第六十七節 天下人を激怒させた書き込み

何十年か後。


日本全国を統一して天下人てんかびととなった豊臣秀吉は、とある『書き込み』を見付け……

周囲が凍り付くほどの怒りをあらわにした。


「おのれ!

誰じゃ!

この落首らくしゅ[落書きのこと]を書いたのは?

書いた者を、草の根を分けてでも探し出せ!」


普段と全く違う雰囲気に凍り付いたままの周囲に対し、秀吉は怒りに任せて言葉を続ける。

「良いか。

書いた者に加え、その妻、親、子供、親類縁者に至るまでことごとく首をね、三条河原さんじょうがわら[現在の京都市東山区]にさらすのじゃ。

これは命令だぞ」

と。


天下人てんかびとをここまで怒らせるとは……

そこには一体、何と書き込まれていたのだろうか?


「『太閤たいこうという最も高い地位を得た秀吉も、所詮は尾張中村おわりなかむら[現在の名古屋市中村区]の百姓の出身に過ぎないではないか』

この書き込みを見た秀吉は周囲が凍り付くほどの怒りをあらわにした。

石田三成いしだみつなり前田玄以まえだげんいなど豊臣家の優れた家臣たちが血眼ちまなこになって犯人を探すものの、犯人の手掛かりすら得ることができない。

激怒が収まらない秀吉は、警備を担当していた者たちの首をことごとねる暴挙に出る。

たかが書き込み一つでここまでやるとは、どう考えてもやり過ぎだろう。

自分が天下人てんかびとであるとの傲慢ごうまんさがそうさせたに違いない」


上から目線の歴史書には、こう書かれているが……

歴史から貴重な教訓を学ばせてやるとでも言いたいのだろうか?


残念ながら。

内容が薄っぺらいことに加えて、2つも間違いを犯していることに気付いてさえいない。


その1つ目。

たかが書き込みと、『甘く』考えないことだ。


ネットに書き込まれた、たった一文の誹謗中傷ひぼうちゅうしょうによって……

誰かを自殺に追い込むことがある。

あるいはネットに書き込まれた、たった一文のデマによって集団リンチが発生し……

誰かを死に追いやることもしばしばある。


続いて2つ目。

秀吉本人が長年にわたって周囲に言っていたから当然であるが……

尾張中村おわりなかむらの百姓の出身であることは、当時の誰もが『知って』いたらしい。


誰もが知っていることを書き込まれた程度で、なぜ秀吉はここまで怒り狂ったのだろうか?


 ◇


一つの事実がある。


秀吉が太閤たいこうという最も高い地位を得るに当たり、天皇の落胤らくいんであるなど自分の『血統』を高貴なものにしようとしてはいたが……


この事実からすると。

百姓の出身との書き込みに対して秀吉がここまで怒り狂うのは、あまりにも不自然ではないだろうか?


むしろ。

秀吉が人々に決して『知られたくない』内容が書き込まれていたと考える方がずっと自然だろう。


わたしの見立てでは……

こう書かれていたのではないかと考えている。


太閤たいこう秀吉は出身を偽っているぞ。

尾張中村おわりなかむらの百姓ではなく、商人の出身であるという事実をな。

要するに。

あの悪名高き斎藤道三さいとうどうさん松永久秀まつながひさひでと『同族』ということよ」


こう続く。

道三どうさんあるじ土岐とき一族を追い払って美濃国みののくに[現在の岐阜県]を盗んだ極悪人、久秀ひさひでは東大寺の大仏を焼いた極悪人ではないか!

銭[お金]で成功したこやつらは天の裁きを受け、無残な最期を遂げたことは知っていよう?

道三は長良川ながらがわの戦いでめった刺しに斬り殺され、首までさらされた。

久秀に至っては二度も主に謀反を起こし、最期は茶器で有名な平蜘蛛ひらぐもと共に爆死した。

いずれ……

と。


人々に決して知られたくない内容が書き込まれていたからこそ……

秀吉は、書いた人間を血眼ちまなこになって探そうとしたのだ。


最新の研究によると。

商人を最下層に落とした士農工商しのうこうしょうという身分制度を、江戸幕府が作った『事実はない』らしい。


かみが作った制度ではないとすれば……


一部の商人たちが薄汚い商売に手を染めたことで、人々が抱く商人への印象は著しく悪化し、結果として商人は社会的な地位まで『最下層』へと叩き落とされた。

自分で自分の地位をおとしめた商人たちのせいで……

天下人てんかびとにまで上り詰めて栄華を極めた秀吉でさえ、必死になって自分の出身を隠す羽目に陥っていたのだ!


余談であるが。

彼は同じ商人出身の千利休せんのりきゅうを重く用いて自分に次ぐ権力を与えた一方で、後に無実の罪を着せて切腹を命じるという支離滅裂な行動を起こす。


秀吉の持つ『同族嫌悪』がどれだけ凄まじいものであったか、よく分かる一幕だろう。


 ◇


時を戻そう。


「『嘘』を信じるとは、あやつも凡人ぼんじんに過ぎんようじゃ」

この秀吉の独り言は真実であったようだ。


包囲が未完成な部分へとやってきた山城やましろ屋は、衝撃の光景を目にする。

そこには永楽銭えいらくせんの軍旗を掲げた軍勢が待ち構えていたのだ!

勿論もちろん、織田信長の軍勢である。


そして。

千年の都から、次々と火の手が上がり始め……

あの比叡山ひえいざんの焼き討ちを超える惨劇さんげき、『上京かみぎょうの焼き討ち』が開始された。


 ◇


しばらくすると……


大勢の上京かみぎょうの商人と、彼らが雇っている兵士たちがやって来る。

包囲が未完成と聞いてやってきたのは、山城やましろ屋だけではなかったのだろうか?


「皆の者!

あの軍旗を見よ!」

これを見た山城やましろ屋は、咄嗟とっさに大声を張り上げた。


周囲がその大声に反応する。

「織田木瓜もっこう[織田家の家紋]に、揚羽蝶あげはちょう[織田家の先祖、平氏の家紋]の軍旗!

あの軍旗がはためいているということは……

あれが、織田信長の本陣なのか!?」


「何っ!?

あそこに、信長本人がいるだと?」


「よく見れば……

それほどの数ではないようだぞ?

百人程度にしか見えん」


何人かの反応を聞いた山城やましろ屋は、あおるように言葉を続ける。

「皆の者!

この上京を焼き討ちにせんとする極悪人が、あそこにいる!

数はそれほどではない!

今こそ、極悪人を討つ好機が到来しているのではないか?」


「確かにそうじゃ!

今こそ……

信長を討つ千載一遇せんさいいちぐうの好機!」

何処からか、山城やましろ屋を肯定する大声がとどろく。


「各個に攻めても意味はない!

ならば、皆で一斉に攻め掛かろうではないか!

ここは武器弾薬のあきないの中心、上京かみぎょうぞ?

武器弾薬ならいくらでもある!

さあ、皆の者!

武器を手に取って立ち上がれ!」

誰かが意図的に息を合わせたのか、山城やましろ屋を肯定する大声が続いてとどろく。


武器を手に取った千人近い上京かみぎょうの人々が、織田信長の本陣を攻めようと集結した。


 ◇


「敵はたかが百人!

一斉に攻め掛かれ!」


「敵襲!

敵襲じゃあ!

鉄砲隊、構えっ!」


武器を手に取った千人近いの上京かみぎょうの人々が攻め掛かると……

織田木瓜もっこうに、揚羽蝶あげはちょうの軍旗を掲げた敵が反応する。


敵の射撃で数十人ほどが倒されたものの、その命中精度はそれほど高くないようだ。

ほとんどは射程外から撃ってしまったらしい。

慌てているのだろうか。


「奴ら、慌てているぞ!

次の弾込めには時間が掛かる!

一気に攻め掛かれ!」

また誰かが意図的に息を合わせたのか、上京かみぎょうの人々を敵へとあおり立てた。


あおり立てられるまま更に敵へと肉薄した上京かみぎょうの人々は……

再び驚愕の光景を目の当たりにする。

数倍の敵を相手にしても落ち着き払っている指揮官と、銃口をこちらへ向けている新たな精鋭の鉄砲隊、2百人ほどだ。


名を菅屋長頼すがやながよりと言う指揮官は、兵たちにある命令を出す。

「鉄砲のまとを変更せよ。

頭ではなく、腹を狙え」

と。


「頭ではなく、腹を?」

「うむ」


「腹は当たりやすいですが、すぐには死に至りません。

敵の足を止めなくてもよろしいので?」


「敵の足を止めるのが目的ではない。


「兵ですらない?」

「『素人しろうと』よ」


「素人……?」

「今だ!

命令通りにせよ。

撃ち方、始めっ!」


指揮官の命令が響き、先程とは全く違う正確な射撃が上京かみぎょうの人々に襲い掛かって来る。

「わ!

ぎゃあ!」


玄人くろうとであれば下手に動かずその場でじっとしているのだが、残念ながら訓練されていない素人がほとんどだ。

激痛を我慢できず、突然の戦況の変化に付いて行けず、パニックを起こして助けを呼んでのたうち回って混乱を拡大させ、かえって鉄砲の餌食となる犠牲者を増やす有様であった。


十数分後。

哀れなむくろが千ほど出来上がっていた。


「おのれ信長!

100人程度に見せ掛けて我らをあざむくとは卑怯な!

まあ、良い。

役立たずの雑魚どもを千ほど失っただけよ。

まだ次がある」


千ほどの哀れなむくろの前で、山城やましろ屋はひたすら強がっていた。



【次節予告 第六十八節 正義と悪の境目とは】

「故郷の国の平和を脅かす『悪人』を討て。

どんな犠牲を払おうとな」

主から命令を受けた下山平兵衛は、配下の伊賀者に集結を命じます。

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