第八十三節 六郎という名の男
彼女の
しばらく経つと。
曲のクライマックスが近付いて来たのか、
さすがは
そして、クライマックスを迎えた瞬間!
突如として音が止まってしまう。
あまりの出来事に驚いた人々が彼女の方を見ると、
同時に激しく
続いて大量の血を吐いた。
◇
「そんな馬鹿な!」
「なぜだ!?
武田家に親を殺され、その復讐を果たすために生きると誓っていたわしは……
雇い主の依頼を受けて
しかし彼女の人柄を知るほど、わしの心は激しく抵抗するようになった。
『あの女子に罪はない!』
と。
そして。
毒を入れることが出来なくなってしまったのだ!」
「わしは……
雇い主に対して、こう訴えた。
『これは親の復讐とは何の関係もない!
それがしに、あの女子を殺すことはできない!』
と。
そして、ついに雇い主は折れた。
『
わしは、
加えて。
伊賀者を追う
この武田軍と織田軍の衝突によって、両者の争いは
安心せよ、六郎よ。
もう織田信長の愛娘を殺す必要はないぞ』
と!」
そして六郎は……
途中から
「まさか、あの侍女が!?
わしに代わって飲み水に毒を入れ続けていたのでは?」
木の上から六郎の気配が消えた。
◇
一人の若い
その中の一つの井戸に、水を
背後に誰かの気配を感じた瞬間、首筋に冷たい物が当たっていることに気付く。
「声を出すな。
出せば斬る」
「誰?」
「おぬし……
妙に落ち着いているな。
わしと同じ『
「だから何?」
「あの
「だったら何?」
「既に、武田軍と織田軍は衝突したではないか!」
「……」
「あの
「……」
「なぜだ!
なぜ殺す必要もない人まで、
「お
「何っ!?」
「武田信玄も、織田信長も、
それすらも分からないとは……」
「辺境の地での小競り合いで片付けられてしまうと?
ならば!
なぜ、武田軍と織田軍を衝突させた!?」
「そんなもの……
こう言いつつ、
一瞬の隙を突いて喉元の刃から逃れたのだ。
◇
少しの距離を置いて、六郎と
「全て。
お前のせいではないか。
お前は、雇い主にこう助言していた。
『
ただし。
武田家と織田家で何らかの問題[トラブル]が起きれば……
武田家に属する者から離しておくという口実で、あの
と」
「それは、つまり。
あの
「ああ。
そのため『だけ』にな」
「『織田信長の愛娘を殺す必要はない』
雇い主のあの言葉は、嘘だったと!?」
「嘘に決まっているだろう。
間抜けな男め」
「全て……
わしのせいなのか」
「だから。
全て、お前のせいだと申しているではないか」
六郎を精神的に追い込むつもりなのだろうか。
「お前は、もう用済みよ。
たかが毒を入れるだけの任務さえ全うできない腰抜けな男。
わたしという刺客に気付けず、あの
雇い主は、裏切者を煮るなり焼くなり好きにせよと申していたが?
さあ。
「おぬしは……
『哀れ』だな」
「何っ!?」
想定外の反応に、
「わしだけではない。
おぬしもまた、使い捨ての駒であることに気付いていないとは」
「は?
お前と一緒にするな!
わたしは間抜けでも、腰抜けでも、腑抜けでもないわ!」
六郎の喉元を狙って
「もらった」
しかし、手応えがない。
狙ったはずの喉元がそこにない。
その瞬間、あることに気付く。
「これは……
まさか!
わたしが
こんな奴に。
ば、馬鹿な!」
◇
一方。
彼女の方は
恐らく、
当然ながら
一人の若い男が彼女の前に現れた。
「姫様。
それがしは、六郎と申します」
「六郎、殿……?
わたくしに何か?」
「全て、それがしのせいにございます」
「どういうことです?」
「姫様に毒を盛りました」
「あなたが……
わたくしに毒を?」
「姫様。
どうぞ、それがしに死を
「……」
「遠慮はいりません。
それがしは、犯した行為の『代償』を支払う覚悟で参ったのですから」
「……」
「どんなに
「六郎殿。
あなたではありませんね?」
「えっ?」
「目です」
「目!?」
「わたくしは、まず目を見て人を判断しています。
あなたの目には……
『欲』というものがない」
「それがしに欲はありません。
武田家に親を殺され、その復讐を果たすため『だけ』に生きています」
「六郎殿。
わたくしに、全てをお話し頂けませんか?」
「はい」
◇
六郎は全てを語り始めた。
「とある『武器商人』に拾われた、それがしは……
復讐を果たすための
「生きる目的が、復讐を果たすためだけだなんて……
何て可哀想。
さぞやお辛かったことでしょう?」
彼女は自分の辛さよりも、他人の辛さを思いやろうとする人物であった。
六郎を更なる後悔の念が襲う。
「それがしは何という愚かな真似を……
『
「……」
「
「いいえ。
それはなりません。
あなたには、生きることを命じます」
「生きる?
なぜ?」
「あなたが
とても『純粋』な御方だと分かりました」
「純粋?
それがしが?」
「あなたは……
『使命』を全うするために生きるべき御方だと思っています」
「どんな使命を?」
「もう二度と、武器商人に抹殺される女子が出ないようにすることを」
「承知しました。
「行きなさい」
六郎の気配が消えた。
◇
その夜。
最愛の妻が
自身の治めている
「
直ちに門を開けよ!」
鈍い音を立てて門が開くと……
男は
「勝頼様。
ここは武田家の
神聖な場所にて……」
「
妻はどこだ!」
「あちらにございますが……
「うるさいっ!」
恵林寺の僧が部屋のある建物を指差すと、男は騎馬のまま駆けた。
手前で馬を乗り捨てて建物の中へと入っていく。
「あなた様……
お会いしとうございました」
あれだけ可愛らしかった妻は、あまりにも変わり果てていた。
勝頼は現実を受け入れられず我を失った。
「な、なぜだ!
なぜこのようなことに……」
「何者かに毒を盛られたのでございます。
気付いたときには、もう……」
後ろに控えていた僧が、勝頼の質問に応える。
「何だと?
このくそ
うぬは妻の
勝頼はいつの間にか刀を抜き放っていた。
【次節予告 第八十四節 織田信長の愛娘、その遺言】
妻を傷付けた者たちに復讐したいと望む夫。
彼女はこう訴えます。
「この事実を、『隠す』のです」
と。
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