第18話 神様と魔法使い

「そろそろ出ましょ。後の人をあまり待たせるのも悪いわ」


 そう言って立ち上がるミレイユを追って浴槽から出る。私としては、もうちょっと湯船に浸かっていたかったが、後がつかえているからな。早めに上がろう。


 ミレイユが浴室の出入り口で立ち止まる。どうしたのだろう?


「ここで止まって」


「どうかしたのか?」


「このまま出ると、脱衣所の床がびちょびちょになっちゃうでしょ?だからここで、できる限り体を拭くのよ」


「ふむ。なるほどな」


 これもこの家での入浴のマナーというやつだろう。ミレイユに倣ってタオルで髪や体の水を拭き取っていく。こういう時は長い髪というのは不便だな。手間がかかる。

 水を吸わなくなったタオルを絞って、また体を拭くこと3度。ようやくある程度の水を除去できた。


「これくらいでいいかな。行きましょ」


 ミレイユに続いて脱衣所に入る。脱衣所の空気は、浴室よりも低く、火照った体に気持ちが良かった。


「ふぅー。さっぱりしたー」


「そうだな。風呂は命の洗濯と言うが、まさしくその通りだな」


 体はもちろん、心も軽くなった気分だ。やはり風呂は良い文化だな。


「ふふっ、面白いこと言うのね。初めて聞いたわ」


 どうやらこの辺りではあまり使わない表現のようだ。はて?この表現はどこで聞いたのだったか、私も忘れてしまったな。下界のいろんな所に降臨しているからね。その内のどこかで聞いたのだろう。


「さっさと服着ちゃいましょ。まだ熱いけどね」


 そう苦笑いを浮かべるミレイユ。たしかに、体はまだ火照って熱を持っている。もう少しこのまま裸で涼みたいところだが、裸で館の中をうろつくわけにもいかない。仕方なく服を着る。


 ミレイユが私に用意してくれたのは、白い薄手の膝丈ワンピースだった。ゆったりとしていて、肩紐で吊るすタイプのワンピースで、首回りや肩がむき出しになっているのが、なんとも涼しげで、非常にシンプルな作りのワンピースだ。これなら湯上りでも、そう熱くはないだろう。


 隣を見ると、ミレイユも同じ作りのワンピースを着ていた。こういう服が好みなのかもしれない。


 ミレイユが、ふと髪をかき上げる。大きく開いた脇から見える桜色の肌が、なんとも扇情的だ。やれやれ、先程まで裸が見放題だったというのに、隠されるとまた見たくなるものらしい。


 いや、この見えそうで見えないという状態が心をくすぐるのかもしれないな。


「どうしたの?」


 ミレイユが私の視線に気づいたようだ。女は視線に敏感と言うが、ミレイユもそうらしい。


「髪をどうするのかと思ってな」


 私は自分の髪を摘まんで答える。私たちの髪は、タオルで拭いたとはいえ、未だに濡れたままだ。滴るほどではないが、じっとりと湿っている。このまま自然乾燥だろうか?


「あぁ。じゃあ、乾かしてもらいに行きましょう。こっちよ」


 ミレイユが私の手を取って歩き出す。ミレイユが、私にスキンシップが多いと言っていたが、ミレイユも多い方だな。よく手を繋がれる。


 ミレイユの手は、お風呂上がりだからだろう、しっとりスベスベだった。やわやわと柔らかい小さな手だ。キュッと握ると、キュッと握り返してくるのが、かわいらしい。


 キュッキュッキュッキュッ。


「もー、何よ?」


 ミレイユが笑いながら訊いてくる。


「かわいらしくて、ついな」


「ふ、ふーん、そう」


 ミレイユのまんざらでもなさそうな声が、廊下に小さく響いた。



 ◇



 ミレイユに連れられてやって来たのはリビングだった。


 リビングでは、エレオノールとリリム、ディアネット、アリスの4人がテーブルに着いて談笑していた。親子どころか、孫と祖母くらい年齢の離れているが、仲は良さそうだ。わきあいあいとした空気を感じる。


「ディアー。髪やってー」


 ミレイユの言葉に、ディアネットがこちらを向いて、コクリと頷いた。相変わらず眠そうな瞳で、何を考えているか分からないな。


 ミレイユがディアネットの前に立つと、ディアネットがミレイユの髪を撫でるように手を動かした。


「ほう」


 思わず感心の声が出てしまう。ディアネットが魔法を使ったためだ。




 人間は、一部の例外を除き、自力で魔法を使うことができない。


 そのため、人は自らの体に蓄えた魔力<オド>を精霊に渡し、精霊に魔法を使ってもらうことが一般的だ。オドを代償に、精霊にお願いして、自らの望む現象を起こしてもらうのである。


 故に魔法は、精霊魔法もしくは精霊術と呼ばれることもある。




 ディアネットが手から魔力を放出し、それを水の精霊と火の精霊が受け取り、ミレイユの髪から水を弾き、蒸発させ、髪を乾燥させていく。


 私が感心したのは、ディアネットが無言で魔法を使ったからだ。


 それは、これくらいのことなら、無言でも精霊と意思疎通ができるということに他ならない。つまり、それだけ精霊と親しい関係を築けているということだ。


 ようするに、無言でも通じ合えるほど、精霊と仲良しなのである。


 ディアネットの周囲に漂う精霊の多さから、ディアネットが腕の良い魔法使いであることは察してはいたが、まさかこれほどの腕前だとは。まだ若いのに驚きである。


 魔法使いの腕前は、どれだけ精霊に正確に自分の意思を伝えられるか、また、どれだけ多くの精霊が言うことを聞いてくれるかで決まる。


 無詠唱で魔法を使えるかどうかは、魔法使いの腕前を計る一つの目安として分かりやすいだろう。


 普通は年月を重ねることで、精霊との親交を深め、仲の良い精霊を増やしていく。だから、魔法使いは老齢の方が強い場合が多い。


 ディアネットの場合、無詠唱で魔法を使えるし、周りには多くの精霊たちが漂っている。十分に、一流の魔法使いを名乗っても良いだろう。


 ディアネットの周りを漂う精霊たちは、ディアネットのことが好きで集まっている精霊だ。つまり、ディアネットの言うことを聞いてくれる精霊たちである。ディアネットの歳を考えると、多すぎるくらいの精霊たちが、ディアネットの周りを漂っている。


 あるいは、ディアネットは元々精霊に好かれやすい体質なのかもしれない。稀だが、そういう人間が居るのは知っている。例えば、エルフやドワーフなんかもそうだ。


 エルフやドワーフは、人種よりも精霊に近く、精霊に好かれやすい体質の種族だ。もしかしたら、ディアネットには、エルフかドワーフの血が流れているのかもしれないな。


「ありがとう、ディア。さ、ルーもやってもらいなさい」


 ミレイユに手を引かれ、ディアネットの前に立つ。


 近くに立つと、精霊たちの楽し気な雰囲気が伝わってくる。精霊たちが、まるでダンスでも踊っているかのように浮かぶ光景はとても幻想的だった。ディアネットが精霊たちと良い関係を結べている証だね。良きかな、良きかな。


「見え、てる…?」


 ディアネットの問いかけにハッとする。普通の人間は精霊の姿が見えないんだったな。何もない空間を見つめて、うんうん頷いていたら不審にも思うか。失敗したな。


「…何のことだ?」


 私はディアネットの問いにとぼけて返しておいた。


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