第八十二節 織田信長の愛娘、殺害の真相・後

武田軍2,500人を率い、美濃国みののくに恵那郡えなぐん[現在の岐阜県中津川市、恵那市など]へ向けて猛烈な早さで進軍中の秋山信友あきやまのぶとも


織田軍に属する遠山とおやま一族3,000人が、自分を迎撃するために布陣した詳細を知るほど……

その『奇妙』さに首をかしげるようになった。


「一族の筆頭格である岩村城いわむらじょう[現在の岐阜県恵那市岩村町]の女城主、おつやの方が城から一兵も出撃させしていないだと?

そのせいで500人あまりが減った軍勢を、4つにも分散して布陣している?

これは何かの罠か?

もしかすると。

奴ら、一族の総力を結集できていないのでは?」


しばらくして信友は、おつやの方から一通の書状を受け取る。

虎繁とらしげ殿。

わたくしは、伊賀者いがものが犯した極悪非道な行為を決して見逃すべきではないと思います。

だからこそ。

遠山一族は罪人たちの捕縛に協力すべきでした。

ところが!

一族の方々は誰一人としてわたくしの言葉に耳を貸しませんでした。

恐らく、何者かに『買収』されたのではないかと」


事態の全容をつかんだ信友は、思わずほくそ笑む。

「買収か。

なるほど……

それならば奴らの奇妙な布陣も理解できるというもの。

一族の総力を結集するどころか、欲でつながる烏合うごうしゅうであったとはのう。

そんな雑魚に負けるはずがない」


信友はすぐに兵を3つに分け、その中の1隊にわざと狭い道を進ませた。

これを見た遠山一族はすぐに反応する。


「あの武田軍の1隊を見よ!

1,000人ほどが狭い道を進んでるが、隊列が細く長くなっているではないか。

これは好機ぞ!

奴らの柔らかい横っ腹をえぐってやれ!」


遠山一族の1隊、500人の部隊が武田軍の1隊へと襲い掛かった。

驚いた敵は慌てて後退を始める。


「奴ら、逃げていくぞ!

無敵の武田軍も、そんな程度か!

追撃しろ!

一気に決着を付けてやる!」


しばらくすると……

突如として、左右に敵の軍旗が並んでいることに気付く。


「し、しまった!

これは罠じゃ!

武田軍は兵を3隊に分ける『芝居』をしていただけで、実際は全軍を集結させていたのか!」


遠山一族の1隊は、およそ5倍の武田軍に左右からすり潰されて壊滅した。

まさに瞬殺であった。


続いて。

遠山一族の残りの3隊は、味方が追撃中との報告を受けてこう言い始める。


「おいおい……

これでは、褒美の銭[お金]を全てあの部隊の隊長に取られてしまうぞ?

出撃じゃ!」


こうして欲にくらんだ残りの3隊は出撃した。

兵法で最も愚かな行為とされる、兵の『逐次投入ちくじとうにゅう[一挙に兵を投入するのではなく、行き当たりばったりのバラバラに兵を投入すること]』を行った。


案の定。

信友に『各個撃破かっこげきは』され、遠山一族は惨敗した。


合戦の経過を聞いた織田軍の将帥しょうすいたちは……


「遠山め!

あの恥さらしが!」


「圧倒的な地の利に恵まれていながら……

どうやったらあんな無様ぶざまな負け方ができるか教えて欲しいくらいじゃ」


「あれが味方などと……

反吐へどが出るぞ!」


「一族を迎撃に駆り立てた遠山友勝とおやまともかつなる男。

どうやら逐電ちくでん[逃亡すること]したらしい」


「兵を見捨てて逐電したと?

情けなや……

それでも男か!」


何という『皮肉』だろうか。


操り人形として生きるか、人として生きるかは自分次第である。


 ◇


遠山とおやま一族と秋山信友あきやまのぶともが衝突している頃。


「これで武田軍の追手おってを巻いたぞ!」

途中で徳川家康の弟・康俊やすとしを逃がして帰国のについていた伊賀者いがものたちは皆、安堵の表情を浮かべていたが……

しばらくすると、背後から聞こえてくる『音』に気付く。


「これは、馬蹄ばていの音?」

「馬蹄の音!?

もしや、追手が迫っているのか?」


「あの虎繁とらしげ[信友のこと]が……

兵の一部を割いて追手を差し向けたのでは?」


指示役の男が冷静さを保つよう促す。

「落ち着け。

音から察するに、追手は数十人程度ぞ?

我らと『同数』ではないか」


「同数?」

「我らは暗殺を生業なりわいとする、人殺しの玄人くろうと集団であろう。

同数を相手に負けるはずがあるまい」


「確かにそうじゃ!」

ならば、奴らを返り討ちにしてやろう!」


伊賀者たちは迎撃の備えを始めた。


 ◇


秋山虎繁あきやまとらしげ見参けんざん

人でなしの伊賀者いがものどもよ。

おのれが犯した行為の代償を、今ここで支払えっ!」


大将が陣頭に立って突撃を開始すると、伊賀者たちは驚きの声を上げ始める。

虎繁とらしげがなぜここに?

合戦の指揮を取っているのではなかったのか!?」


……

同じ国の民をなぶり殺しにされた怨念おんねんに燃え、『復讐』を果たすために決死の突撃を敢行する百戦錬磨ひゃくせんれんまの精鋭が相手では勝負にならない。

馬上からの素早い斬撃で体中を斬り刻まれていく。


「目を潰された!

何も見えない!」


「腕がぁっ!

痛い、痛い!」


「待て!

わしは、伊賀者ではない!

簡単に稼げる仕事と聞いて参加した『だけ』なのじゃ!」


「まさか人を殺す仕事とは知らず……

着いてから内容を聞かされ、仕方なくやった『だけ』なのじゃ!」


「だから何だ?

無能なクズどもが。

せめて、死んで人の役に立て」


言い訳は一切通用せず、攻撃はむしろ激しさを増した。


 ◇


武田軍の精兵から必死に逃れている伊賀者たちは、あることに気付く。


「『指示役』が消えている!?

どこへ行った?」


「も、もしや!

徳川家康の弟を逃がしたことで、我らはもう用済みに?」


「そんな馬鹿な!

使!?」


指示役を除き……

その場にいた操り人形たちは、ただの肉片と化した。


 ◇


織田信長と万見まんみ仙千代せんちよとの会話は続く。


「遠山一族に対して一方的な勝利を収めた秋山信友は……

兵たちに一切の略奪を禁じ、一片いっぺんの領地も奪わず帰国のについたとか」


「うむ。

わしだけでなく家臣のほとんどが、『[悪いこと]』はすべて遠山一族にあると思っていた」


至極しごくもっともであると思います」

「そこで。

わしは、辺境での些細ささいな衝突として扱うよう命じたのじゃ」


「それもまた……

至極しごくもっともな処置にございましょう」


「ところが!

2


「2人とは、一族の重鎮である穴山信君あなやまのぶただ武田信豊たけだのぶとよのことでしょうか?」

「ああ」


「何を問題視したのです?」

「京の都の武器商人から買収された結果、一族を迎撃に駆り立てて上村合戦かみむらかっせんの『原因』を作った遠山友勝とおやまともかつなる男」


「遠山友勝?

その男の養父は確か、信長様の妹を妻に迎えていた遠山直廉とおやまなおかど殿では?」

「うむ」


「つまり。

直廉の娘として生まれたいと様は、上村合戦の原因を作った男の妹でもあったと!」


「ああ……

そうじゃ」


 ◇


武田信玄の娘婿である穴山信君あなやまのぶただは、あるじに対してある提言を行っていた。


「一族を迎撃に駆り立てて上村合戦かみむらかっせんの原因を作った遠山友勝とおやまともかつなる男ですが……

どうやら京の都の武器商人から買収されていたようです」


「買収!?

それはまことか?」


「京の都の武器商人は、商売敵である堺の武器商人と手を組んだ織田信長を敵視していました。

信玄様を信長の敵にしようと、ありとあらゆる策略をくわだてていたはず」


「まあ、有り得る話ではあるな」

「お忘れでしょうか?

無用ないくさを引き起こした友勝の養父である遠山直廉とおやまなおかど殿は、いと様の父でもありましょう?」


「それで?」

「一族や家臣の中には……

いと様こそが『首謀者』ではないかと、あらぬ疑いを持つ者たちがおりまして」


「は?

何を馬鹿な」


「このようなことを申す者が、実際にいるのです。

四郎しろう勝頼かつより様の正室といえば……

あの織田信長が手元に置いて大切に育てた娘であるらしい。

信長の盟友である徳川家康の弟を救おうと策略を巡らせたとして何の不思議があろうか?』

と」


いと伊賀者いがものを雇って民に危害を加えるなど、絶対に有り得ん」

「それがしもそう思っております。

ただし……


「……

それで?」


甲斐国かいのくに[現在の山梨県]で一番『安全』な場所へ行って頂きましょう」

「どこじゃ?」


菩提寺ぼだいじ恵林寺えりんじです」


 ◇


舞台を2人の会話に戻そう。


恵林寺えりんじは、防備の優れた高台にはありません。

暗殺者が簡単に入れてしまう!

むしろ防備の優れた高台にある躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたで保護すべきでした。

何と愚かな!」


仙千代せんちよの見立ての通りよ。

暗殺者の手に掛かっていとは……」



【次節予告 第八十三節 六郎という名の男】

武田家に親を殺され、その復讐を果たすために生きると誓っていた六郎は……

雇い主の依頼を受けて弦の飲み水に少しずつ毒を入れていました。

しかし彼女の人柄を知るほど、その心は激しく抵抗するのです。

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