4、

 




  4 、





「それで、………おまえは逃げてきたのか?」

「……はい」

「それで仕事を達成出来たと思っているのか?」

「思いません。……はい」

「腑抜け者が」



 金秋の激しい言葉に反論できるはずもなく、相模は正座をしたままうな垂れるしかなかった。



 謎の足音から逃げた相模は、迅が走る後を追いかけた。迅が向かう先は主人である金秋に違いなかった。その考えは当たっており、数分走ると川がありそれを渡り、山の入口に金秋と斎雲が立って居た。気配でわかったのか、2人は相模たちの方を見ていた。そして、何があったのかを説明すると金秋は無表情のまま「そこに座れ」と言い放った。それは感情さえ感じられない無の言葉だった。相模は土の上に土下座をした。まるで打ち首前の人間のように、恐怖を感じ小刻みに身体が震えていた。



「それで、河童は見たんですか?」

「いえ。その、逃げてきてしまったので全く見れてなかったです」

「そうですか。仕方がないですね。初仕事でしょうし。早く幽霊にも慣れるといいですね。金秋さん」



 意外にも斎雲もスパルタ気質があるんじゃないか。そんな不安を抱きつつも、幽霊に慣れる前にこの仕事を絶対に辞めてやる、と心に決めたのだった。



「そんな事よりもお前が会った武士の話が先だ。どんな格好をしていた?刀は、銃は持っていたか?何か身分がわかるようなものは?」

「えっと、刀はボロボロでしたけど持っていましたが、銃は使っていなかったです。服装はその金秋さんと似ていました。その身分といっても、わからなくて……」

「………そうか。わかった」



 そう言うと、金秋はすぐに歩き出した。山を下り、先程まで相模が居た建設中に向かおうとしているのはすぐにわかった。だが、どうして金秋が焦っているのかは理解できない。

 相模が待機して居た場所に武士が現れたと話した途端、金秋の目の色が変わった。そして、詳しく話を聞きたい気持ちとその場所に急行したい気持ちでソワソワとしているのがわかったのだ。焦っていたのだ。彼と斎雲の会話を聞いているうちに、金秋が武士を探してるというのはわかっていたが、何故探しているのか、理由を問えるわけがなかった。

 金秋がその話を避けているのが、雰囲気でひしひしと伝わってきているのだから。



「待ってください、金秋さん」

「何だ。うるさいぞ、斎雲」

「先程の話を聞くに、その武士の目的は金秋さん、あなたのように感じます。だから、きっとあなたを探しているのでしょう。そして、先程まであの家にいたということは、またそこを探すとは思えない」

「………」

「河童の件で明日の夜も、あの場所に訪れる事になるのでその時に済ませてはいかがでしょう。あの家の方向から妙な気配を感じませんので、今は河童も霊もいないでしょう。明日に向けて余計な体力は使わないようにした方がいいかと」

「……わかった」



 斎雲の説得に、しばらくの間考え込んだ金秋だったが、渋々納得したようで今から再度あの家に戻るのは辞めたようだ。

 長時間の移動と寒空での待機、そして霊との対峙でかなり疲労していた相模は、金秋の返事を聞いてホッとした。また、あの武士の霊や河童と会うかと思うと気が重かったが、今は全て忘れて寝てしまいたかった。


 返事をした金秋と斎雲は、木の根元や大きな岩の近くに腰を下ろした。

 その行動を見て相模はまさか、とある疑問が浮かんできた



「えっと、今から駅前のホテルとかに移動するんですよね」

「そんな面倒な事をする必要はないだろう。もしかしたら、俺を探している奴が姿を現わすかもしれんのだからな」

「ま、待ってください。もしかして、ですけど。ここで一晩明かすって事ですか!?」

「当たり前だろう。おまえもさっさと寝ろ」



 ここは、山の入り口。川の音がよく聞こえる場所。もちろん、屋根もないし、明かりもない。布団もなければ、トイレもない。野宿だ。キャンプでもない、完全に自然の中で寝るのである。現代で、壁も天井もない、夜空を見上げて無防備に寝る日本人などいないだろう。

 だが、今まさに相模もやらざるおえない状況に立たされている。咄嗟に、視線を斎雲の方へ向けて助けを求める。



「私は修行で慣れていますので心配はいりませんよ」

「野営など普通の事だ。おまえも慣れろ」

「………は、はいー」



 泣く泣く返事をしながら、思い出す。

 忘れていたが、この人たちは普通ではないのだ。

 相模が何を言っても無駄だと諦めるしかない。


 なるべく、地面が濡れていない場所を探し、相模も座り込む。鞄を抱きしめるようにしながら、目を閉じようとした。そこで、先程の2人の会話を思い返し、あれ?と疑問に残ることがあった。



「あの、斎雲さん。1つだけ質問したいのですが」

「はい。何でしょうか?」

「さっき、建設途中の家の気配をがわかるとおっしゃっていましたよね?それって、どれぐらいわかるんですか?」

「良いものか悪いものか、ぐらいですね。ですので、先程武士があの家に居た時も、何かいるなとは思いました。迅の遠吠えも聞こえましたしね」

「な、成る程……」



 ニコニコして優しそうに見えるが、やはり斎雲も金秋と同じ分類の人間などであるとわかった。

 相模は心の中で「じゃあ助けてくれよ!」と反論しつつも、近くに近寄ってきた迅の背中を撫でているうちに、気持ちが落ち着いてきた。

 が、初めての野営では寝れるはずもなく、寒さに震えながら数時間を「太陽よ、早く顔を出してください」と祈るように過ごしたのだった。









 朝日を全身で浴びたのはいつぶりだろうか。

 ほぼ徹夜である相模のしょぼしょぼとした瞳には、夏の厳しい光りは眩しすぎた。けれど、心から待ち望んだ朝。慣れない野宿で不安だった相模は、夜空が白くなった瞬間に、眠気を感じてしまう。ウトウトとした相模の頭上から無慈悲な言葉が告げられる。



「おい。いつまで寝てる」



 やっと寝れそうになった相模は薄眼で声の主を見上げる。もちろん、それは金秋である。

 朝日を浴びた彼を直視出来ず、相模はもう1度瞼を閉じる。



「早く起きろ。おまえは本当に呆け者だな」

「今やっと眠れるんですけど……」

「それは、俺たちも同じだ」

「え?ずっと寝てたじゃないですか?」



 相模は寝れずに長い夜を過ごしていた。

 夜の山は恐怖に溢れている。霊などの見えない敵だけではない。草木が揺れれば野生の動物が襲ってきたのではないかと怯え、蛙や虫などの襲来にも気を配っていたのだ。

 だが、金秋と斎雲の2人は微動だにせずに座り込んで居たのだ。相模は両脚を曲げて、刀を抱きかかえるようにして目を閉じており、斎雲は正座をしたまま、まるで大仏のように姿勢を正して目を瞑っていた。しかも、どんな物音が近くで聞こえても、虫が体に止まっても、動かないのだ。

 どこでも寝れる人間はいいよな、自分は汚い所では寝れない繊細な都会人なのだ。と、心の中で彼らを#詰__なじ__#っていた。



「体は休めているが頭は寝ているわけないだろう。襲われたらどうするんだ」

「私は数日寝なくても大丈夫な体ですので」

「ははは。………そうでしたよね」



 乾いた笑いを洩らした後、疲れ切った脚に無知を打って立ち上がった。「クーン」と甘えた声を出して心なしか心配そうな表情で迅が見えげてくれている。

 どうやら、相模に優しさを向けてくれるのはオオカミだけのようだった。







 朝早くに訪れたのは、門構えからして立派なお屋敷だとわかる家であった。河童退治を依頼してきた人物の住む場所だ。武士の幽霊に襲われた建設途中の家から、歩いても20分しか離れていない。そんな場所に別荘でも建てるつもりなのだろうか、相模は不思議に思った。

 夏の朝は早い。朝日が昇り始めるのが4時を過ぎてから。現在の時間は5時。他人の家を訪問するのにはかなり迷惑でマナー違反な時間んである

 だが、金秋と斎雲は全く気にしていない様子だった。


 チャイムを鳴らすと、すぐに淡い青い色の着物を着た年配の女性が現れた。そして、深く頭を下げて「お待ちしておりました、金秋様。斎雲様」と挨拶をした。

 もちろん、その女性は相模の事は見えていない。相模は、勝手に家に上がってしまうのを申し訳なく思いながら門を跨いだ。

 平屋の屋敷や門よりも高い松の木から、蝉の甲高い鳴き声が聞こえてくる。広い面積を占めている庭には昔ながらの石製の灯篭が置かれ、その下には悠々と水の中を泳ぐ太った紅白色の鯉が口をパクパクさせていた。そんな庭を外の通路から眺めながら金秋らが通されたのは、庭がよく見える広い和室の一室であった。


 そこには、すでに1人の人物が腕を組んで床の間の前で座って待っていた。白髪が髪にも髭にも混ざった老人であった。少し強面に見え、雰囲気は頑固親父であった。最近、強い年配のおじさんばかりに会っている相模は、「またおじさんかよ」と思ってしまった。また、厄介な性格の持ち主なのではないか、と警戒をしながらその男性を注視することにした。



「あぁぁ!よくぞ、いらっしゃいました。どうぞ、お座りください。夜遅くの調査、ご苦労様でございました。朝食も準備していますので、召し上がりながら話しをお聞かせください」



 先程までの強面とは一変して、金秋達を見た瞬間に彼は破顔一笑した。

 よほど、金秋達が来るのを心待ちにしていたのだろう。


 だが、そんな事よりも相模には問題があった。

 今、依頼主から聞き逃せない言葉が発せられたのだ。そう、朝食だ。昨日の昼から何も食べていないのだ。もうお腹が空きすぎて、先程山で見かけた得体の知れない真っ赤な木の実に手を伸ばしかけてしまったほどだった。河童の調査であの建設中の家で待機していたのは相模だ。きっと朝食をご馳走になる権利はあるはずだった。

 だが、問題は自分が透明人間であるという事だった。きっと、この屋敷の人々は客人は2人だと思っているはずだ。今のままでは自分の分が準備されていないのではないか。そう考えたのだ。

 だが、自分のことを下僕としか思っていないのだろう金秋が相模の事を伝えるはずものない。そうなると、朝食が準備されることはないのだ。それは、大問題である。どうやって、自分がいる事を伝えるか。


 何か物を投げるか、依頼主自身に触れるか。かなり驚かせる事になるがそれは致し方がない事だ。背に腹はかえられない。

 意を決して相模がその屋敷の主人であろう男に近づこと立ち上がった時だった



「失礼致します。朝食をお持ちました」



 廊下から若い女性の声が聞こえた。ここの女中なのだろう。お盆に食事を乗せて恭しく入室してきた。思ったよりも早くに準備されてしまい、相模は泣きそうになった。これで空腹で苦痛の時間を過ごさなければいけなくなったのだ。項垂れながら、相模は立ち上がった体を戻し、部屋の隅に座り直した。



「……あれ?お客様はお2人だけですか?靴が3人分あったので、準備していたんですが」



 その神の慈悲とも思える言葉を聞いた途端、相模は「お姉さん、グッジョブです!」と、叫びそういなった。






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