第伍章 信長と勝頼、決戦の章

第六十一節 正義と悪の境目

千年の都が、この世を焼き尽くすような大火に見舞われている。


「おのれ……

織田信長!

『権力や富を持つ資格のない上京かみぎょうクズどもこそ!

実力ある者から、実力を磨く努力を怠らない者から、権力や富をつかみ取る機会を奪い取っている盗人ぬすっとではないか!』

だと?

親から子へ権力や富を受け継がせる制度の何が悪い?

正しいことではないか!」


思わず声を上げたのは、上京かみぎょう[現在の京都市二条通の北側]の代表的な5人の武器商人の一人である。

彼の主張はこう続く。


「『相続そうぞく』という正当な権利を否定し、みかど[天皇のこと]のおわす千年の都を焼き討ちにする極悪人・織田信長め!

末代に至るまで呪われるがいい!

比叡山ひえいざんの焼き討ちを超える悪逆非道な所業しょぎょうを行う信長と、相続という正当な権利で権力や富を手に入れた我らと……

まことの悪人がどちらなのかは火を見るより明らかではないか!」

と。


 ◇


その武器商人は、すぐ後ろに控えている男に話し掛けた。


下山平兵衛しもやまへいべえ

「はっ」


「我ら上京の5人衆は、そちたちに莫大な銭[お金]を払い……

長年にわたって伊賀者いがもの伊賀国いがのくに、現在の三重県伊賀上野市付近に住む人々のこと]を『飼って』きた」


「はっ」

「代は替わっても、飼い主への忠義を忘れてはいないだろうな?」


勿論もちろんです」

「敵軍に潜ませた我が配下の情報によると……

信長の軍勢は数万人もの大軍ではあるが、上京全体を包囲しているために『薄く』広がっているらしい」


「……」

「わしが何を望んでいるか、分かるか?」


「それがしに……

配下の伊賀者いがものを率いて包囲陣の一角を突破せよと?」


「うむ。

そちの率いる伊賀者いがものは数百人程度ではあるが、忍びの術を極めた精鋭ぞろいであろう?

薄くなった包囲陣の一角を突破するなど容易たやすいはず」


「そうかもしれませんが」

「加えて。

あそこに、信長の本陣があるらしい」


武器商人の指さす方向を見た平兵衛へいべえは驚きの声を上げた。

「何と!?

あそこに、信長の本陣が?」


「信長を討つ千載一遇せんさいいちぐうの好機とは思わぬか?」

「あれがまことに信長の本陣であれば、ですが……

全軍の総大将がこんな危険な最前線に出てくるなど聞いたことがありません。

安全な後方にいるのが『常識』では?」


「奴に常識など、ない。

虐殺や略奪を直に見たいのであろう」


「果たして……

そうでしょうか?

他人ばかりを危険な場所に置かず、自ら陣頭に立っておのれの身を危険にさらすことを心掛けている将のようにも思えますが」


武器商人は平兵衛へいべえの質問に答えず、別の話を始める。

「そういえば。

そちの故郷、伊賀国いがのくにについて……

ある話を聞いた」


「どんな話を?」

伊賀国いがのくにの隣にある、伊勢国いせのくに[現在の三重県]が信長に乗っ取られたことは知っていよう?」


「伊勢国の名族、北畠きたばたけ一族、神戸かんべ一族、長野ながの一族などに信長が次々と養子を送り込んでいる話なら知っております」

「それらの名族の中でも、幕府から伊勢国の支配者に任命されていた北畠一族の養子に送り込まれた信長の息子が……

ついに行動を起こしたらしい」


「どんな行動を?」

「養父である北畠具教きたばたけとものりとその一族を皆殺しにして、伊勢国を完全に掌握しょうあくしたとか」


「何と!?」

「当然ながら……

すべて、信長の指示でな」


「要するに。

?」


「元々、伊勢国いせのくには一つではなかった。

北畠きたばたけ一族、神戸かんべ一族、長野ながの一族などが相争っていたからのう。

ただし!

そのおかげで……

隣の伊賀国いがのくににまで手を出す『余裕』がなかった」


「信長の息子が伊勢国を完全に掌握したことで……


「うむ。

だからこそ、そちは信長を討たねばならんのじゃ」


「……」

「故郷の国の平和を脅かす『悪人』を、な」


「……」

「そちは……

どんな犠牲を払ってでも信長という悪人を討たねばならん。

故郷に残した妻や子供を、無垢むくの民を、薄汚い侵略者から守るために!

これは『正義』の戦いぞ!」


「はっ」

武器商人の飼い犬・下山平兵衛しもやまへいべえは配下の伊賀者いがものに集結を命じた。


 ◇


「皆の者。

信長の本陣が、我らの目と鼻の先にある。

信長を討つ千載一遇せんさいいちぐうの好機が到来しているのだ!」


「信長が目の前に!?」

「そうだ。

信長の首を取れば、どうなるか想像してみよ」


「褒美の銭[お金]がたんまりもらえると?」

「ああ。

今、上京かみぎょうの人々は未曾有みぞうの虐殺と略奪の餌食になっている。

彼らを救えばどうなるか、分かるであろう?」


「おお!

これは……

計り知れない銭[お金]をもらえる機会ではないか!」


「そうじゃ!

わしはやるぞ!

信長の首を取れ!」


配下の伊賀者いがものの戦意が十分に高まったのを見た平兵衛へいべえは、攻撃の命令を発する。

「信長の本陣には必ず精鋭の鉄砲隊がいる。

竹束たけたば[鉄砲を弾くことができる盾のこと]を構えて前進せよ。

敵が鉄砲を撃ち尽くした頃合いを見てから、斬り込むのだ。

良いな」


おうっ!」

数百人の伊賀者いがものが盾を構えて前進を始めた。


 ◇


「敵じゃ!

敵襲!

鉄砲隊、構えっ」


前方の敵陣もこちらの動きに気付いたようだ。

さすがは信長の本陣を守る兵だけあって、隙がない。


「撃ち方、始めっ!」

敵陣の鉄砲隊が射撃を開始したが、そのすべてが竹束たけたばに弾かれていく。


「これは……

いけるぞ!

あと、もう少しじゃ」

盾を構えながら進む伊賀者いがものたちから勝利を確信した声が上がり始める。


「よし!

敵を切り刻めっ!」


盾を投げ付けて敵へ一気に肉薄した瞬間!


「ぎゃあっ!」

「何じゃこれは!」

「奴ら、落とし穴を掘っていたのか!

いつの間に!?」


落とし穴の中には、念入りに無数の竹や刀を配置していたようだ。

数十人の伊賀者いがものが一瞬で身体を貫かれた。


それでも、まだ……

悲劇は終わらない。


「今だ、一斉に射てっ!」

大地を揺らさんばかりの射撃音がとどろく。

敵はさらに後方へ多数の鉄砲隊をひそませていたらしい。

至近距離から一斉射撃を食らい、伊賀者たちの大半が射殺された。


「何と!?

信長め、自らを囮にして我らを罠にめるとは!

まんまとしてやられた!」


慌てて配下の伊賀者に退却を命じた平兵衛へいべえはあることに気付く。

「ん?

なぜ、ここに!?」


武器商人とその一家が、自分のすぐ背後にいたのである。


 ◇


平兵衛へいべえはすべてを察したようだ。


あるじ殿。

我らを囮にして、逃げる算段でしたか」


「……」

沈黙するあるじを見て、続く平兵衛の行動は一瞬であった。


「ぐはっ!」

武器商人は……

自分の身体を一本の刀が貫いたことに、やや遅れて気付く。


「この不忠者め!

!」


断末魔の絶叫を上げて死んでいく武器商人を見て、側にいた伊賀者いがものの一人が平兵衛へいべえに声を掛けた。

「平兵衛殿。

こ、これは?」


「わしは……

仕えるあるじを間違えたようだ」


「我ら伊賀者にとって、銭[お金]をくれる者こそ主では?」

「わしも最初はそう思っていたが……

やがて『疑問』を感じるようになっていた」


「どんな疑問を?」

「『犬のままでいいのか?』

と」


「……」

「わしは、犬ではない。

人だ」


「……」

「わしはな……

京の都が炎に包まれている中で……

ずっと考えていたことがあった」


「何を考えていたのです?」

「戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したいとのこころざしつらぬくためならば……

無関係な人々もいる上京かみぎょうの焼き討ちを命令して未曾有みぞうの虐殺と略奪を行うことができる、目的のためなら手段を選ばない織田信長。

一方で。

努力ではなく相続そうぞくによって権力や富を得、世のためでも人のためでもなく、ただおのれの銭[お金]を増やすことばかりを優先する上京かみぎょうの武器商人。

と」


「どちらが正義で、どちらが悪……

難しいですな」


「わしには、正義と悪の『境目』がどこにあるかは分からん。

ただし!

一つだけ、はっきりしていることはある」


「何をです?」

「わしはな……

おのればかりを安全な場所に置き、他人ばかりを危険な場所に送り込むような恥知らずをあるじあおぎたくはない!

反吐へどが出るわ!

それよりは、陣頭に立って己の身を危険にさらすような将こそ主に仰ぎたい」


「信長に仕えたいと?」

「わしも、伊賀国いがのくにの人々も。

今こそ……


「何と!」

伊勢国いせのくにへ行こう。

信長の息子に、こう願い出るのだ。

伊賀国いがのくにを治めて頂きたい』

とな。

一緒に来てくれ」


「はっ。

その前に、残された一家をどうします?」


安全な場所まで送り届けてやろう」


平兵衛へいべえたちは、一家を抱えて風のように消えていった。



【次節予告 第六十二節 復讐を優先する主君】

万見仙千代を労った主はこう言います。

「これで。

『愛娘』の無念を少しは晴らせたかのう……」

と。

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