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次に相模が目を覚ました時には、小屋の外の大きな木の下にいた。
うっすらと空には光りが差し込んできており、夜明けを迎えようとしていた。鳥達が目覚めの時間だと、さえずりで起こしてくれたようだ。ふわふわとした芝生。そこから身体を上げる。と、身体に少し古びたバスタオルのようなものが無造作にかけられていた。
誰がやってくれたのだろうか。いや、そんな人間は一人しかいない。
「………金秋さん?」
「やっと目覚めた。だから、言っただろう。何もないとはいえ、あの剣で斬られてなんともないはずがないのだ」
「あの剣はそんなに特別なものだったんですね」
「死者しか斬れない時点で変わりものであろうが」
「………確かにそうですね」
相模は自分にかけてあるタオルをたたみながら、返事をする。
そして、このタオルのお礼を言おうとすると「私ではない。迅がやった」と、視線を逸らしながらぶっきらぼうに言ってきた。この武士は、どうやら素直ではないらしい。そういう事にしておこうと相模は「ありがとうございます」と、どっちにも伝えられるように言葉を発した。もちろん、金秋から返事はない。
迅は疲れていたのだろう。金秋の近くに伏せをした状態でまだ目を瞑っていた。きっと仲間が心配でしかたがなかったのだろう。相模が一人ずつ成仏させるために犬を抱き上げる度に近づいて、犬たちをじっと見つめて鼻と鼻を合わせていた。「大丈夫だ。心配するな」と、伝えていたのだろうか。斬られる事に不安になっていたはずの迅だが、相模や迅の気持ちを理解してくれたのだろう。金秋が斬ろう刀を握りしめても、迅が止めに入ることはもうなかった。そして、犬達もそんな迅を見てわかったのだろうか。成仏された数が多くなっていくほどに彼らは怖がり、鳴くことはなかった。むしろ、自分から相模に近づいてくるものもいたほどであった。
そんな犬たちの姿を見て、相模の目には涙が溜まるいっぽうであった。
確かに途中から眩暈がしたり、頭痛に襲われる事があった。倒れそになった時もあった。
だが、自分を信じて最期の瞬間を一緒にいようと決心してくれた彼らの気持ちに答えなけらばいけない。そんな使命感から相模は最後まで頑張る事が出来たのだろうと思えた。
まあ、終わった瞬間に倒れてしまったが。
「あの、最後に犬達の骨を埋めてやってもいいですか?」
「墓なら出来ている」
そう言って、金秋は小屋から離れた森の中に視線を移す。
昨夜は見えなかったが、木々が立ち並ぶ場所に一箇所だけぽかんと草だけが生える場所があった。昔、ここには人間が作ったなにかがあったのだろうか。不自然に空いた場所があるのだ。そこに、大きめの岩が置かれていた。その周辺には草はなく、土が重ねられている。
金秋が一人で小屋から犬たちの遺骨を運び出し、供養のために墓を作ってくれたというのだ。
「あのお墓、………金秋さんが作ってくれたんですか?」
「勝手にやってわるかったな」
「いえ、そうではなくて。俺もお墓を作ってやりたいと思っていたので。ありがとうございます」
「おまえに礼を言われるような事ではない」
「そうですね」
この武士はやはり変わり者だ。
けれど、あの切なげな横顔を見た時から、彼の凶悪なイメージだけではない部分があるのではないか。そんな予感がしていたが、やはりそれは間違ってはいなかった。
本当に仕事だけを遂行し、斬ってしまえば終わりという考えをもっているのであれば、迅が嫌がっていても犬達を斬ってしまえばよかったのだ。いや、それ以前に依頼でもないのであれば、無視してもよかったはずだ。だが、金秋は迅の願いを無視出来なかった。
そんな人が、本当に悪い人なのだろうか。そもそも、死んだ人間を斬ることを仕事にしているのだっておかしな話である。そんな事をやりたいと思う人はいないはずだ。それを粛々とこなしている金秋。 誰もやりたがない仕事をやるだけでもすごいことだ。
金秋は、どうしてそんな仕事をしているのだろうか。
やはり、気になってしまう。その気持ちは今回のことで大きくなってきている。
金秋は相模の考えている事など全く関係ないかのように、立ち上がって動き出した。すると、それに気づいた迅も目を覚ましたようで、大きく口を開けて欠伸をするとスクッと立ち上がり、彼の後を追った。
彼らは墓に向かっているようだったので、相模も同じように足を進めた。
すっかり辺りが明るくなり、木漏れ日の間から白色の朝日が差し込み、葉たちを輝かせていた。
そして、スポットライトが当たっているかのように、墓にも朝の光りが包んでいた。良い場所に墓を作ってもらったな、と相模は思った。
金秋は墓の前に膝をついて座り、手を合わせて祈っていた。姿勢がいいのか、長い髪が艶めいているからなのか。その姿を見て、綺麗だなと思ってしまった。
フッと視線を墓の方へ向ける。きっと、この周辺に落ちていた岩を見つけたのだろう。人の膝ぐらいまではある大きめの岩が墓石代わりのようだ。倒れないように砂で固定されている。その表面に何か傷があることに相模は気づいた。よくよく見ると何かで削られており、字が書いてあるようであった。『犬ノ墓』と彫られていたのだ。
目の前には、夏の強い日差しを浴びて輝く山が見える。ここは人間が住みにくい、ほぼ手づかずの山なのだ。
きっとここに眠った犬たちは怖がる事もなく山を駆け巡るのだろう。相模がしてあげたいと願った事だ。
飢えも苦しさも感じずに遊べるはずだろう。
相模も金秋の横に並び、同じように手を合わせた
伝えたい事は沢山あった。けれど、相模はあえて1つの言葉だけを選んだ。
「おやすみ。………いい夢を」
「これが今回の報酬だ。ご苦労だったな」
相模の家の最寄駅に到着した頃には、太陽が真上まで登った昼過ぎであった。ランチタイムの時間で、サラリーマンや学生たちで街中はごった返していた。誰もいない所で一人喋る武士を知らないふりをしつつ隠れて見ている人達も多かったが、当の本人は全く気にしていないようであった。
金秋は懐からお金が入った古びた和紙に包んだ金を相模に渡そうとした。
確かに夜中に呼び出されて、食事も取らずに真夜中の山に連れてこられ、古びた小屋に一人で入るよう命令されたのだ。その時の苦労と怖さを考えば、報酬は貰えて当然だと思ってしまう。けれど、今回は迅からの依頼。仕事では断るつもりだったが、迅が助けを求めていたから駆けつけたのだ。
だから報酬を貰うのは違うように思い、相模は和紙に包まれた金は受け取らなかった。
「それは受け取れないです」と首を横に振ると、金秋は驚いた表情を見せた。そして、目尻が下がった親に怒られた子どものような顔を一瞬見せたのだ。だが、それは本当に刹那的なもの。
けれど、相模の脳裏にはしっかりと焼きついた。刀を握る時は人を目で殺せるのではないかと思えるほどに鋭いというのに、時々見せる幼く儚げな表情は相模の気持ちを迷わせるものであった。ただの残虐な幽霊斬りであるのならば、ここまで彼の謎を知りたいとは思えなかっただろう。
きっと、彼も何か苦しみを抱えている。それが伝わってくるのだ。
「この依頼が終わったのならば、この仕事を辞めるのだろう。餞別込みで多めに入っている。いらんのか」
「なら、なおの事受け取れません」
「………どういう事だ」
「この仕事を、まだ続けさせて欲しいんです。だめですか?」
「…………どういう風の吹き回しだ。少し前まであんなにも嫌がっていたではないか。報酬の良さに惜しくなったか」
「お金が貰えるのは確かにありがたいですよ。透明な体になったおかげで生活は苦しいので。でも、そんな理由だけで、こんな悪待遇の仕事を選びませんよ」
「………悪かったな」
仕事について悪い事を言われているというのに、彼は不思議と機嫌が良さそうにしていた。いつもならば機嫌が悪くなりそうだというのに。
言葉の通り、この仕事の待遇は最悪だ。突然夜中に起こされたと思えば、準備なしに遠征させられるし、山で野宿もさせられる。そして、幽霊が出るといわれる場所で一人待機させれる事もあれば、恐ろしい武士の幽霊に襲われそうにもなる。何よりも怖いのは仕事主がすぐに「斬るぞ」と、言ってくる事だろう。ここまで考えると、本当にこの仕事を選んでもいいものなのかと思い直してしまいそうになるほどに、酷い内容だ。
「けど、やっぱり幽霊とか妖怪とか人ならざる存在のことは何も知らないから、この不可解な体になった原因を突き止めるには、この仕事をさせてもらうのが解決の糸口になるような気がするのです」
「その考えは、最もであろうな」
「でも1番の理由は違います」
「だから、金だろう」
「違います」
「勿体ぶるな、早く言え」
相模が話を進めて、楽しんでいるのがわかり、さすがの金秋も怒ったのだろう。低い怒り声を上げる。
それさえも今は楽しいと感じてしまう。主導権をもって話す事などなかったのだから、面白い。それを言ってしまった、きっと鯉口を切られてしまいそうだが。
「また、金秋さんが作る茶漬けが食べたいんです」
どんな理由があったかはわからない。
けれど、人と接する機会がなくなり、訳がわからない透明人間になった自分を声を掛けてくれたのは、まぎれもなく金秋なのだ。
彼と出会った事で、知れた事もたくさんあった。そして、少しは人間のように過ごせるようになったのだ。
上司は、幽霊斬りの見た目と中身がひと昔もふた昔も、いやそれ以上昔の武士で口も悪い、仏頂図の男だ。
けれど、悲しげな雰囲気を隠し持つ謎めいた男。
「………おまえという男は、本当に想像以上の馬鹿者だな」
悪態をつく金秋だが、この口元は緩んでおり、迅と触れ合う時のように穏やかな笑みを微かに浮かべていた。
それは手を焼く野良猫が自分に懐いた時のように妙に嬉しく、胸が温かくなるのを感じてしまう。
「なので、今回の報酬のお金はいらないので、またお茶漬けをご馳走してくれませんか?」
「調子のいい男だ」
そんな事を言いつつも、金秋は相模を自分の家へと連れて行った。優しい男だ。なんて、思ってしまう。
いつも先を颯爽と、だけども静かに歩く武士。そして、その横を歩く貴重なニホンオオカミの迅。
確かに彼らは自分とは生きる時間が全く違う存在ではある。
けれど、だからと言って人間と何が違うのだろうか。
自分だって、透明人間になったからと言って人間の頃と想いが変わった訳はないのだから。
「お腹空きましたね」
「おかわりはやらんぞ。足りん時は自分でデリバリーでも頼め」
「武士がデリバリー………」
「斎雲のやつが頼むんだ。俺はやらん」
今日のお茶漬けはどんな具が乗っているのだろうか。
出来れば、初めて食べたものがいい。あれは格別に美味かった。泣きたくなるほどに。
今からまた2人と1匹で食べられる。
それが楽しみで仕方がないのだ。
相模は、駆け足で彼らに近づき、金秋の隣りを歩く。
見える景色が変わった事に、今は陽だまりのような温かさと光りを感じた。
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