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「透明人間ですか。………それはまた不思議な事があるものですね。長年生きてきた老いぼれでありますが、まだまだ知らない事がこの日本にもあるんですね」

「本当に困ってますよ。モゴモゴ、このお吸い物、出汁がめちゃくちゃ美味しいですね。あ、斎雲さん、おかわりもう1杯くださいって伝えてください」

「ご主人。透明人間さんは腹が空いているようなので、おかわりを沢山いただけませんか?」

「わかりました。透明人間さんにおかわりをお持ちしてくれ」

「………相模って名前なんですけど」

「まあまあ、細かい事は気にしないでください」



 ニコニコと笑ってご飯を掃除機で吸い込むように勢いよく食べ進める姿を見ている斎雲に、相模は「名前は伝えてくれないんですね」と突っ込みたくなったが、どうにか漬物と一緒に飲み込んだ。


 依頼主である高山は、食べ物が見えない空間に消えていくのを面白そうに見つめている。透明人間になってから、自分を見えない相手と食事を共にした事がなかったので、戸惑うかと思っていたが実際は違っていた。食べる事に夢中になりすぎて、そんな事など気にならなかったのだ。食欲より優先するものないという状況だった。

 そんな様子を見て、金秋が何か言ってくるかと思ったが彼は先程から黙って箸を動かしている。が、時折ボーっとしていた。いや、屋根の方を見ていた。始めは庭の景色を楽しんでいるのかと思った。だが、それは違うとすぐにわかった。先程から、蝉の鳴き声の合間に聞こえてくる懐かしく可愛らしい音を奏でているもの。風鈴だ。黄緑色の透明なガラスで作られており、風が吹くたびに長細く切られた和紙が揺れ、中のガラス玉と風鈴の本体とがぶつかり、涼しげ音を作り上げている。その風で踊る風鈴を金秋が目を細めて見つめていたのだ。


 その横顔は、心がここにないことがよくわかるほどに穏やかでいて、悲しげであった。


 遠くを見るような視線。

 彼の瞳には、脳内には、何が映っているのだろうか。いつも強気で傲慢な彼に、そんな表情をさせてしまう風鈴。彼にとってのそれは、どんな意味のあるものなのだろうか。




「金秋さんは、透明人間は見たことがあるのですか?」

「……ああ。私も見た事はないな」



 高山の問い掛けで、彼の意識はこちらに戻ってきた。あっという間に、いつもと同じ強い視線に戻っていた

 だが、相模はその金秋の横顔が気になって仕方がなく、忘れられないものとなった。












 食事を終えて焙じ茶が運ばれた頃、やっと依頼についての話になった。



「それでは、昨日は武士の幽霊が出ただけで、河童はでなかったのですね」

「この男が複数の足音を聞いたようだが、恐怖におののき逃げてしまったので見れんかった」

「そうでしたか。まあ、心霊体験をしてしまうと大抵は怖いですよね。私も同じ反応をしてしまうでしょう」

「そうですよね!?普通怖いですよね」



 あまりに一般常識的な回答が返って来たのが久しぶり過ぎて、相模は咄嗟に反応してしまう。が、その声が届かないのが残念で仕方がない。



「それでは、高山さん。今回金秋さんに依頼した事について詳しくお話ししていただけますか?」



 斎雲が話しをふると、高山は「ふむ」と一息ついた後にゆったりとした口調で話しを始めた。



「私は、建設関係の会社をやっていたのですが、その会社を息子に任せて私も悠々自適な隠居生活をしようと思いましてね。昨夜、調査していただいた建設途中の家が、私の隠居する家になる予定でしてね。この広い家は息子と孫に譲るんですよ。私の妻は早くに他界してしまったので。一人でゆっくりと過ごしたいんです」



 隠居生活のために家を建ててしまうなんて、相当なお金持ちだということが改めてわかった。そして、この豪邸さえも手放してしまうのだ。金持ちの考える事はわからないが、定年退職後は静かな田舎に移住する人と同じ気持ちなのかなっと相模は思った。



「自分が設計して建てる家は最後だったので建設を息子や部下に頼んだのです。完成をとても楽しみにしていたんです。ですが、……ある問題が発生したんです」



 河童が現れてたのだ。そのために、金秋が依頼されたのだから。

 高山の息子さんたちを怖がらせているのか。はたまた、家や木材などを壊されてしまったのか。そんな事を相模は予想していた。



「ですが、ある夜から勝手に建設を進めているものがいるんです」

「……え?」

「朝、部下たちが現場に向かうと、昨日まで進めていた工事が、勝手に進められているというんです」



 あまりに予想外な話に、相模は思わず声を上げてしまった。高山には聞こえていないのが幸いであったが。

 だが、夜になると勝手に家を建ててしまう霊なんているのだろうか。それに勝手に作業を進めてしまう霊がいたとしても完成が早くなり、仕事時間も減るならいいのではないか。そんな風に思ってしまう。と、その考えが伝わってしまったか、高山は「ただ手伝ってくれるのならばありがたい事なんですけれどもね」と苦笑いをこぼした。



「と、いいますと?」

「設計図通りにやってくれればいんですけど、何故か作りが全て大昔のものなのです。リビングに囲炉裏を作られた時はかなり驚きましたよ」

「それは確かに困りますね。木材を勝手に使われたり、壊す手間もありますしね」

「そうなんですよ。そのため建設計画が大幅に遅れているんです。私は構わないのですが、完成が遅れると他の仕事も遅れてしまうとあって、はたはた困ってしまいましてね」



 建設予定にはないものが作られてしまっては、かなり困るだろう。木材などの資源を好きに使っているのだから、使われたものをまた調達しなければならず、金も倍にかかるはずだ。何よりも自分が作っているものを勝手に変えられてしまうのだから腹立たしいはずだ。



「高山さん。その霊について、何か思いつく事はありませんか?」

「霊?そんな事はわからないですね。ただ、そんな事があると現場は何故か水浸しなんです。雨の夜に出る事が多いんですが、それにしても水たまりになるほどに濡れている。屋根は完成しているのにおかしい。そうは思いませんか?」

「だから、河童ですか……」

「うちの若い者はみんなそう言ってこわがっているんです。雨の日の夜になるとみんなあそこには近づかなくなった。本当にどうしていいのかわからずでね、斎雲さんに相談したんですよ。そしたら、金秋さんを紹介してもらいまして」



 高山は、ちらりと金秋の方に視線をうつした。斎雲がずっと話し相手になっており、金秋は相槌さえうたずにただ話を聞いているだけだったのだ。しかも、あのいつもの仏頂面のままだ。高山も彼が怒っていると思ったのだろう。金秋の機嫌を伺うような表情で見つめていた。



「その河童は大体のことはわかった」

「本当ですかっ!?」

「それより聞きたいのは、河童より武士の霊の事だ。それについては知らないか?」

「……武士の幽霊ですか?ここ一体で時々見られる霊のことですよね。噂になっているのは知っていますが。私は見た事はありません」

「見た事はある人間は何と言っている?噂とはどんなものだ?」



 河童の話しを一言で終わらせてしまい、武士の幽霊について質問をする金秋に、少し驚きながら高山は答えていく。あまりの勢いに、彼の必死さが伝わってくるのだろう。そのため、答えるのを拒めないのだ。そんな様子の金秋を斎雲は困り顔のまま見ているだけだった。



「悪さはいないようです。どちらかというと、村を守るように歩き回っているという感じで。昔のお侍さんが村を守ってくれているのではないかと言われているほどですよ」

「………そうか」



 金秋はそれを聞くと、目を伏せたまま息を吐くようにそう言うと、先程まで力が入っていた肩をすーっと落とした。納得したような、覚悟を決めた時のような、そんなずっしりとした声だった。



「……風が変わったな。今から雨が降るだろう。今夜、河童を斬ってやる」



 ゆっくりと顔を上げて、空を見上げながら金秋は宣言する。

 夏空は雲ひとつなく、暑いさを表すように揺らいで見える。


 彼には何が見えているのか、相模にはまるでわからない。

 幽霊の考える事などわかるはずもないと、諦めていた。




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