第六十八節 正義と悪の境目とは
1573年4月3日夜。
現在の京都市二条通より北側に当たる
この惨劇を目撃した宣教師のルイス・フロイスは、こう語っている。
「恐るべき
上京のすべての神社、寺、家屋もろとも焼失し、それらを焼き尽くす
加えて織田軍の兵士たちによる凄まじい略奪が始まった。
所持品や衣服を奪われたのみならず、虐待と拷問によって隠した財産の場所を白状させられた者たちもいた。
こんな光景を見るのは、あまりにも嘆かわしい……」
と。
ところが!
不思議なことに……
犠牲者の規模がはるかに少ない、比叡山の焼き討ちの方が抜群の知名度を誇っているのだ。
中には、上京の焼き討ちという出来事そのものを知らない人も多いらしい。
◇
「織田信長の行為は『正義』か、それとも『悪』か?」
歴史研究家たちは長年に
人々が見聞きする小説、演説、メディア、SNSのほとんどが、正義と悪の対立という『手法』を用いて内容を分かりやすくしている以上……
正義か、悪かをはっきりさせたい気持ちはよく分かる。
ただし。
実際のところ正義と悪の対立は、ただの犯罪者と、それを追う警察官の設定くらいにしか存在しない。
それ以外はすべて、『こちら側』の正義と、『あちら側』の正義との対立である。
「織田信長の行為は正義か、それとも悪か?」
こんな議論は時間の無駄でしかないのだ。
あの
信長の立場になって考えれば純粋な『正義』そのものなのだから。
◇
「まだ次がある」
千ほどの哀れな
すぐ後ろに控えている男に話し掛けた。
「
「はっ」
「我ら
「はっ」
「代は替わっても、『飼い主』が誰かを忘れてはいないだろうな?」
「
「わしが何を望んでいるか、分かるか?」
「それがしに……
配下の
「うむ。
そちの率いる
同じ数の敵を討つなど
「そうかもしれませんが」
「信長を討つ
「あれが
全軍の総大将がこんな危険な最前線に出てくるなど聞いたことがありません。
安全な後方にいるのが『常識』では?」
「奴に常識など、ない。
虐殺や略奪を直に見るために前線に出たのであろう」
「果たして……
そうでしょうか?
他人ばかりを危険な場所に置かず、自ら陣頭に立って
「そういえば。
そちの故郷、
ある話を聞いたぞ」
「どんな話を?」
「
「
「うむ。
それらの名族の中でも、幕府から伊勢国の支配者に任命されていた北畠一族の養子に送り込まれた信長の息子が……
ある『計画』を立てているらしい」
「どんな計画を?」
「養父である
「何と!?」
「要するに。
もうすぐ
「……」
「元々、
ただし!
そのおかげで、隣の
「信長の息子が
伊賀国は、いつ侵略されてもおかしくない状況になってしまうと?」
「うむ」
「……」
「故郷の国の平和を脅かす『悪人』を討て、
どんな犠牲を払おうとな」
「はっ」
◇
「皆の者。
信長の本陣が、我らの目と鼻の先にある。
信長の首を取れば……
どうなるか想像してみよ」
「褒美の銭[お金]がたんまりもらえると?」
「ああ。
今、
彼らを救えばどうなるか分かるであろう?」
「おお!
これは……
計り知れない銭[お金]をもらえる機会ではないか!」
「そうじゃ!
わしはやるぞ!
信長の首を取れ!」
配下の
「信長の本陣には2百人ほどの精鋭の鉄砲隊がいる。
敵の目と鼻の先まで接近してから、斬り込むのだ。
良いな」
「
数百人の
◇
「撃ち方、始めっ!」
敵陣の鉄砲隊が射撃を開始したが、そのすべてが
「これは……
いけるぞ!
あと、もう少しじゃ」
盾を構えながら進む
「よし!
敵を切り刻めっ!」
盾を投げ付けて敵へ一気に肉薄した瞬間!
伊賀者たちの地面が突如として消えた。
「ぎゃあっ!」
「何じゃこれは!」
「奴ら、落とし穴を掘っていたのか!
いつの間に!?」
落とし穴の中には、念入りに無数の竹や刀を配置していたようだ。
数十人の
それでも、まだ……
悲劇は終わらない。
「今だ!
一斉に射てっ!」
大地を揺らさんばかりの射撃音が
敵はさらに後方へ多数の鉄砲隊を
至近距離から一斉射撃を食らい、伊賀者たちの大半が射殺された。
「何と!?
信長め、更に新手の鉄砲隊を隠していたのか!
まんまとしてやられた!」
慌てて配下の伊賀者に退却を命じた
「ん?
なぜ、ここに!?」
◇
「我らを『
逃げる算段でしたか」
「う……」
沈黙する
「ぐはっ!」
自分の身体を一本の刀が貫いたことに、やや遅れて気付く。
「この不忠者め!
人でなしの犬のくせに、飼い主に刃を向けるとは!」
断末魔の絶叫を上げて死んでいく
「平兵衛殿。
これは一体?」
「わしは……
仕える
「銭[お金]をくれる者こそ主では?」
「わしも最初はそう思っていたが……
疑問を感じるようになっていた」
「どんな疑問を?」
「『我らは犬ではなく、人ではないか』
と」
「……」
「加えて。
この一連の出来事を見て……
考えていたことがある」
「何を考えていたのです?」
「戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したいとの
無関係な人々もいる
一方で。
努力ではなく
どちらが正義で、どちらが悪なのだろうか?
と」
「どちらが正義で、どちらが悪……
難しいですな」
「わしには正義と悪の『境目』がどこにあるかは分からん。
ただし!
一つだけ、はっきりしていることはある」
「何をです?」
「わしはな……
それよりは、陣頭に立って己の身を危険に
「信長に仕えたいと?」
「わしも、
今こそ……
犬であることを捨て、人になろうではないか」
「何と!」
「
信長の息子に、こう願い出るのだ。
『
とな。
一緒に来てくれ」
「はっ。
その前に、残された一族をどうします?」
「一族には恩がある。
安全な場所まで送り届けてやろう」
【次節予告 第六十九節 焼き討ちの真の目的】
主はこう言います。
「これで。
『愛娘』を抹殺した4人の屑どものうち、丹波屋を除く3人を始末できたな」
と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます