私は二人いる。

疾風 颯

私は二人いる。

 私は二人いる。

 何を言っているのか分からないと思うけれど、実際そうなのだから仕方がない。

 二重人格というわけではなく、本当に私という存在が二つあるのだ。ただ、完全に二つであるかと言えばそうでもないかもしれない。ドッペルゲンガーというのか、私とそのまんまの体がもう一つある。しかし、魂はというと一つしかないのではないかと思っている。――ここで『思っている』なんていうのは私としてもこれが何なのかよく分かっていないからだ――この手の創作物のような、私とは違う独立した人格があって、乗っ取られるなんていうことはなく、記憶や感覚は同調され、私は私であると、そしてそれ・・も私であると言える。かといって完全に同一であるとも言えない。先程も言ったように、よく分からない存在だ。もしかしたらこれは幻覚なのかもしれない。

 いつも私が部屋に入ると、決まって【私】はベッドにいる。本を読んでいたり、ノートパソコンを触っていたりする。そして毎回挨拶をしてくるのだ。「おはよう」だの「おかえり」だの、礼儀正しく言ってくるものだから、思わず私も返してしまう。変な気分だ。いつも自分に向かって挨拶をするというのは。鏡に向かって「お前は誰だ」と言うことに通ずる、言いようのない悪寒があるのだ。しかし、存外私はこの挨拶が嫌いではない。挨拶をする、されるというのは意外と良いものだ。今では「おかえり」と言われる前に「ただいま」と言うようにもなってしまった。未だに悪寒は消えないけれど。

 いつ頃からそれが現れたのかは、はっきりとは覚えていない。覚えていないというよりは、分からない。いつも隣にいた気もするし、あるときにはいなかった気もする。しかし、ここ一年あたりからいることははっきりしている。その記憶はあるのだ。ただもしかしたら、【私】はそれよりも前からいたのではないだろうかとも思う。あまりにも自然体過ぎたのだ。【私】がいたことに私も【私】も、何の違和感も覚えなかった。それが異常な存在であることを知覚していたはずなのに、そこに驚きはなかった。ずっとではなくとも、小さな頃から時々は現れていたのかもしれない。そう思うほどに、【私】の存在は既知だったのだ。

 他人にはどう見えているのか、それはよく分からない。【私】のことを認識できてはいるけれど、それがどういう存在なのかは認識できていなさそうだった。家族も、【私】を私として認識するし、違和感も覚えないようだ。私と【私】が同じ空間にいるときも、特に何の反応も示さない。それが自然体であるかのように、私に、そして【私】にも反応を示すのだ。写真に映すときも同じだ。別に片方が映らないなんてことはなく、普通に二つの像ができ、そしてそれを人に見せてもさも当たり前であるかのような反応を示す。どう考えてもあり得ないはずなのに。やはりこれは私だけが見えている幻覚なのだろうか。

 しかし、これだけ疑念を募らせても、私は一度たりともこれを他人に話したことがない。なんだか厭な予感がするのだ。確かな証拠はどこにもないけれど、これは話してはいけないだろうと勝手に自分の中で思っている。もちろん、普通ならば話したところで精神異常者扱いをされるだろうから、なんにせよ言い出しにくいことであるのは確かだ。しかし、どうだろう。もし他人にこれを話したとして、「で、それで?」と何も異常がないかのように振舞われたら。私はこれが恐い。話したら世界が崩壊してしまうとか、私、もしくは【私】かその両方が消えてしまうとかよりも、それが普通であるとされることを一番恐れている。この状況が異常であるというのは一般的なことだと私は思っている。しかし、そうではなかったら?異常であることが異常ではない世界。それは、何が正常で何が異常なのか、もう私には分からない。

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