わりに、笑顔を浮かべる。
かなりの賭けである。斎雲の態度に激怒されれば、呪いを解いてくれるどころか、斎雲の命さえも危ない。
だが、斎雲は今までの経験でわかっていた。対等に話した方が神様の好感を得やすいという事だ。ただ願うだけでは面白みがないのだろう。神様というのは、どうやっても貪欲なのだ。
『よかろう。その貧弱な呪いなど喰ってやろう』
「ありがとうございます」
深々と頭を下げた、斎雲は笑みを浮かべていた。
自分の依頼の遂行のためならば、自分の命を守るためならば、何でもする。
それが、斎雲の信念であり義なのだ。
だから、相模に謝るつもりなど更々ない。
さて、解決したらどこの国で豪遊しようか。そんな事を考えながら頭を上げる。
その瞬間に、彼の表情は至って真剣なものに変わっていた。
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