第六十二節 復讐を優先する主君

「敵じゃ!

敵襲!

鉄砲隊、構えっ」

最前線の兵士を率いる指揮官たちの叫び声が響いている。


あるじである織田信長様の本陣が襲撃されるのは……


「戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したいとのこころざしつらぬくためならば、わしは『手段』を選ばない。

例え無関係な人々を巻き込むことになろうとも……

上京かみぎょう[現在の京都市二条通の北側]の焼き討ちを実行して未曾有みぞうの虐殺と略奪を行い、腐り果てた武器商人どもを根絶ねだやしにするのじゃ!」

京の都に住む人々の中でも、特に裕福で傲慢ごうまん上京かみぎょうの人々をあるじは許さなかった。


明智光秀、佐久間さくま信盛のぶもりはやし秀貞ひでさだ柴田しばた勝家かついえ木下きのした秀吉ひでよしなどの名だたる重臣を前に自身の強靭な意志を表明したあるじは……

続いてこんなことを言い放つ。


「この焼き討ちで、数千、いや数万人の血が流れるだろう。

だが!

腐り果てた武器商人どもを野放しにすればどうなる?

戦国乱世に終止符を打てず、未来永劫みらいえいごうに至るまで平和な世の達成など叶わないではないか!

だからこそ!

今ここで!

我らの手で、戦国乱世の元凶をて!

これで散々に乱れ切った日ノ本ひのもとも……

多少は『清潔』になるはずじゃ」


続けて、更にこう宣言した。

「『わしは京の都にいるクズどもように……

おのればかりを安全な場所に置き、他人ばかりを危険な場所へ送り込むような、恥知らずで卑怯者になるつもりなど毛頭ない。

常に陣頭に立って己の身を危険にさらすことを心掛けようではないか」


「それは、どういう意味でござる?」

真っ先に反応したのが織田家中かちゅうで随一の猛将・柴田しばた勝家かついえだ。


「わしは、そちたちだけを危険な戦場いくさばへ送り出したりはせん。

そちたちと一緒に包囲陣に加わるつもりじゃ。

堂々と本陣の旗を掲げてな」


「何と!?

それはなりませんぞ!

上京の人々はいくさ素人しろうとではあるものの、多くの武器弾薬を持っています。

堂々と本陣の旗など掲げては……


権六ごんろく[勝家のこと]よ。

素人しろうとどもを恐れる理由がどこにある?

雑魚めが、一斉に襲い掛かって来るがいい!

返り討ちにしてやるわ」


いくさ素人しろうとばかりが相手とは限りませんぞ、信長様。

裕福な武器商人たちは大勢の伊賀者いがもの伊賀国いがのくに、現在の三重県伊賀上野市付近に住む人々のこと]を抱えているとか。

忍びの術に長けた伊賀者を相手にするのは危険です。

何卒なにとぞ、安全な後方へお下がりくだされ」


「心配無用!

わしの率いる馬廻うままわり[本陣を守る兵士のこと]は1,000人程度だが、今まで一緒に死地を乗り越えてきた精鋭たちばかりじゃ。

伊賀者いがもの相手に引けを取ることなど万に一つもない。

安心して上京かみぎょうの包囲を開始せよ」


「……」


 ◇


勝家かついえ危惧きぐしたことは現実となった。


武器を手に取った者たちが、本陣の旗を見るや襲い掛かってきたからだ。

それも一度や二度ではない。


「京の都に火を放った信長が、あそこにいるぞ!

皆の者!

手薄な本陣に襲い掛かって奴を討て!」


何者かに操られた素人たちは執拗しつように攻めて来たが……

そのことごとくが鉄砲の狙撃によって打ち倒され、本陣に近寄ることさえできなかった。


無理もない。

鉄砲隊を率いている2人の指揮官は、その実力を信長に愛されて側近となった武将なのだから。

1人目が菅屋すがや長頼ながよりで、2人目がほり久太郎きゅうたろう[後の堀秀政]である。


長頼ながより殿と久太郎きゅうたろう殿が率いている限り……

武器を手に取った者たちがどれだけ襲い掛かってこようとも、突破など不可能に決まっている」

2人の優れた指揮を見た万見まんみ仙千代せんちよは一人こうつぶやく。


「ただし。

伊賀者いがものの集団が相手となると話は別だ。

奴らは竹束たけたば[鉄砲を弾くことができる盾のこと]を持っているし、集団の戦法にも個人の武芸にも長けている。

だからこそ信長様は……

それがしに、特殊な部隊の指揮を任せられた。

必ずやあるじを最後まで守り通して見せん!」


仙千代せんちよの言う特殊な部隊とは、どんな部隊なのだろうか。


 ◇


上京かみぎょうの包囲を開始する直前のこと。


「落とし穴を掘るだと!?」

「はい」


「待たれよ。

ここは、大勢の人が住む京の都であろう?」


「はい」

「地面が相当に踏み固められていると考えるべきでは?」


「はい。

その通りです」


?」

万見まんみ仙千代せんちよが立てた作戦に対し、側近筆頭の菅屋すがや長頼ながよりは思わず作戦の困難さを指摘する。


長頼ながより殿。

信長様が陣頭に立つとお決めになったとき……

明智光秀殿が、万が一の備えとして特殊な部隊を数百人ほど遣わしてくださいました」


「特殊な部隊!?

どんな部隊ぞ?」


「普段は鉱山などで働き……

いくさではなく、穴を掘るのが『専門』の部隊のことです」


「それは金堀衆かなほりしゅうのことか?

確か、あの武田信玄が敵の城を攻める際に用いたと聞く。

敵の城内へ通じる道を掘らせたり、城内の者たちの飲み水を断たせたりすることで、短時間で敵の城を落とすことに成功したとか」


「その通りです。

光秀殿は、穴を掘るのが専門の部隊をもっと『大規模』に用いる方法を研究されているようです」


「もっと大規模に?」

「はい。

敵を近付けないための穴を掘ったり、敵を殺すための落とし穴を掘ったりなど……」


「ん!?

敵を殺すための落とし穴?

あの忍びの術に長けた伊賀者たちが、落とし穴の罠にまんまとまるだろうか?」


長頼ながより殿。

京の都の武器商人に飼われている伊賀者たちは……


「なるほど!

そういうことか。

奴らは、落とし穴が掘られているなど夢にも思っていないと!」


「はい。

下手に知っているからこそ、『あだ』となるのです」


「相手が知っていることまで逆手に取るとはのう……

見事だな」


長頼ながよりは、更なる懸念について質問し始めた。

「ところで仙千代せんちよよ。

万が一、数百人もの伊賀者が攻めてきたらどうする?

落とし穴で殺せるのは数十人程度だぞ?」


「はい。

そこで……

味方の鉄砲隊をひそませるための穴[塹壕ざんごうのこと]も掘ろうと考えています」


「ん!?

なぜ、味方の鉄砲隊を潜ませる必要がある?」


「攻める伊賀者いがものの側になってお考えください。

竹束たけたば[鉄砲を弾くことができる盾のこと]で身を守りつつ前進している伊賀者たちは……

ある『瞬間』を待っているはずです」


?」

「はい。

伊賀者たちは集団の戦法にも個人の武芸にも長けています。

鉄砲隊が弾を撃ち尽くした瞬間、竹束たけたばを投げ付けて突進して来るに違いありません」


「確かに」

「そして。

落とし穴が掘られているなど夢にも思わない伊賀者たちは……

勝利を確信して突進した途端、おのれの地面が突如として消える事態に遭遇します」


「伊賀者たちは想定外の出来事に『驚愕きょうがく』するだろう」

「はい。


「その『隙』を逃さず……

ひそませた鉄砲隊の一斉射撃で伊賀者たちを一気にほふるのか!」


「お見立ての通りです」

こうして、前節において下山平兵衛しもやまへいべえはまんまと仙千代せんちよの罠にまってしまったのである。


 ◇


仙千代せんちよよ。

よくぞ本陣を守り抜いてくれた」


「はっ。

臣下として当然のことをしたまでにございます」

あるじねぎらいに対し、仙千代は謙虚な答えに徹する。


「これで。

愛娘まなむすめ』の無念を少しは晴らせたかのう……」


やはり、そうであった。

これこそが京の都の焼き討ちを急いだ真の理由であったのだ。


「戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したいとのこころざしつらぬくため……

上京かみぎょうの焼き討ちを実行して未曾有みぞうの虐殺と略奪を行い、腐り果てた武器商人どもを根絶ねだやしにする」


掲げている理由は、もっともらしいが……

正直なところ時期尚早である。


兵法の観点で考えれば一目瞭然のことだ。

こう書かれている。

「複数の敵と『同時』に戦ってはならない」

と。


まだ大名や国衆くにしゅうをすべて従えていないのに……

商人を敵に回して大丈夫なわけがない。


「織田信長は、すべての武器商人を根絶ねだやしにするつもりではないか?」

こう疑心暗鬼に駆られた商人たちは、あるじに敵対する大名や国衆くにしゅうに武器弾薬を支援し始めるかもしれない。


ただ、そんなことはあるじは百も承知だろう。

要するに。


「信長様。

お願いがあります。

それがしに、愛娘のことをお話しください」

何の前触れもなしに仙千代せんちよあるじに問い掛ける。


「良かろう」

怒りもせず、あるじ仙千代せんちよの要望に応えた。



【次節予告 第六十三節 斎藤道三の愛娘・帰蝶】

「斎藤道三殿が、わしの元に愛娘の帰蝶を送り込んだのは……

『なぜ』だと思う?」

織田信長は万見仙千代にこう問います。

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