第七十三節 京都の商売敵を我が物に

1568年9月7日。


「全軍、出撃!」

既に政略結婚の道具としていとを武田家へと送り込んでいた織田信長は……

盟友の徳川家康と共に尾張国おわりのくに三河国みかわのくに[合わせて現在の愛知県]と、制圧したばかりの美濃国みののくに[現在の岐阜県]から兵を集め、三ヶ国の大軍を率いて京の都への進撃を開始した。

途中で近江国おうみのくに[現在の滋賀県]の北部を治める浅井長政あざいながまさも合流すると、軍勢の規模は6万人にまでふくれ上がったという。


いとの言葉に耳を傾けた信長は、未曾有みぞうの大軍を用意して上洛戦じょうらくせんに臨んだのである。


勿論もちろん

『表向き』の理由は、三好みよし一族から京の都を奪還して足利義昭あしかがよしあきを将軍に据えることだ。


一方。

京の都のある山城国やましろのくにだけでなく、大和国やまとのくに河内国かわちのくに和泉国いずみのくに摂津国せっつのくに[五ヶ国合わせて現在の畿内、つまり京都府、奈良県、大阪府、兵庫県の大部分]を支配していた三好みよし一族は……

長慶ながよしという優れた当主が死んで以降、ただただ欲でつながる『小物』の集団と化していた。


欲でつながった味方ほど、いざというときに何の役にも立たないものはない。

些細ささいな疑いを吹き込まれた程度で疑心暗鬼ぎしんあんきに陥り、みにくい身内争いを起こして勝手に自滅の道を突き進むのだから。


自滅の道は、家臣筆頭の松永久秀まつながひさひで[大河ドラマの麒麟がくるでは吉田鋼太郎さんが演じている]への些細ささいな疑いから始まった。

「最近。

一族の中で不幸な出来事がいくつかあったが……

もしや、久秀ひさひでが一族を弱体化させようと裏で動いていたのでは?

策略を得意にしている奴なら大いに有り得る話だと思うが、どうじゃ?

一族の者たちよ。

そもそも久秀は一族の出身ではなく、たまたま前の当主に気に入られて出世しただけであろう?

そんな奴が権力を欲しいままにし、一族を牛耳っているのを黙って見ているつもりなのか?」


自分より実力ではるかに上回る松永久秀まつながひさひで嫉妬しっとしていた『小物』たちは久秀ひさひでに対する悪意をつのらせ、ついに軍事行動まで起こした。

大和国やまとのくにを支配する上で重要な信貴山城しぎさんじょう[現在の奈良県平群町]と多聞山城たもんやまじょう[現在の奈良市]を築いた優秀な忠臣ちゅうしんを一方的に排除して、愚かにも自らの手足を切り取るような醜態しゅうたいさらす。

この出来事は大和国の有力国衆くにしゅうで三好一族と対立していた筒井順慶つついじゅんけい[大河ドラマの麒麟がくるでは駿河太郎さんが演じている]に漁夫の利を与え、順慶じゅんけいが大和国の大名に成長するきっかけを生む。


『小物』たちの醜態しゅうたいは、まだ終わらない。

今度は当主である三好義継みよしよしつぐ三好三人衆みよしさんにんしゅうとも言う他の一族との対立だ。


忍耐力に欠ける義継よしつぐは、こう言って身内への怒りを爆発させた。

三人衆さんにんしゅうの老いぼれどもがっ!

当主であるわしをないがしろにしておのれの好き勝手にしおって!

老いぼれて耄碌もうろくした一族の長老どもと比べれば、あの松永久秀まつながひさひでの方がよっぽど役に立つではないか!

よし。

わしは役立たずの老いぼれどもと手を切り、久秀ひさひでと手を組むことにしようぞ」


こうして。

一時は天下人てんかびと[現在の畿内の大部分を統一した支配者のこと]とも言われた三好みよし一族は……

最後は当主である三好義継みよしよしつぐ、三好三人衆とも言う他の一族、そして松永久秀まつながひさひでの3つに割れた。


この状況を冷静に見ていた一つの『都市』が、ある結論へと至る。

「奴らも終わりが近いな。

一時は天下人てんかびとの勢いを持っていた奴らも、今は小物同士でみにくい身内争いに明け暮れているだけの存在と化している。

そろそろ潮時しおどきか。

今までは、奴らの軍事力を恐れて良好な関係を築いていたが……

と。


この都市とは、『どこ』なのだろうか?


 ◇


京の都への進撃を開始する前。


小物だらけの三好みよし一族に謀略を仕掛けた信長は、三好義継みよしよしつぐ松永久秀まつながひさひでを味方に取り込むことに成功していた。

要するに。

32


信長の率いる大軍がやって来ると……

三好軍はドミノ倒しのように次々と崩れ落ちていった。

満足な抵抗もできないまま山城国・勝龍寺城しょうりゅうじじょう[現在の京都府長岡京市]、摂津国せっつのくに芥川山城あくたがわやまじょう[現在の大阪府高槻市]と越水城こしみずじょう[現在の兵庫県西宮市]が陥落し、元々の本拠地であった阿波国あわのくに[現在の徳島県]へと逃げ帰る羽目に陥ったのである。


 ◇


1568年10月18日。

たった一ヶ月で三好みよし一族から京の都を奪還するどころか四国へと追い払った信長は、京の都にある本圀寺ほんごくじ[現在の京都市山科区]にて足利義昭あしかがよしあきを室町幕府の第15代将軍に据える準備を整えた。


義昭よしあきは喜びのあまり副将軍や管領かんれいなどの『地位』で報いようとするが……


「織田家は元々、幕府の武衛ぶえい家[幕府の敵を討伐する主力となる家のこと]を務めた斯波しば家の一家臣に過ぎません。

そんな程度の家が、副将軍や管領に就任するなど恐れ多いこと。

辞退させて頂きたく存じます」


「じ、辞退すると!?

それはまことか?」


信長の反応は、義昭にとって想定外であったらしい。

にわかに慌て始めた。


「の、信長殿。

地位が要らないと申されるのか?

それでは……

そなたの働きに何も報いることができん。

困った、どうすればいい?」


「……」

「あ!

そうじゃ!

幕府の武衛ぶえい家の務めを全うできない斯波しば家に代わり……

織田家を、斯波家と同じ家格かかくへと引き上げよう。

斯波家は元々、足利あしかが将軍家一門の筆頭の地位にいた。

あの畠山はたけやま家や細川ほそかわ家よりも上であるぞ?

如何いかがかな?」


「身に余る光栄、有難く存じます。

織田家は今後……

幕府の武衛ぶえい家として、幕府に逆らう敵をことごとく討ってご覧に入れましょう」


「おお!

その言葉、頼もしく思うぞ!」


義昭は安堵のあまり声が大きくなったが、信長は構わず話を続ける。

「ついては……

公方くぼう[将軍のこと]様」


「ん?

どうなされた?」


「幕府の武衛ぶえい家としての務めを全うするために……

一つ、お願いしたいことがあります」


「何じゃ?

何なりと申されるが良い」


「3つの都市に代官を置いて直轄地とすることをお許し頂きたく」

「おお。

どこと、どこと、どこじゃ?」


大津おおつ[現在の大津市]と草津くさつ[現在の滋賀県草津市]……

そして、『さかい[現在の大阪府堺市]』」


「さ、堺!?

大津と草津は良いとして……

堺を直轄地とするのは、さすがにまずいのでは?」


「『なぜ』、まずいのですか?

公方くぼう様」


「それは……」


「うむ。

堺と手を組んで、京の都の商人どもの憎悪を買うのは……

さすがにまずいと思うのだが」


「それがしは、堺と手を組むとは申しておりません。

直轄地として『税』を取るだけです」


「税を?

そんなことをすれば、今度は堺の商人どもの憎悪を買うことになるぞ?」


「思い出して頂きたい。

堺は、公方くぼう様の『敵』である三好みよし一族と手を組んでいたではありませんか」


「そ、それは」

いくさに敗れた三好一族は阿波国あわのくに[現在の徳島県]へと逃げ帰っておりますが……

?」


「一変!?」

「奴らが、いつまた京の都へ攻め上ってくるか分からないということです」


「なっ!

何と!

この本圀寺ほんこくじへ攻め上がって来ると?」


「堺を『放置』すれば……

いずれ、そうなるでしょうな」


「それはまずい!

まずいぞ!

兄の二の舞はご免じゃ!」


公方くぼう様を危険な目に合わせないためにも……

それがしは直ちに大軍を率いて堺へと進軍を開始し、力ずくで三好みよし一族と手を切らせてご覧に入れたく存じます」


「おお、それは良い!

そうしてくれ!」


 ◇


大津と草津、そして堺を直轄地とする正当な権利を手に入れた信長は……

あの日の愛娘との会話を思い出していた。


「要するに。

三好みよし一族よりも、京の都の武器商人たちの方がはるかに『厄介』な相手だと申すのだな?」


「はい。

だからこそ、お父上には一人でも多くの兵を率いて頂く必要があるのです。

京の都の『商売敵』を我が物とするために」


「京の都の商売敵!?

まさか!」


「その、まさかです。

あの堺を……

我が物となされては?」


「ま、待て!

いとよ。

我が父の信秀のぶひで津島つしま[現在の愛知県津島市]の商人と手を組んだときから取引はしているが……

我が物にするとなれば、話は別だぞ?」


「別とは?」

「わしは一度だけ堺へ行ったことがある。

京の都を上回るほどのにぎわいようで、まさに日ノ本ひのもと一の繁栄を謳歌おうかしている都市であった」


「……」


「お教えください。

お父上。

あの堺が、日ノ本一の繁栄を謳歌できたのは……

『どうして』なのです?」



【次節予告 第七十四節 応仁の乱の勝利者・堺】

父は、こう言います。

「およそ100年前に起こった『応仁の乱』の勝利者であったからじゃ」

と。

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