これまでの大罪人の娘 第参章 武田軍侵攻、策略の章
『策略』
必要なモノの補給を断って相手を弱体化させ、じわりじわりと相手が戦争せざるを得ない状況に追い込んだ上で、止むを得ず戦争を始めた相手を激しく非難するやり方のことを言う。
「奴らは侵略者だ!
奴らこそが平和を脅かす悪人なのだ!
正義は我らにこそある!
平和を愛する者たちよ、わたしたちと一緒に悪人を退治しようではないか!」
と。
人々を
これこそ最も確実で、最も犠牲の少ない、最良の戦略であるからだ!
優れた指揮官ほど戦う前から最良の戦略を練るものだが……
一方で愚かな指揮官ほど下の者に天才的な戦術、あるいは不屈の精神を求める傾向があり、最後は
要するに無能で、他人任せ、他力本願なのだろう。
何の目的もなく、何の戦略もなく、何もかもが行き当たりばったりで、陣頭に立つどころか安全な後方に居座って偉そうに指図し、人の上に立つ資格も、人を率いる資格もない愚かな指揮官の下で戦う兵士こそ哀れな存在はない。
これは国家でも、会社でも、家族でも、ありとあらゆる組織に言えることかもしれない。
◇
もう一つ。
当たり前のことだが……
人類の歴史上で、絶対的な正義と絶対的な悪の戦争などただの一回も起こったことはない。
起こったのは、『自分こそが正義だ!』と主張する側と、『いや、自分こそが正義だ!』と主張する側の戦争である。
一方的な侵略に見える戦争ですら、侵略する側は自分こそが正義だと信じているのだから。
すべての人間が自分こそが正しいという独りよがりな考えを捨て、常に『相手の立場』になって考えることをしない限り……
争いのない平和な世など決してやって来ない。
世界で最も読まれている本に、こういう一文がある。
「『あなたの目の中にある
と言うのを止めよ。
相手を批判するあなたの目の中には、
と。
わたしは、
◇
さて。
織田信長には、手元に置いて大切に育てた子供が一人いた。
信長の妹が嫁いだ先、
要するに『
その娘は、信長と初めて会ったときにこう言った。
「わたくしには……
うつけ者のようには全く見えません。
なぜ、うつけ者[馬鹿者という意味]の
と。
たった一瞬で、うつけ者の芝居を見抜いた少女に信長は衝撃を受けた。
「わしの考えを理解できる者は数少ない、が……
この娘なら!
わしの考えをすべて理解してくれるに違いない!」
そして、衝動的にこう言う。
「付いて来て欲しい」
「
満面の笑顔で
信長はいつしか……
その娘に、実の子供よりも深い愛情を注ぐようになった。
人々は彼女を『織田信長の愛娘』と呼んだ。
◇
凛が嫁ぐ4年ほど前の、あの日。
衝撃の事実が明らかとなっていた。
嫁ぎ先の武田家から病死と聞かされていた織田信長の愛娘が……
実際は、用意周到な罠に掛かって貴重な命を散らしていたのだ!
「あの御方を……
信長様のご
しかも普通の殺し方ではない。
両目をえぐり、両耳と鼻を切り落とし、両手両足を切断した上で、激痛の中でじわりじわりと体中を切り刻んでいくだろう」
続けてこう考えた。
「
己の生死に関わるほどの窮地に追い込まれていたということか」
更に、こう考えた。
「『戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したいとの
武田家を、信長様と同じ志を持つ盟友へと変えること』
これがあの御方の使命であった。
夫で、武田信玄の後継者でもある
加えて
あの御方は……
与えられた使命を、まさに
続けて更に、こう考えた。
「織田家と武田家が同じ
『誰』が
分からん!
これだけでは見当も付かない!
ん……
いや、待てよ。
信長様が……
あの御方に
衝動的に、手元に置いて大切に育てるべき子供だと思ったということは……
わしが
いや!
それ以上の『
そして、一つの道筋を見出す。
「あの御方が
大勢の
兵糧や武器弾薬を扱うだけでなく、
武器商人どもへ、あの御方は激しい憎悪を燃やしたに違いない!」
ついに結論へと
「武田信玄は重い病に
後継者の勝頼は恐らく……
妻であり、一途に
こう決意したのだろう。
『わしが当主となったら……
信長殿と共に、武器商人の
と。
勝頼の決意を知った武器商人たちは、強い危機感を抱いたはずだ。
『信玄が死んで、勝頼の代となればどうなる?
我らは真っ先に始末されるのではないか?
生き残りたければ、もはや一刻の
こうして奴らは……
武田家の失態によって信長様の愛娘が死ぬ
そもそも武器商人は、戦争に必要なモノを売って金儲けする連中だ。
戦争に必要なモノの『値段』は
◇
信長ほど聡明な人間でも……
『
「お待ちください。
信長様に一目置いている武田信玄が、信長様の愛娘を傷付けるはずがありません。
それに。
織田家と武田家が
ようやく
最も信頼している側近がこう助言しても……
信長は一切耳を貸さない。
「この激情を抑えることはできそうにない。
直ちに明智光秀を呼べ。
光秀に、我が愛娘を傷付けた奴らを滅ぼす『策略』を練ってもらわねばならんからのう」
こうして光秀は……
武田家を滅ぼす策略を練り上げる羽目に陥ったのである。
◇
武田家を滅ぼす『策略』へと
「
国を、一つ手にお入れください」
「国?
どこの国ぞ?」
「
「摂津国だと!?」
現在の大阪府大阪市、吹田市、摂津市、茨木市、高槻市、豊中市、池田市、兵庫県神戸市、尼崎市、西宮市、芦屋市、明石市、伊丹市、宝塚市などを含んでいる。
ほぼ全ての都市が……
大阪湾、あるいは大阪湾へとつながる
そして大阪湾は、西へ進んで瀬戸内海から関門海峡を抜ければ日本海へとつながり、南へ進んで
船さえあれば、国内、海外問わず『
この特別な立地から、ありとあらゆる場所に
別名で
◇
信長は、光秀の提案を十分に理解できないようだ。
「摂津国だと?
なぜ、その国が必要なのじゃ?」
「
『
実、つまり長所を避け……
虚、つまり弱点を突く。
それは」
「光秀、待て。
そちは……
『鉄砲』を揃えるために摂津国が必要だと考えているのか?」
「……」
「それは大きな間違いぞ。
かつては摂津国など、
鉄砲は今や
大勢の商人が売り
あの武田家も十分な鉄砲の数を揃えたと聞く」
「信長様。
鉄砲の数だけ揃えても全く意味がありません」
「全く意味がない?
なぜ?」
「鉄砲を撃つには『弾丸と火薬』が不可欠だからです。
弾丸と火薬が10発しかない鉄砲100
どちらが強いでしょうか?」
「そういうことか!
鉄砲よりも、弾丸と火薬の数を揃える方がはるかに重要だと!」
「その通りです。
弾丸と火薬を作る原料は、
その貿易船は
信長様は既に和泉国と伊勢国を手に入れ、残るは摂津国のみ……」
「一刻も早く摂津国を手に入れ、弾丸と火薬を『独占』しろと申すのだな?
光秀よ」
「
弾丸と火薬を我らで独占し、武田家がそれを入手する手段をすべて無くしてしまえば……」
「奴らは自然と『弱体化』するわけか。
見事な策じゃ」
◇
光秀は、ある男を利用するよう勧める。
「信長様。
「荒木村重!?
「はい」
「奴のことを
わしが秩序を乱す者をどれだけ
「信長様。
あの男を、
信長は激しい
「何だと!?
このわしが、村重を大名に?」
「
「馬鹿げたことを申すなっ!
村重は
そちの正義は、一体どこへ消え失せたのじゃ!」
「信長様。
正しさに拘っていては、戦に勝利できませんぞ」
信長は短気であったが、計算高い男でもあった。
「『正しさに
か……
そちの
「ここは、忍耐のときかと」
「分かった。
そちの申す通りにしよう」
「お聞き届け頂き、有り難く存じます」
「光秀よ。
ただし、このわがままだけは通させてもらうぞ」
「どのような?」
「あんな大罪人と親戚になるなど絶対に嫌じゃ!」
「……」
「考えるだけでも
荒木の家に、織田の姫は絶対に嫁がせたくない!」
「承知致しました。
荒木家には、それがしの長女である
しばらく後。
織田信長は荒木村重を
村重は感激のあまり涙を流して信長に忠誠を誓ったという。
これが『策略』の一環だとは、夢にも思っていなかった。
◇
1572年10月。
鉄砲の弾丸と火薬を入手する手段をすべて無くしてしまった武田信玄は、武田軍の将兵を前に演説を始める。
「皆の者!
よく聞け!
京の都におわす
『
と。
ここに、その命令書がある!
正義は我らにこそあるのじゃ!
全軍、出撃!」
3万人もの大軍が
明智光秀の策略は、結果として『武田軍侵攻』を招くこととなった。
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