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 雨の音は、こんなにも響くものだっただろうか。相模は池の水面に次々に作られる丸い模様を見つめながら思った。普段は安アパートに住んでいるが、自分の部屋の上には住人がいる。そのため屋根を打つ雨音がやけに耳に入ってくる。もしかしたら、この家自体が古い作りだからかもしれないが。


 金秋が言った通り、昼過ぎはどんよりとした重い雲がこの町一帯を覆い、冷たい風と共にぼたほどと雨粒が降り始めた。

 相模と金秋、そして斎雲は、依頼主である高山から「夜まで休んでください」と言われて客室の一室を借りる事になった。そこの部屋には綿がどんな量入っているのだろうかと思わせるほどの分厚い布団が3つ敷かれていた。

 だが、昼頃になっても使われているのは相模が寝ているものだけであった。金秋は「散歩してくる」と食事を終えるとすぐに屋敷から出て行ってしまった。斎雲は、高山と何やらいろいろ話しているようだが、依頼とは関係がない話のようだ。隠居生活の高山の話し相手になっていいるのだろう。自分だけ寝てしまうのは悪い気が少しはしていたが、それでもあまりの疲労から布団に体を沈めてしまいたい欲には勝ているはずもなかった。相模は部屋に案内されるなり分厚い布団に倒れ、夢を見ないほどに熟睡した。


 1度目が覚めたのは、雨の音が聞こえ始めた頃だった。部屋の雨戸を閉め始める音も聞こえ、眠りながら「金秋さんが言ったことが当たったな」と思い、そのまままた眠ってしまった。

 次に目を覚めたのは、突然起こった背中の衝撃と痛みであった。



「いっ!?」



 あまりの強い衝撃に、相模は夏掛け布団と共に、部屋の端まで飛ばされた。寝ぼけ眼のまま、手で腰を抑えながら

 キョロキョロと周りを見渡した。現業を把握するまで、時間がかかったが、自分を見下ろす人物の鬼の形相を見た瞬間にすぐに「また何かやらかした」と、冷や汗が流れた。


「き、金秋さん、帰ってきていたんですね。………おかえりなさい」

「とっくに帰って来ている。今は夕刻であるぞ!いつまで寝ている!さっさと湯をかりて目を覚ませ」

「………はい」



 また寝過ごしてしまった。

 だが、ほぼ徹夜で野宿をしたし、その前は仕事をしていて寝ていなかったのだ。普通の人間ならば倒れるように寝てしまうのは必須であろう。

 だが、刀を持った武士には何も言えるはずもなく、黙って風呂場へと向かうしかないのであった。




 昔ながらのタイル張りの風呂は、温泉かと思うほどに疲れを癒してくれた。相模の自宅よりも倍以上に大きい浴槽と、何から何まで準備されている環境からそう思ってしまうのかもしれない。本当ならば、もっと長風呂をしていたかったが、また遅くなると金秋に怒鳴られてしまうので、相模は体を洗うと早々に風呂場から出た。

 昼食を食べ損ねた相模は、朝のように豪華な夕食を期待していたが、金秋から「いくぞ」という言葉と共に手渡された、ラップに包まれほんのり温かいおにぎりを見つめながら「行きます」と涙声になりながら返事をしたのだった。





 高山から借りたビニール傘をさしながら、どんよりとした雨雲の下、武士と透明人間が畦道を歩く。その横にはニホンオオカミである迅が気持ちよさそうに目を細めて歩いている。心なしか尻尾はいつもより左右に大きく揺れており、振り子のようであった。どうやら、濡れるのが楽しいらしい。時折、激しく身体を振って水を払っているが、それさえも楽しさを感じられた。

 今回、河童が出るといういる家に、斎雲は同行せずに高山の家に残る事になったらしい。霊の気配を敏感に察知出来ると言うことで、武士の霊が出れば金秋に連絡をして、高山はその現場に向かい金秋が来るまで足止めをする役目であった。また、霊力が強い高山がいる事で、河童が恐れて来なくなる事を危惧しての作戦でもあった。


 だが、相模には心配もあった。

 金秋は、河童を斬ると言っていた。本当にそんな事は可能なのかわからない。だが、彼は至って本気なのだと表情を見ればわかる。風呂に行く前に、彼が一室で和紙を口でつまみながら、刀の手入れをしていた。相模は彼の横顔しか見ていないが、その視線は相模に刀を向けてきた時と同じように強い視線であった。

 河童を斬るというのは本当の事なのだろう。


 だが、相模は戦乱の世に行きたことがないし、殺し殺されの生活など創造された世界だけの話だったために現実味がわかなかった。



「あ、あの金秋さん。本当に河童を斬るんですか?」

「依頼されたのだから、やるに決まっているだろう」


 何を当たり前の事を聞いてくるのだろうか、という風に疑問を浮かべた顔で振り向いてくる。だが、疑問ばかりなのは相模の方だった。どうして、すぐに斬ってしまおうと考えるのか、と。

 だが、なかなか返事が返せない相模を見て、何かを察知した金秋は言い捨てるように言葉を掛けた。


「俺が斬れば、この世界から消滅する」

「……え」

「長い間苦しむよりいいだろう。もう戦いのある日本ではないのだから」


 言い終わる前に彼は前に向き直ってしまう。

 この武士の考えはわらない。これ以上、聞いてしまっては今まで生きてきた世界には戻れなくなるのは少しずつ感じ始めてている。透明人間になった事で、知らなかった世界に片足を踏み入れてしまっているのだろう。その足を引き上げさえすれば、元の生活に戻れるはずだ。


 けれど、少しずつ相模の気持は揺らぎ始めていた。

 金秋という男が、何を思って刀を握っているのかを知りたいと思ってしまった。









 作業を終えた大工たち入れ替わるように、金秋達は家に入った。その頃には雨足も強くなっており、高山が持たせてくれたタオルで体を拭いた。そして、夕食のおにぎりを食べながら昨日の場所へと隠れた。その間、金秋は目を瞑って座り込んだまま何もしゃべらない。その足元には迅が姿勢を正して座り、耳をピンとたてて辺りを伺っている。だが、今のところは河童や武士の幽霊もいないようなので、相模は安心しきっていた。

 雨が降っているからだろうか。ガラスがない窓から昨日より寒い風が吹き抜けてくる。まだ乾いていない服が、相模の体温を吸っているのか、どんどん体温が下がっていくのがわかる。

 このままでは風邪をひいてしまう。体温を上げる方法は、と考えた相模はある方法を思いつく。



「………おまえは何をしているんだ?」

「いや、寒いので。こうしていれば、あったまるかなあーって思いまして」


 相模が思いついた行動を、金秋が目を開けて伺い見ると、彼は呆れかえった様子で問いただしてきた。それを、自分でも情けない思いで言い訳をする。

 相模は、迅に抱きついて暖をとっていたのだ。人間よりも暖かい体温とモフモフの毛に包まれるのだ。温かく、そして癒される。我ながらいい案を思いついた、と満足していた相模だったが、金秋は納得できない様子だ。


「おまえと違って迅は仕事中だ。邪魔をするな」

「俺だって昨日から真面目に仕事してますよ。体調崩したら仕事出来ないので、仕方がなくです」

「この程度、濡れただけで風邪をひくような軟弱な身体のおまえが悪いのだ。温めずに慣れろ」

「そんな無茶な事言わないでくださいよ!俺は金秋さんみたいに強くないんですよ」

「軟弱者の言い訳など聞きたくもないわ」



 そんな言い争いをしている時だった。


 迅がスクッと立ちあがり、金秋の動きが固まった。そして、視線を外へと向けている。

 そんな時に、相模は尻もちをついて転がっていた。突然、迅が立ちあがったため、体が投げ出されたのだ。


「迅、痛いじゃないか。突然、どうした……」

「静かにしろ。来た」

「河童ですか?武士の霊ですか?」

「複数の気配を感じる。前者だ」



 金秋は、河童の気配を察知したようだ。相模は何も感じていなかったが、確かにザッザッという足音が遠くから聞こえてきた。近くの迅もすぐに飛びかかれるように体勢を低くして、その気配の先に視線を向けている。姿を見せた瞬間に迅に襲われてしまうだろう河童が少し哀れになってしまう。


 相模は、これから初めて見るであろう妖怪に大きな恐怖とほんの少しの楽しみを感じていた。

 河童といえば、頭の上に皿のようなものがあり、それが乾くと死んでしまうとか、手足はカエルようになっており、口ばしに肌は緑色。そして、亀のような甲羅を背負っているというのが、この世界で想像されている河童の姿だ。はたして、本当にそんな姿をしているのか。それが楽しみになってしまっている。


 どんどんと足音がこちらへ向かってきて、大きくなってくる。

 少しずつ、多人数が歩いているのがわかった。

 足音が近づくにつれて、相模の緊張感が大きくなり、金秋が剣を握る力も強くなっていく。


 ついに1度建設途中である高山の家の前で足音が止まった。きっと誰もいないだろうか、と辺りを見渡しているのだろう。そして、その気配と足音が部屋の中にやってきた。

 周りは真っ黒でよく見えない。目を闇に慣れてきたからといって、遠くはなかなか見えない。

相模は、恐る恐る資材置き場の陰から顔を出した。 遠くで3、4つ黒い影が動いているのがわかった。だが、それでも、それらが河童の姿をしているのか、わかりそうでかわからない。


 と、その時、1つの影がこちらに向かって歩いてきた。

 見えると、思いでギリギリまで顔を出していた相模は驚きのあまり声が出そうになってしまった。


「ッ!?」


 河童が出ると聞いていたはずだ。緑の肌をもつカエルのような亀のような姿の妖怪だ。

 だが、相模の目に飛び込んできたのは、腹掛けに股引き、そして何かの模様がしめしてある半被を羽織った、江戸時代の男の姿であった。そして、その彼らの表情が、相模は忘れられなかった。




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