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闇夜にポツリと灯る、唯一の光りが物凄い勢いで相模の元から去ってしまう。
これですぐには帰れなくなったと、ため息と共に肩を落とした。
前回と同じように、相模と金秋を乗せてたタクシーは猛スピードで去っていく。
金秋が「釣りはいらない」と万札を数枚渡すと運転手は泣きそうになりながら「頂戴致します」と震える手で受け取った。2人が下車すると、すぐに自動扉を閉じて勢いよく走り出してしまう。一本道だったので遠くまでタクシーのライトは見えたが、途中で迅の鳴き声が耳に入ったので、相模はすぐにそちらの方へ視線を向けた。
迅は不安げ金秋の周りをウロウロしている。
時々、寂しげな声をあげながら、道の先を見ているのだ。
迅が見る先には、今にも壊れそうな木造の廃墟が建っていた。周りは森に囲まれており、完全に山の中だった。丘のように低い山なのだろう。そんなに斜面がない。この辺りは街灯もなく金秋が持っている、そこだけ昼間のように明るくなる高機能のライトがなければ、歩くことも困難だろう。
長い間人間が立ち入っていないようで、車道らしき大きめ獣道にも低い草が生え始めていた。 ちょっとした広場のような場所は、この廃墟の駐車場だったのだろう。よくよく見ると軽ワゴン車が停めてあった。が、どこも錆びて黒くなり、白い車体がほとんどわからないほどだった。窓ガラスも全て割られており、そこから背の高い雑草が顔を出している。廃車になったものだと一目でわかる。
心霊スポットして有名になりそうなほどの、独特の雰囲気がある場所。
この場所が迅が目指していた場所なのだろう。タクシーよりも早くこの場所に着いていた迅は、金秋と廃墟を交互に見上げている。
「おい」
「はい………って、危ないじゃないですかあ!」
言葉と同時に何かを投げられ、相模は咄嗟にそれをキャッチする。手の中に落ちたのは、彼が先程まで持っていたライトである。
「あの廃墟の中を見てこい」
「迅が連れてきた場所ならもちろん行きますけど………って、まさか……」
「一人で行ってこい」
「ひ、一人で!?」
何の冗談を言っているのだろうか。
こんな山奥にひっそりと建つ廃墟に一人で行くなど、リア充がよくする罰ゲームか、動画配信者か心霊オタクだけだろう。しかも、どんな奴でも1人で行ける人間などいるはずがないだ。
どっからどう見ても幽霊しかいない。いや、人間がいたら1番怖いかもしれないが。
どちらにしても、怖い事には変わりがない。
「あの……迅は一緒じゃないんですか?」
「こいつが行ったら何をされるかわからないからな」
「………俺が行ったらどうなるんでしょうか!?」
「それが見たいのだ」
「ちなみにこの廃墟ってどんな場所なんですか?」
「行けばわかる」
「………わかりました」
もう何を言ってもダメだと理解して、相模は受け取ったライトの電源をつける。すると、先の廃墟が照ら照らされて、ようやく全容を把握する事が出来た。この建物は平屋造りになっており、2階はない。そして、小屋なのか、窓もほとんどなく、横に長い広い作りになったいた。何かの用具などを保管する場所だったのではないか。相模はそう予想した。
人が住んでいた場所じゃなさそうだと判断すると、相模の気持ちは少しだけ落ち着いた
「早く行ってこい」
「い、いってきます!」
返事をしながら、ちらりと後ろを振り向く。
すると、ライトがないのにしっかりと迅の顔が見えた。不安に目を細めて自分を見つめていた。
どうやら、先程まで熱い雲に隠れていた月が顔を出したようだ。月明かりの元、2人に見送られながら相模は廃墟へ足を進めた。
大丈夫。近くに、金秋と迅がいるのだ。大声を上げれば、きっと迅はすぐに来てくれるだろう。まあ、金秋はわからないが。
一歩一歩慎重に足を踏み入れるたびに、草の青臭い匂いが立ち上がってくる。
丸く光るライトだけがよく見えて、円外は逆に何も見えなくなるのが、不気味だ。だが、ここで逃げ出したらきっと金秋に怒鳴られる。それに、迅の依頼を遂行出来なくなってしまう。
相模は大きく息を吐いた後、「行くぞ」と小さく声を上げて自分自身を掻き立てる。
そして、やっと近づいてきた廃墟の壊れたドアノブに手を伸ばした。
鍵は当然のように開いていたが、小屋自体が歪んでいるため、しっかりは閉まらないようだった。
ホラー映画でお決まりである、ギギギギという音と共にドアが開くと、暗闇と共に妙な匂いが相模を招き入れた。
臭い。何かが腐ったような匂いと獣の匂いがした。そして相模がライトの光りを長細い小屋に向けた時だった。
「ワンワンワンワンッッツ!!」
「ウウウウウウーーーー」
突然の動物の叫び声に相模は、体をお大きく震わせ「わあ!!」と鳴き声にも負けない大声をあげてしまう。けれど、犬たちの叫び声には勝る事はなく、あっという間に掻き消されてしまう。
「な、何だよ。ここ……」
闇に浮かび上がってきた光景に、相模は震えが止まらなくなる。
部屋の両脇にズラリと並べられていたのは、小さな檻。重ねられて置かれており、それは小屋の反対側までずらりと続いている。そして、そこの中にいるのは、犬たちであった。
何匹いるのだろうか。ざっと見ただけでも、70、80匹ぐらいはいるだろう。
その犬たちを見て、相模は怒りと悲しみの感情が一気に押し寄せてきた。
檻はどれも小ぶりに作られており、方向転換をするのがやっとなほどであり、数歩も歩けないのだろう。そして、犬たちはどれも汚れ、痩せてこけていた。尿や便をしても掃除をされていなかったのか、毛には汚物が塗れている。そこから悪臭が漂ってきているのだ。手前に座っている芝犬は痩せ過ぎてしまい動けなくなっている。吠える気力もないのだろう。吠える元気がある犬はまだましな方かもしれない。
だが、いずれにしても劣悪な環境で育てらているのだ。
いや、育てているわけではない。捕まえられて、そのまま放置されているのだろう。
「誰がこんな酷い事を………」
相模は、ゆっくりと小屋の方へと足を進める。
どんなに吠えられても、相模は怖くなかった。この犬たちが憐れすぎるのだ。きっと、人間に怯え、飢えや病気、苦しみ、出られない不安とストレスで吠えるしか出来ないのだろう。こんな状態で人間を信用しろなんて、無理な話だ。早くここから助けてやろう。それしか、頭になかった。
だが、どうすればいいのだろうか?保健所に連絡してしまえば、捕まえられて数日で飼い主が見つからなければ、即処分されてしまう。こんなに荒れて、病気をもっていたり、飢えに苦しみ、人間にトラウマがある犬など、誰が飼ってくれるのだろうか。
ボランティアもいるかもしれないが、一気に70匹以上の問題ありの犬を引き受けてくれる人などいるだろうか。
そう簡単に見つかるはずもない。半数以上が病院に通う必要もありそうだ。そうなると、かなりのお金がかかる。
この犬たちの未来はどうやっても明るいものではない。
それがわかってしまうと、込み上げてくるものがあり、相模の瞳には涙が溜まり始めた。
ゆっくりと歩いていくと、小屋の入り口と反対側に到着をする。すると、そこには大量のドックフードが置かれていた。かなり古びているが匂いなどは特に異変はない。
「こんなことしか出来ないけど。やらないよりはいいよな」
相模はそう自問自答すると、重い袋をずるずと引きづり、ドックフードの中に手を突っ込み掴むと、手前の檻にいた犬の前に餌を置いた。その檻の中には小さなダックスフンドがいた。目がクリクリとしていて、可愛い子犬だろう。相模が檻の中に手を突っ込むと驚いて後ろに下がり、丸まって震えてしまっていた。
「ごめんな。食べれたら食べろよ」
そう声をかけながら相模は犬の目の前に餌を置いた。
けれど、その茶色毛のダックスフンドは匂いを嗅いだだけで、口を開こうとはしなかった。
警戒しているのか、それとも食べる気力もないほどに弱っているのかはわからない。
今、食べてくれなくてもいい。
もしかしたら、後で気が向いたら口に入れてくれるかもしれない。
相模は餌を与える作業を続けることにした。
すぐに食べるものもいれば、先程のダックスフンドと同じように怖がり食べないものも多かった。それに恐怖なのか、怒りなのか、相模の手を引っ掻いたり噛み付こうとしたりする犬もいた。それを避けながらも、相模は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
迅が助けを求めていたのは自分の事ではなかった。
オオカミとイヌは同じイヌ科の動物であり、姿形も似ている。きっと仲間が苦しんでいるのを見つけて、助けを求めたのだろう。
檻に入れて閉じ込めるなど、人間以外の動物がするわけがないのだ。
こんな酷い事をするなんて、と同じ人間として恥ずかしくなる。
相模は、怒り気持ちを持ちながらも、犬の世話をするときは穏やかに話をかけるようにした。全ての餌を配りおわった後に相模は庭にあった蛇口をみつけたので、古びたバケツを使って何度も行き来して、犬たちに水を与えた。檻に垂らすしか出来なかったのが申し訳なかったが、犬たちの反応は餌よりも良かった。食べるより飲むほうがらくなのだろう。飲んでくれると、相模も安心した。
全てが済んでから、相模は涙を拭って金秋の所へ向かった。
「金秋さん、この子たちをこの山に放ちませんか」
それが、相模の考えついた答えだった。
この犬たちはもう長くないだろう。
病気もしているだろうし、目も見えていない犬もいたようだ。きっと栄養失調からくるものだろう。
保健所に連絡しても殺されるだけ。助けたあげられる人もいない。
相模自身だって70匹も同時に助けられるはずもない。
だったら、最後ぐらい自由に自然の中で生かしてやってはダメだろうか。
餌ぐらいだったら、相模のお金で何とかなるだろう。先日の報酬だってあるし、仕事も少しずつ入るようになってきた。それにもう何年も餌を買い続けるわけではないだろう。
もしかしたら、野生の動物にやられてしまうかもしれない。それも心配ではあるが、ここで檻の中で自然を知らずに死ぬのと、人間に処分されるのだったらどちらがいいのだろうか。
人それぞれ考えは違うだろうが、相模は残された短い時間、穏やかに過ごして欲しいと思ってしまったのだ。無責任だと言われるかもしれない。
だけど、相模はそれしか考えつかなかった。
「せっせと餌や水を与えているかと思ったら、そんな馬鹿な事を考えていたのか」
「……え」
「おまえは何を見てきたのだ。この犬たちをよく見てきたのか?」
必死になって考えた事を馬鹿にだと一蹴されてしまい、相模の感情は爆発してしまった。
ちゃんと見てきたか餌や水をあげてきたのだ。それの何が悪いのだろうか。
山にかえして、つかの間の自由を感じてもらいたい。
その考えの何が馬鹿だというのだろうか。
「……ちゃんと見てきましたよ!だから、助けたいんですよ!だけど、無理だから少しの食料と水、そして自由をあげたかったんです!それの何が悪いんですか?また、あれですか。苦しんでいるなら殺したほうがいい、って、金秋さんは思っているんですか?」
大声と早口を金秋にぶつける。
ライトを振りまわしながら、怒りの感情のままに言葉を荒げる。
それを、金秋はいつもの無表情で聞いている。
武士はいかなるときも冷静じゃなければいけないとかいうやつか。そんなの糞食らえだ。
こんな犬たちを見て、悲しくなり、怒ったり、泣いたり出来ないのならば、人間でもないじゃないか。そう思ってしまうのだ。
「………じゃあ、金秋さんはどうすればいいと思うんですか?また、お得意の剣で斬るんですか」
「ああ」
「………斬れば、死ねばあの犬たちは幸せになれるんですか」
「おまえは本当に何も見てないのだな。あやつらの姿を」
「………え」
金秋は、隣に寄り添うに座る迅の頭を撫でながら、目を閉じた。
「あの犬たちは皆、もう死んでいるではないか」
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