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「あの………本当にこの人達はこの世に疲れているから成仏したいと願っているのですか?」
「それは、どうしう事ですか?」
お経をあげようとし始めた直後に、相模によってそれを止められてしまったのだが、彼はいつもの笑みを絶やさない。それが逆に怖いと感じられてしまう。時に人間の笑顔ほど恐ろしいと感じてしまう事があるが、まさしくそれは今はその時だった。怒りからの笑みだ。
「斎雲さんは幽霊の気持ちとか声ってきこえるんですよね」
「その幽霊が伝えたいという気持ちがあるなら、声は聞こえますし、感情は伝わってきますよ」
「なら、斎雲さんはわかるんじゃないですか?この人達がとても楽しそうに大工の仕事をしていたのを……」
相模は今日、見てしまったのだ。
ほんの一瞬であるが、彼が笑みを浮かべながらこの家に入ってきたのを。皆がとても楽しそにこの家に入ってきて、まだ未完成である家を見て、自分たちが完成させるのを楽しみにしているように見えたのだ。
「この人達はこんなに楽しそうに大工仕事をしているのに、途中でやめさせるなんてあんまりじゃないですか。本当に彼らは成仏するのを望んでいるのですか?せめて、完成まで見守ってあげる事は出来ませんか?もし、迷惑というならば、違う場所で自由に作らせてあげれば……」
「その土地や木材などの資源は誰が準備するのですか?相模さんが準備していただけるのでしょうか?」
「そ、それは……」
準備出来るものならしてあげたい。
だが、家を一軒建てるようなものなのだ。すぐに準備出来るようなお金の量ではない。自分一人の今の暮らしもギリギリなのだから、相模が資金を調達など出来ない。
斎雲は、もしかしたら彼らの気持ちなどお見通しだったのかもしれない。だが、その夢を叶えるのが困難なことだと察知して夢を諦めさせ、彼らの次の未来への道を提示したのだろう。それが、一番の策だったのだ。
けれど、どうしても相模は彼らの思いを捨てたくはなかった。
長い時間を冷たい川で過ごし、自分たちが必要とされ、イキイキと仕事をしていた昔をずっと思い描いていたのではないか。そして、川の近くで家が建設されると知り、居ても立っても居られないいられなくなったのではないか。
もう1度、家を建てたい、と思ってしまったのではないか。
だからと言って自分が世話を焼く必要はないかもしれない。ただ依頼されただけであり、しかもその仕事も無理矢理連れてこられたにすぎない
だけれど、死にたくないと思っている人間、いや存在の者たちを見殺しには出来ないのだ。
自分でもお人好しすぎると思うし、いつまで忘れられないのだろうか、と苦笑してしまう
「この式神たちをしばらくの間、私に預からせていただけませんか?」
「え……」
相模の提案を代わりに引き受けようと声を上げてくれたのは、高山であった。
高山は、ゆっくりと立ち上がると、相模の方を向いて、穏やかに微笑み小さく頷いた。
「先代の犯した罪は、私がしっかりと償わなくてはいけない。それが私の責任でもあるし、息子や孫に面倒ごとを残すわけにはいかないですから」
「ですが、このまま彼らを野放しにしていたら、また旧式の家を作り始めてしまいますよ」
「囲炉裏がある家もいいと思いましてね。ただ昔の風呂は困りますからね、私が現代の家の作り方を教えますよ。そして、私が死ぬまでは庭いじりや私の世間話の相手もしてもらおうかな。こっそり息子の建設の仕事を手伝わせてやるのもいいかな。だから、私が死んだ時はこの者たちと一緒に供養してもらえませんかね」
「それは、もちろんかまいません。とても良い解決策だと思いますよ」
「ありがとうございます。……私が死ぬまで短い時間になってしまうが、君たちはそれでもいいかね?」
高山の思いもよらない提案に式神たちはお互いに顔を見合わせた後、皆一斉にコクコクと頷いた。
その表情には驚きと共に嬉しそうな表情も見られた。長い間、川に放置さえれた式神たちは河童と呼ばれ恐れられ、時には見世物ように観光地化された部分もあっただろう。けれど、そんな中でも願いはきっとシンプルだったはずだ
家を建てたい。
それを叶えられる事になった彼らと周りの人々の表情はどれも明るかった。
そこにいた金秋を除いて。
皆が一様に今後の話をしている頃。
彼は誰も声をかけずに、その家から迅と共に去ろうとしていた。
それに気づいた相模はは彼の後を追った。すると、更に後ろから声が掛かった。
「金秋さん、一緒に大工仕事をしなくていいのですか?」
「………え?」
「彼は昔、大工の仕事をしていた事があったんです。そうですよね、金秋さん?」
思いもよらない所から金秋の情報が入った。だが、彼が大工の仕事をしていたのは意外である。
驚いた表情で彼の方に視線を向けるが、金秋はこちらを向くこともなく背を向けたまま言葉を返した。
「勝手に話すな。それにそんな事には今さら興味はない」
そう言い捨てると、彼は颯爽と雨降る夜へと消えて行ってしまった。
それを追いかけようとするが、斎雲に「行ってはいけません」と、止められてしまった。
結局金秋が帰ってきたのは、次の日の朝早くであった。
いつもと同じ尖った視線であったが、それが普段以上に刺々しい事に相模は気づいたが、何も言えるはずがなかった。
「え、じゃあ、あの部屋のリホームは金秋さんが自分でやったんですか?」
「金がかかるから自分でやるっと言って、DIYしたそうです」
「………武士がDIY」
依頼された事は片付いたため、高山家で朝食をいただき、その後すぐに新幹線に飛び乗った。
帰り道も金秋は窓側に座り、目を閉じて眠っている。徹夜続きだったため彼も疲れていたのか小さな寝息が聞こえて来ていた。もちろん、迅は帰りも走って帰るようだ。
「それにしても、あの大工たちは大丈夫なんですかね……」
「と、いいますと?」
「高山さんの提案には喜んでいてくれたみたいですけど……。昔、川に捨てたのは高山さんの先祖ですよね。実は恨んでて、こっそり呪ったりしないですか?」
長年の恨みはなかなか消えるものではないはずだ。そんな風に思う相模は、どうしても心配になってしまう。彼らの笑顔。そして、初めて見る工具の使い方を高山に教えて貰っている時の、彼らは造られたものとは思えなぐらいに瞳が光り輝いており、嬉しそうにしていた。それが、とても印象深い。だが、どうしても不安になってしまうのだ。人間以外の存在、幽霊や妖怪などと呼ばれる存在のについて無知な自分は、悪いイメージから逃げられないのだなと思ってしまう。
「大丈夫です。あの者たちから悪い気は感じませんでいた。むしろ、自分たちの存在が認められて、必要とされるので嬉しいようですよ。それに、私が供養する約束もしましたし。最後にまた捨てられる心配もないのです。それに……」
「はい」
「彼らはこの世で式神として誕生したことを喜んでいるのでしょう。捨てられたとしても、過去に交わした人間との関わりやこの世で過ごした日々が消えることはないのですから」
「……そうですね」
式神達は、捨てられたことを恨まなかったわけではないだろう。
冷たい川に投げ出され、元いた場所に戻れるわけもなく必要とされることもない。ただただ呆然と日々を重ねるだけだ。そんな中で悲しさや恨みが出てこないわけがない。式神に感情がないというのも違うはずだ。斎雲も喜んでいたと話していたし、人間と同じような感情があるのだろう。
けれど、きっと式神達は過去が幸せで満ちていたのだろう。人間達との日々の関わり。家が完成した時の達成感。人間に怒られたり、失敗しながらも少しずつ褒められる事が多くなり、頼りにされる嬉しさ。そして、高山家の人々や依頼主に感謝される幸福感。
そんな満足感が、捨てられた事の悲しさよりも上回っていたのだろう。
そう、相模は思った。
人間は式神と仲良くなって過ごしていた。どうして過去だけそんな事が出来たのだろうか、と考えたがすぐに違う答えが頭によぎる。
自分が知らないだけで、今も式神と共に生きていう人間がいるのだろう。
「式神使いは今でもすごい活躍しているのでしょうね」
「多少はいるでしょうが、今は昔より断然に少ないですよ」
「そうなんですか?」
予想に反した答えが斎雲から返ってきたきたので相模は驚いて食ういるように返事をしてしまう。すると、彼はしみじみとした表情で目を細めて新幹線の天井を見つめた。自分には見えない霊がいるのだろうかと相模も同じ方向に視線を向けるが、もちろんそこには揺れる無機質な天井があるだけだった
「昔は今よりも人間と神様の距離は近かった。だから、神の知恵を聞き、それを使う事が出来たのですよ。重機や今のような高度な技術や知恵もない時代に立派な城や神社を作ることが出来たのはどうしてなのでしょうか?それを今の考えに当てはめると納得出来ませんか?」
大昔のピラミッドやモアイ像など、海外の話ではあるがはどうやって作られたのか、まだ謎な部分が多いという話を相模も聞いたことはある。人間がこんなに早くに進化出来たのは、神の教えがあったからだと言われると妙に納得してしまう。相模は、そう思いながら深く頷いた。
この説得力のある話。そして、式神を安心させるだけの力がある斎雲。やはり、阿闍梨と名乗るだけはあって、相当な力があるのだろう。腹黒い部分はあるとしても、やはり霊的な存在についてはかなりの知恵があるのだろう。
それに、金秋からも信頼があるのだ。金秋は偏屈な部分が多いが彼を信頼しているとなると、それだけの力を持っているとわかる。
相模は横目で金秋の背中を盗み見る
腰には2本の刀がささっており、漆黒の和服姿で長い髪は紐で縛っている。そして、絶滅したはずのニホンオオカミを従えている。
どうやっても、彼は現代の人間ではないはずだ。そして、何かがあればすぐに「斬れ斬れ」と言って刀を向けてくる。物騒この上ない。そんな考え方の人間など今の世の中ではいない。存在するとすれば、ひと昔前の話だろう。
そうなると、彼はやはりすでに死んでいるのだろうか。
金秋が寝ぼけながら首元のストールらしき布に触れ、そのまま寝息をまたたて始める。
彼はどういった存在なんだろうか。
その疑問を斎雲にながけようとした。が、それより先に斎雲が言葉を発してしまった。
「それにしても、相模さんが高山さんに提案していただいて助かりました。これで、今回の依頼ではかなりの依頼料をいただけました。私が供養したり金秋さんが斬ってしまれば、基本料だけでしたから」
「そ、それはどういう事でしょうか……」
一段とニコニコした表情でお金の話をし始める住職に、相模はある種の恐怖を感じながら、問いかける。だが、続く言葉は、きっとよくない人間の欲の話だと直感的に察知して顔が引きつってしまう。
「高山さんには式神と会話をしなければいけないですよね。そのために御札は必須です。そのためにお札の代金もいただけるのですよ」
「ああ、なるほど……」
御札1枚であれば、どんなに高価であっても数万円だろう。相模にとっては大金だがそれだけで済んだのであれば大丈夫かなと思ってしまう。高山はかなりの金持ちなのだから、相模でいう小銭程度の感覚のはずだ。
「あの御札を毎日使うと、効果は1ヶ月ほどなんですよ。高山さんは、自分のほかに息子さんや従業員分ご入用でしたから、1年分で60枚お買い上げくださいました」
「え!?」
「毎年60枚買ってもらえるので、助かりますね。あ、今回の報酬はしっかり計算してお渡ししますね。金秋さんが6割、私が3割。そして相模さんは1割の計算なので、今回は10万前後だと思います」
「え!?」
「お疲れ様でした。また依頼がきましたらよろしくお願いします」
深々とお辞儀をする斎雲に相模は「ははは」と乾いた笑いしか返せなかった。
やはり、この2人は悪徳商法で稼いでいる住職と幽霊なんじゃないかと思い今すぐにでも新幹線から降りたかった。が、次の駅までは大分時間がある。逃げられない高速で走る箱の中。あと少しの辛抱だ、と冷や汗をかきながら、数時間を過ごした。
今回の依頼が終わったら、連絡を無視しまくって絶対に逃げてやろうと相模さんは心に決めた。
金秋という武士の正体や目的は気になるが、そんな興味だけで一緒にいては、いつか警察のお世話になる日がくるのではないかと危惧してしまう。
逃げるが勝ちである。
透明人間は別の方法で解決すればいいのだ。
そして、相模は新幹線から降りると、逃げるように2人と1匹と別れ、帰り道を走った。これで幽霊の世界からは抜け出せるはずだ。
そう思いながら、相模は自分の部屋だけで隠れるように過ごした。
だが、そんな穏やかな日が長く続くことはなかった。
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