3、






  3、




 「寒い………」



 東北の夏は夜になると寒いと聞いていたが、それは本当だったのだと相模は身を持って体感していた。

 歩いている時はあまり感じなかったが、壁のない家に1人で体を動かず、木材置き場の陰に隠れていると、川からの冷たい風が直接身体に当たり寒くて仕方がない。透明人間であっても寒いものは寒いのだ!と、叫びたくなるが幽霊が来るのを待っているのでそれも出来ない。

 相模は、学生の頃の体育座りのようにして体を丸めて座る。これが、1番身体が温まる方法だとわかった。


 ふっと窓になる予定である家の枠組みの小さな正方形の空間に視線を移す。

 すると、煌々と白い光りを放つ月と視線がぶつかる。こんなにも月明かりが頼もしいと思った夜はなかった。雲に隠れてしまうと、怖くなるほどの当たりは闇に支配されているのだ。本日は快晴なのでしばらくは雲の心配はないようだが、それでも時々薄雲に隠れると相模はその瞬間に霊が現れるのではないかとヒヤヒヤしてしまうのだ。



 「何事もなく起こりませんように。………あ、でも何も起こらなかったら、今夜は徹夜でここにいることになるのか?それはそれで嫌だけど、幽霊が出るよりはましか」



 そんな事をブツブツと言っている時だった。相模は心配はしつつも本当に幽霊など出るはずもないと思っていた。ありえない人達と行動を共にしていても、実際に幽霊を見なければ信じられないのが人間というものだろう。

 が、そんな軽い気持ちから、一気に恐怖を感じる現象が起こり始めるのだ。



 ダンッ



 突然、屋根に何か大きな物体が落ちたような音と衝撃による震えを感じた。相模の緊張感は一気に高まっていく。

 屋根をゆっくりと歩く音も伝わってくる。

 そして、それは1つだけではない。相模はには2つの足音のように感じられたのだ。ゆっくりと歩いたり、ドタバタと走り回ったりしている。まるで共に遊んでいるかのようだった。夜中に屋上で遊ぶ動物などいるのだろうか。しいていえば、鼠や猫が考えられるが、それにしても足音は重い。


 では、なんだ?


 そこまで考えて、先程の金秋の言葉を思い出した。



 「河童ッ!?」



 ブルリと身体が震えた。獣が水を払うように頭の上から足元まで震えが波うつ。そして、小刻みに震えながらも恐怖のあまり体は硬直してしまい、視線はまだ整備されていない粗いの木の天井を見つめるしか出来なかった。だが、その気配はすでに屋根にはいないようだ。と、なると次は部屋の中ではないか、と警戒心を強めた時だった



 耳元に風を切る素早い音と、聞き覚えのあるあの声が聞こえたのだ。



「ワンっ!」

「じ、迅ッ!?」



 確かにそこには出会ってすぐに自分に懐いてくれたニホンオオカミの迅の姿があった。だが、今の迅の表情にはいつもの人懐っこさがないのだ。グルルと低い声で唸り、牙をむき出しにして威嚇しているんだ。その野生に満ちた瞳の先には相模はがいる。何故か、迅は相模に対して怒っているようだった

 オオカミに威嚇されてしまっては、流石の迅であっても恐怖を感じてしまう。身を低くしながら、ゆっくりと後退りして、優しい口調で話しかける。



「ど、どうしたんだよ、迅?俺だよ、相模だ」

「ウウウウウウ………」



 だが、何故か相模が後ろに下がれば下がるほどに彼の唸り声は大きくないる。

 まだ2度しか会っていない関係だけれど、ここまで怒りを露わにされる程嫌われていたとは思ってもいなかった

 主人である金秋がいないと懐いてくれないのだろうか?今は先程の屋根の足音は聞こえなくなっているが、今ここで河童が目の前に現れたら、迅からも河童からも逃げなければいけない。戦うつもりは毛頭なかったので隠れて様子を見守る算段が、すでに崩れ落ちてしまい、相模は内心気が気ではなかった。



「あ……」


 気付くと丁度壁まで後退してしまっていた。もし枠組みだけの柱だけであったら上手く逃げらただろうが、残念ながらそこだけは壁が出来ていたのだ。運がない。



「迅、家に帰ったら肉でも買ってやるよ。高級なうっまいやつ!な、お茶漬けよりそれが食べたいだろ?」


 必死に迅の機嫌をとろうとするが、彼は相変わらず噛まれたら絶対に大きな穴が空くであろう鋭い牙を見せて、唸るばかりだ。変わったのは相模と迅との距離だけだった。迅の毛並みがキラキラと光っているのを確認できる程ちかくなっている。


 もう1度だけ迅の名前を呼ぼう。それでもダメだったら、後ろから襲われるのを覚悟で逃げよう。そして、ズボンのポケットからスマホを取り出して、金秋に連絡して助けを呼ぼと決めた。まあ、彼が助けに来るのかは謎であるが。きっと、斎雲はきてくれるだろうと信じての作戦であった。

 が、先に動いたのは相模ではなく迅だった。



「ワオーン!!」



 遠くの誰かに何かを伝えるかのように闇夜の空気を震わせる遠吠えを上げた。

 その合図は金秋に向けたのものだと思っていた。声が聞こえなくなる瞬間、先程よりも強め風の音が耳に入った。そして、脇腹に衝撃が走った。凄まじい早さで迅がこちらに突進してくるのがわかっり、咄嗟に横を向いて逃げようとしたが間に合わなかったのだ。あまりの痛みに相模は目を閉じて、必死に呼吸するのが精一杯だった。肺に空気が入らず、涎を垂らしながら口をだらしなく開けてハーハーッと生きるために激しく呼吸を繰り返した。



「ハッハッ……」 



 細かく息を吐き続ける。

 しばらくするとようやく痛みも治り、薄目を開けて周りの様子を確認出来るまでに回復をしていた。

 迅はどうしたのだろうか。先程は自分に突進してきたのがわかった。迅に体当たりをされて横にふっ飛ばされたのだ。やはり、彼は相模に襲いかかろうとしていたようだ。だが、不思議なことにその後に何かをされることはなかったのだ。



「じ、じ……ん……?」



 まだ上手く言葉が出ずに途切れ途切れになったしますが、弱々しい声で迅を呼んだ。

 しかし、帰ってきたのは何かが激しくぶつかる音がだった。



「!?」



 目で物を見るのも億劫だったはずなのに、その光景が飛び込んできた瞬間、相模の目をは大きく開かれた。

 氷よりも冷たく鋭い迅の視線の先には、血まみれで衣服もボロボロな男がおり、その男と対峙していたのだ。そして、その男の手には力強く握られた白光りしている刀があった。だが、それは迅の相棒が持っている怖い程美しいそれとは違い、刃こぼれが酷く、まったく知識がない相模が見てもわかるほどに使い込まれており、手入れがされていない刀だ。そして、体全体の傷と光がない瞳。血が流れて固まり黒く染まった柄巻きを持ち、構える姿は力強い。それなのに、表情に生を感じられないのだ。

 これが死人。幽霊なのだ、と相模は何故か冷静に分析していた。



 『おまえが妙な事をやっている死にぞこないか?』

 「え?」


 その男の低い声が夜の未完成な部屋に響く。が、相模がその声を理解するより先にまた衝突が起きる。

 先程まで、刀を構える武士に対して素早い動きでかわし、隙を見て鋭い牙をむき出しにして飛びかかる迅。それを寸前の所でかわし、それと同時に迅に刀を振り下ろす。だが、迅もその動きを読み軽く体を捻り後ろに下がり、体勢を立て直してからまた武士に突進していく。その繰り返しのはずだった。

 だが、相模が考え込んでいる間に事態は変わっていた。

 傷だらけの武士は、いつの間にか刀を鞘に収めて、何故か相模の方を向いていたのだ。相手が武器をしまい戦う意思がないとわかったのか迅はむやみに武士の男に襲いかかることはなかった。だが警戒しているようで、相模の前に立ち位置を移動させ、守るようにジッとボロボロの男を見据えていた。

 そして、その傷だらけの男は濁った声で相模に話しかけてきた。



「おまえが妙な事をやっている死にぞこないかと問うておる」



 まさか、霊だと思われる存在に話しかけられ、その言葉が聞こえるとは思っていなかった。それどころか、自分は霊感さえも無かったはずなのだ。


 金秋に会ってから、何かがおかしい。


 そして、幽霊と思わしき男の言葉がの意味がわからずに、相模は言葉に詰まった。


 妙な事?死に損ない?


 それは、自分の透明な姿の事だろうか。もしそうだとしても、死に損ないとは酷すぎる言葉だ。こんな姿になっても死のうとせずに生きようとしているだけましではないか。しかも、死んでいる人間に言われたくない。



「生きていて何が悪い。こんなんでも必死に生きているんだ」

『忠義もなく生きて何が残る。ただの恥ではないか』

「恥かいても生きなきゃ出来ない事がほとんどないんだよ。今の時代はな、かっこつけるために死ぬなんてかっこ悪いっていう時代なんだよ」

『何だと………!おまえは、武士の端くれにも置けぬ裏切り者だ』



 言い終わるのが早いか。それとも柄に手を置き鯉口を切るのが早かったのか。

 人の動きとは思えぬ早さで、刀を抜きその勢いのまま相模の方に剣先を向けて突進してきた。もちろん、相模の前に居た迅が反応しないわけがない。後ろ足に重心を掛けて大きく踏み込んだ。


 その時だった。




 ザッザッザッ………



 

 大人の足音が部屋の外から聞こえてきたのだ。しかも、複数人だ。

 相模は初めは金秋と斎雲の2人かと思ったが、それにしては足音の数が多いのだ。これは、違う。

 生きているんだ人間であれば勝手に人様の家に侵入したとしても訳を話せばなんとかなるだろう。だが、目の前にいる武士の男の味方であったら最悪だ。自分には迅がいるが、1匹対複数人の武士ではいくら迅であっても勝てるはずがないだろう。背中にすーっと汗が垂れていく。絶体絶命だ。

 相模は視線を足音が聞こえてくる方を見据えたままスマホに手を伸ばした。



『ちっ。邪魔が入ったか』



 そう言うと古びた格好の武士は闇に紛れるように消えてしまった。

 どうやら足音の正体はあの武士の味方ではないようだった。と、なると何なのか。

 こんな夜中に大人数で歩く集団など生きている人間でいるであろうか。眠らない都会の街ならともかく、ここは田舎は田舎でも集落から離れた山の入り口にある家だ。


 河童としか考えられなくなった相模の近くまで、ドンドンと足音という大きな足音が耳に届く。

 泣きそうになりながら、スマホを握りしめた相模は咄嗟に未完成の家から飛び出し脱走した。



 心霊スポットやお化け屋敷でも怖すぎるあまりに絶叫する人のが多いが、本当の恐怖を目の当たりにすると大声など出せないものだ、ここ数週間の経験で相模は学んだのだった。








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