第六十三節 斎藤道三の愛娘・帰蝶

「すべては……

帰蝶きちょうが来たときに始まったのじゃ」


「帰蝶様が?」

愛娘のことを聞いたはずが、濃姫のうひめとも言う織田信長の妻の話になったことに万見まんみ仙千代せんちよいぶかしげな表情を見せた。


あるじは構わず話を続ける。

「仙千代よ。

美濃国みののくに[現在の岐阜県]のマムシとも呼ばれた斎藤道三さいとうどうさん殿が、わしの元に愛娘の帰蝶きちょうを送り込んだのは……

『なぜ』だと思う?」


「なぜ、ですか?

織田家と斎藤家の同盟のためでは?」


「覚えておくといい。

父にとって……


「大きな意味!?」

「うむ。

そちは知っているか?

道三どうさん殿は、武士ではなく『商人』の出身であることを」


「存じております。

油売りの行商ぎょうしょうで成功して一財産を築くと……

美濃国みののくにの支配者であった土岐とき家の兄である政頼まさよりに対して兵を挙げた弟の頼芸よりあきを全面的に支援し、結果として兄を追放に追い込んだとか」


仙千代せんちよよ。

その話、『おかしい』とは思わないか?」


「おかしい?」

?」


「確かに、その通りです」

「では……

道三どうさん殿が、家を継ぐべきではない弟の味方をしたのは、『なぜ』じゃ?」


「なぜ?

分かりませぬ」


「それが、京の都の武器商人のクズどもの『やり口』だからよ」

「やり口!?」


「奴らは武器弾薬で銭[お金]を儲けるために……

国の支配者が兄弟でみにくい身内争いを起こすよう盛んにけしかけていた」


「同じ家族、血を分けた兄弟で醜い身内争いを?

巧みにけしかけられたとはいえ……

いくさまで始めるとは何たる愚か!」


「武器商人どもから全面的な支援を約束された弟は、こう考えるようになった。

『ふざけるなっ!

このわしが、なぜ!

兄よりずっと実力のある、このわしが……

わずかに遅れてせいを受けたというだけで、あんな単純で、馬鹿な奴に従わねばならないとは!

もう我慢ならん!

よし、今こそ立ち上ろうぞ!

わしこそが当主に相応ふさわしい実力の持ち主であることを、国中くにじゅうの者どもに知らしめようではないか!』

とな」


「武器商人とは、それほどまでに薄汚いのですか」

「ああ。

おのれの利益のためなら、平然と他人を犠牲にできる連中だからのう」


「お待ちください。

信長様。

美濃国みののくにのマムシとも呼ばれた、あの斎藤道三さいとうどうさん様が……

京の都の武器商人の『手先』であったとおっしゃるのですか?」


「最初は、そうであったらしい」


 ◇


仙千代せんちよは、あるじの話に付いていけない。


「最初!?

それは、どういう意味です?」


道三どうさん殿は最初、京の都の武器商人どもの手先として働いていた。

すべては美濃国みののくにの国内でいくさを引き起こし続けるためにな。

弟を支援して兄を追放した後、今度は弟を裏切って兄を支援し、こうして戦をひたすら長引かせたのじゃ」


「……」

「ところが!

道三殿はやがて、良心の呵責かしゃくに苦しむようになった。

『京の都の武器商人どもの犬のままでいいのか?』

とな」


「……」

「そして、一つの決意をした。

『わしは……

おのればかりを安全な場所に置き、他人ばかりを危険な場所に送り込むような恥知らずで卑怯者の犬でいたくはない!

虫酸むしずが走る!

決めたぞ。

わしは、犬であることを捨てて人になろう』

と」


「要するに道三どうさん様は……

?」


「うむ。

道三殿は、盛んに刃を交えていた我が父[織田信秀おだのぶひでのこと]との同盟に突如としてかじを切った」


「信秀様は尾張国おわりのくに津島つしま[現在の愛知県津島市]の商人と手を組んで成功されたと聞きますが……

もしや!

津島の交易相手は、京の都の商売敵であるさかいであったと!」


「そういうことよ。

帰蝶きちょうは、堺との取引を成功させる『使命』を果たすために来たのじゃ」


「お待ちください。

稲葉いなば氏家うじいえ安藤あんどうなどの美濃国みののくにの有力な国衆くにしゅう[独立した領主のこと]は、数百年にわたって京の都と取引していました。


「うむ。

猛反発した国衆くにしゅうは、道三殿の長男である義龍よしたつを立てて反旗を翻した。

結果として道三殿は……

長良川ながらがわの戦いで討ち取られてしまった。

わしは援軍を率いて向かったが、間に合わなかった」


「そういうことだったのですか」

「あの日。

わしは、父をうしなって悲嘆に暮れる妻に対して誓った。

『そなたの父の意志は……

わしが必ず継いで見せる。

何年掛かろうとも美濃国みののくにを我が物とし、京の都の武器商人のクズどもを追い払ってやるぞ!

だから、帰蝶よ。

そなたの故郷へ攻め込むわしを許してくれ。

これからも、ずっと……

我が妻としてわしを支えて欲しい』

と」


「それがしも信長様を見習い、妻を大切にしたいと思います」

「最も身近なおのれの妻を大切にできない者が、民を大切にできるはずがないではないか。


「はっ」

「話を戻すが。

あの日、帰蝶きちょうはこう申したのじゃ。

美濃国みののくにを我が物とされるのならば……

2人の御方を側に置かれませ』

と」


「2人の御方とは、誰と誰です?」

「一人目が明智光秀。

そして二人目が、わしの妹の夫である遠山直廉とおやまなおかどよ。

どちらも抜きん出て優れた男であった」


帰蝶きちょう様には人を見る目がおありなのですか」

「ああ、そうじゃ」


 ◇


あるじの話は続く。


「明智光秀も遠山直廉とおやまなおかども抜きん出て優れた男であったが……

光秀は幕府の家臣であり、直廉なおかども領地を治める立場であったため側に置くことができなかった。

ただし。

直廉の屋敷へ行った際、わしは直廉の娘に『衝撃』を受けてしまった」


「衝撃?」

「千里眼の異能を持っているかのような鋭い目。

加えて、わしのうつけ者の振る舞いが芝居しばい[演技のこと]に過ぎないことを瞬時に見抜きおった。

わしはおのれの理解者に出会えた衝撃のままに……

『我が手元で大切に育てると約束しよう。

だから、付いて来て欲しい』

と頼んだ。

そして。

娘を勝手に連れて帰ったことを帰蝶きちょうに詫びつつ、実の娘として育てたいと伝えた。

人を見る目がある帰蝶は……

娘の才能を一目で見抜き、『いと』と名付けて徹底的な教育を施したのじゃ」


ことの名手にして、人と人をつなぐ糸となる御方。

素晴らしい名と存じます」


「いつしかわしは……

帰ると必ず、いとに会いに行くのが習慣となっていた」


 ◇


美濃国みののくに岐阜城ぎふじょう


ことの音が響いている。

一人の武者が、その音に惹かれたのか立ち止まった。

馬から降りて辺りを見回す。


音は近くの屋敷の中から聴こえてきている。

「この響きは……」


武者が屋敷の中に入ると、一人の娘が一心不乱いっしんふらんことを弾いていた。

音楽の世界に入り込んでいるかのようだ。


こととは、およそ180cmの細長い木の箱に13本のげんが張られた楽器である。

弦にはそれぞれ13本のはしらと呼ぶ]が立っており、これを調節することで音を調弦ちょうげんする。

そして右手の親指、人差指、中指の3本に箏爪ことづめをはめて弦をはじいて音を出す。


箏爪ことづめをはめた娘の3本の指が、激しく躍動し始めた。

曲のフィナーレが近づいているのかもしれない。


先程の武者は、娘の近くに立ったままで目をつむってずっと聴き入っている。

一方で娘の方は武者の存在に全く気付いていない。


最後の命の炎が燃え尽きたかのように、演奏が終わった。

深呼吸して身体中の力を抜く。


こうして元に戻った娘は、ようやく近くに立つ武者の存在に気付いた。

「信長様?

あ、お父上!

いつの間にいらしていたのです?」


武者の正体は織田信長であった。


 ◇


いとよ。

ことの腕を更に上げたようだな」


「あら!

それはまことにございますか?」


まことじゃ。

そなたのことの音は、人を惹き付ける魅力がある。

また聴かせて欲しい」


「お父上の願いであればいつでも。

ところで。

わたくしに、何か御用があって来られたのです?」


「用がなければ来てはいかんのか?」

「まあ!

何と意地悪なお父上。

幼い頃はいつも遊んでくれたのに、今は御用がなければ会いに来てくださらないではありませんか」


「そ、それは……

多忙ゆえにいつも遊んでやれぬだけじゃ。

それに、そなたはもう15ではないか。

遊んでもらう歳でもなかろう」


「分かった。

岐阜にいるときは、できるだけそなたに会いに来よう」


「まあ!

嬉しい!」


「ところで。

いとよ。

わしはようやく美濃国みののくにを制圧し、帰蝶きちょうへの誓いを果たせたが……

これからどうすべきだと思う?」


「お父上は何度も……

わたくしに申されていました。

『戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したい』

と」


「うむ」

使?」



【次節予告 第六十四節 使命を果たすべきとき】

弦は、父に対してこう言い切ります。

「武田信玄公に背後を襲われる心配はありません。

安心して『全軍』を京の都へと進め、使命を果たされませ」

と。

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