2章

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 「んー、やっぱり出ないか」


 相模は唸りながらスマホの画面を見つめていた。

 スマホの画面にはネットで検索した「陰妖士」の文字。予想した通り該当するページはなく、関係のない項目のページが並んでいた。金秋の仕事である「陰妖士」というものは、やはり世間で知られているようなものではないのだ。



 「陰陽師みたいな雰囲気だし、オカルト系の人だと知ってるのかな。俺、ホラー系の本は読まないしな」


 読書好きな相模だが、読むのは大体がミステリーかファンタジー系のもので、ホラーやあやかし系はあまり好みではなく、ほとんど知識がなかった。もし、知っていたとしても「陰妖士」というのは知りえないもののようだが。



 「まぁ、本当に仕事をするはずないか……」



 そう。

 あの不思議な出会いから、もう2週間が経っていた。

 金秋からの連絡はなく、「幽霊斬りの手伝い」というのは冗談だったのではないか。そう思ってしまうほどに、いつもと変わらない独りの時間が続いていた。あの日が夢だったのではないかと何度も思った。けれど、スマホにはしっかりと「金秋」という文字と連絡先が登録されている。夢を見ており自分で入力した、という訳で無ければ、金秋とは繋がっているはずだ。そこまで自分の精神状態がおかしくなっているわけではないと信じたい。


 けれど、以前より孤独が寂しいと思ってしまっている。

 金秋や迅と会った時は話せる相手がいるのは幸せだと思えたし、これでしばらくの間は満たされるだろうと思っていた。が、実際は違った。

 そう、誰かと会ってしまうと、その時間が楽しければ楽しいほど、寂しさは増してしまうのだ。

 人との関わりを無くしてから長い時間を過ごしてきたので、忘れてしまっていた。学校からの帰り道ほど寂しいものはなかった、と。夏休みに入る前は「友達に会えなくなる」と寂しい気持ちから焦りを感じてしまうのだ。が、一人の時間が長ければ長い程に、友達に会えなくても寂しくはなくなる。それは、「次に会える」とわかっているからなのだろう。

 今の相模にとって、金秋と本当に会えるのかわからない。

 だからこそ、不安と焦りが増していき、連絡が待ち遠しくなってしまうのだ。



 「………子どもや恋人じゃあるまいし、寂しいから電話とか出来るはずないよな」



 ため息と共にスマホをベットに投げ捨てて、そのままソファに横になった。

 もう忘れるしかないのか。まぁ、死んだ人間だとしても人斬り手伝いをするのは、どうにも気が引けていたし、縁が切れてよかったと思うしかないな。



 「でも、あのお茶漬けはまた食べたいかな………」



 金秋にご馳走になった鮭のお茶漬けを食べたくなる日が多く、お茶漬けの素をネットで注文してしまうほどあの味に飢えていた。もちろん、金秋が作った茶漬けに敵うはずはないのだが、それでもハマっているものは?と聞かれたら「お茶漬け」と答えるだろう。

 日が長い夏の夕方。窓から夕陽が差し込む時間帯だが、普段ならば夕食を食べている頃だ。だが、昨日は夜遅くまで久しぶりに入った仕事をこなしていた為、寝不足だった。眠気が襲ってきていた。



 「……お茶漬けは寝起きの楽しみにしよう」



 仕事の報酬も入るはずだし、久しぶりに豪華なものを出前しよう。料亭の茶漬けなど注文出来るだろうか。

 そんな事を考えている内に、相模はあっという間に夢の中に入っていたのだった。















 うるさい。



 先ほどから機械音が鳴っている。隣の家のアラーム音だろうか。「早く止めてくれよ」と文句を言いながら寝返りをうつ。と、ふわりとした感触が顔を包んだ。そして、ほのかに温かい。夏とはいえ、クーラーをつけている室内では心地いい体温はまた眠気を増す。何かわからないものを自分の方へ引き寄せようとした時だった。


 「ワオーンッ!!」

 「わぁ!?」



 突然聞こえた獣の声に、相模は慌てて飛び起きた。その声の主には1つだけ心当たりがある。こんな鳴き声は、少し前に聞いたオオカミだ。



 「迅っ!!……おまえだったのか!!」

 「ワンッ」

 「って、おまえ。………どこから入った?」



 大きな目をこちらに向けて、舌を出しながらこちらを見下ろしているのはニホンオオカミの迅であった。相変わらず人懐っこい性格で、相模を見てお座りはしているものの、尻尾がブンブンと激しく揺れている。

 自分に懐いてくれている迅を見るのは嬉しい限りだが、どうしても見て見ぬフリが出来ない事がある。それは、しっかり戸締りをしているはずの部屋にもかかわらず、迅が入ってこれた事だ。窓を割ったり、ドアを壊して入ってきたようではない。

 となると、考えつくのは迅は金秋が言う人外、幽霊という事ではないか。そもそも、ニホンオオカミは絶滅しているのんだから生きているはずはないのだが。そう考えると、あの男もやはり………。


 そこままで考えていると、迅の足元に何かが丸まった和紙のようなものが落ちているのに気が付いた。


 「なんだ、これ?」



 少しぬれている和紙を広げると、今時珍しい筆と墨で書かれた達筆な字が目に入る。



 『早く来い。斬るぞ』



 その文字を頭で処理してから、3分もかからずに相模は家を飛び出した。









 「遅い」

 「す、すみません。早めに寝てしまったもので……」

 「今の若者はそんなに早くに寝るのか」

 「たまたま、なんですけど」



 金秋の家に到着すると、案の定機嫌の悪い彼が前回より冷たい目でこちらを見ていた。これから、初仕事だというのに、最悪のスタートだ。

 スマホには10回ほど金秋から電話が入っていた。着信履歴に金秋の名前が並んでいたのを見た瞬間、声にならない悲鳴が出た。本当に斬られてしまうのではないか、と。電話に出ない相模のために、迅が金秋の伝言を持って届けにきたのだろう。きっと、口にくわえていたから濡れていたと相模は理解したが、今はそんな事はどうでもいい。

 大失態をしてしまった。本当にヤバイ。


 だが、思わぬところから助け船が出た。



 「まぁまぁ。急いで来てくれたのですから、そう怒らなくても」

 「家を出てから大分時間が経っている。もっと鍛えろ」

 「金秋さんほど鍛えられるのは、すごい事でしょうけどね」

 「あ、あの、俺の事が見えるんですか!?」



 金秋が座っている場所の向かい側に座っているのは、もちろん相模が初めて会う人物だった。坊主頭に垂れ目が特徴的で、細身の中年男性だ。黒い法衣を身に纏い、手首には大粒の数珠がかけられている。どうみても、住職であった。ニコニコとした表情と物腰が柔らかく、全身から良い人オーラが漂っている。目の前の武士とは全くの正反対だった。

 が、そんな事よりも相模が気にしているのは、この住職が自分を見えているという事だ。助けを求めて近所のお寺に行ったときは全く気付いてもらえなかったのに、この人には自分が見えているのだ。それが驚きでしかなかった。1年近くほとんど誰とも話せなかったのに、こうも自分と会話を交わせる人間が見つかる事が信じられなかった。



 「見えますよ。しっかりとね。随分お若いのに、透明人間になるとは珍しい」

 「………何軒かお寺をまわったのに見える住職さんはいなかったのに」

 「斎雲(さいうん)は高僧である阿闍梨(あじゃり)なのだから当たり前だろう」

 「あ、あじゃり?」



 普通のお坊さんより偉い人が、目の前の斎雲さんだというのはわかった。だが、阿闍梨というのは聞いたことがない。顔に困惑する様子が出ていたのだろう、斎雲は「普通の人は知りませんよね」と微笑みながら説明した。



 「簡単に言えば厳しい修行をした後に、修行僧たちに規律を指導し、教義を伝授する僧の事ですよ。修行によってあらゆる感覚が研ぎ澄まされるので、人外の存在も今まで以上に感じ見る事が出来るようになるのです」

 「き、厳しい修行ですか。よく聞く、何も食べないで山登りしたり、お経を何日も上げ続けるとかですか?」

 「千日回峰行や四無行や八千枚大護摩供ですね」

 「えっと………」

 「千日回峰行は比叡山で行われるもので1日48キロを年間120日、9年にかけて1000日間歩き続けるんですよ。死に出る旅を意味する白装束を身に着けて歩き続けます。病気や怪我、台風や大雪、嵐でも行半ばでやめる事は許されません」

 「げ……」

 「四無行は、食物、水を絶ち、眠らず、横にならずに、これらを9日間籠り真言を唱え続けるものですね。行の途中で命を落としてしまう事も多いのです。なので、千日回峰行を行ったものだけが行います」

 「死!?」

 「八千枚大護摩供は捨身の大行と言われるほど過酷でして。五穀と塩を断ち、100日間に渡り護摩を焚き上げ続けるものです。それらをこなしてきたので、大体なものは見えるようになりましたよ」

 「な、なるほど……」



 あまりにも自分とはかけ離れた世界で生きてきた斎雲に、頭が上がらず思わず深くお辞儀をしてしまう。自分がいかに堕落した生活をしていたのか。そして、それを斎雲には全て見透かされているように思えて、目を合わせられらない。



 「そんなに畏まらないでください。私にとっても貴重な体験であり、今は普通の生活をしているのですから」

 「はぁ………。その斎雲さんが何故、金秋さんと一緒に?ま、まさか俺の透明人間を何とかしてくれるんですか!?」



 怖そうに見える金秋だが、実は自分の事を心配してくれており、斎雲を紹介してくれたのではないか。そう思って感謝の目で金秋を見るが、彼は相模を見る事もなく「違う」と冷たく言い放つと、食べる途中であったのだろう、目の前のお茶漬けを食べている。今日は高菜が乗っている。高菜のお茶漬けもうまそうだ。



 「今回は私から金秋さんに依頼がありまして。まぁ、彼は乗る気ではないようですが」

 「依頼内容は私が探しているものではない」

 「そうとも限りませんよ。その周辺に武士の幽霊を見たという噂もあるみたいですから」

 「武士の幽霊?」

 「では、今から出かける」



 漆塗りの箸を置くと、金秋は相模の質問を遮るように立ち上がった。

 それを見て、斎雲は「ありがとうございます」と微笑むと、残りのお茶漬けに手を伸ばした。



 「あの、金秋さん。………俺の分のお茶漬けは?」

 「おまえの茶漬けはない」



 寝過ごした代償は意外に大きく、相模は彼からの着信音の音量は大きめに設定しようと心に決めた。








 金秋と斎雲に連れて行かれたのは、人が疎らになった最終の各駅列車が止まる小さな駅だった。行く先も告げられずに新幹線の切符を受け取り、座席についてから自分が東北の地に向かう事がわかった。



 「仙台に行くんですか?」

 「そうです。きっと着く頃は丁度いい気温だろうね。熱帯夜なんてあまりないですから」

 「仙台は初めて行きます!楽しみだな」



 透明人間の相模にもしっかり切符を買ってくれるあたり、優しいなと思いながら通路側の席に座る。周りにほんど人はいないが、誰も座っていない席にしきりに話しかける斎雲を、通路を歩く人は驚いた表情で見ているが、彼の服装を見て何だか納得していたようだ。………足早にその場から去ってしまうのは、相模の気のせいではないだろう。

 そして、窓側に座っている金秋は、自宅を出てからというものの黙りこんでしまっている。何やら機嫌が悪いようだ。電話にすぐに出れなかった件もあるし、それなのにお茶漬けを懇願してしまった。

 絶対に自分のせいだ。

 そう思い込んでしまい、チラチラと窓側の仏頂面の侍風情の男を気にして見てしまう。



 「大丈夫ですよ。金秋さんはあなたの事でイライラしているわけではないので」

 「え、違うんですか?」



 わかりやすい行為をしてしまっていた相模の見て、斎雲がそう助言してくれる。けれど、どうしてもそうは思えない。瞼を閉じてはいるが、眉間には皺が寄っている。誰が見ても機嫌が悪いとわかる。


 「金秋さんは北国が奥羽地方が苦手なんです」

 「奥羽って。どうして東北が苦手なんですか?」

 「それは………」



 その言葉の続きが気になり、相模はつい前のめりになってしまう。が、斎雲が口を開いた瞬間に、「おい」という、ドスの効いた地鳴りのように低い声が耳に入った。その途端に、相模の身体がビクッと震える。

 薄眼を開けた金秋の視線はいつもより鋭く見えてしまうので不思議だ。



 「こいつに余計な事は教えるな」

 「じゃ、じゃあ、もしかして仙台が嫌いなんですか?どうして……」



 斎雲に向けていた視線が、ジロリと相模の方に変えられる。

 学生の頃のどんなに厳しい教師の視線よりも怖いと思ってしまう。いや、比べられるものではないレベルで怖い。




 「………北の国は寒いから嫌いだ」



 想像していた言葉よりも大分小さな声と逃げるような言葉があまりにも意外だった。

 次に相模が質問する前に、これでこの話は終いだと言わんばかりに、金秋は相模と斎雲に背を向けてしまったのだった。





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