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此処に来てからは事務処理に追われる毎日だった。こんなの下っ端の仕事じゃね?


「眠いわ。寝てねーわ。まじ2時間くらいしか寝てねーわ」


お陰様で俺は執務室で書類を処理せず、椅子に持たれかかり天井を見上げながら夢現状態だった


最近は寝つきも悪い。原因は分かり切っているが‥‥‥


寝ても醒めても考えを占めるのは彼女の事ばかり。これじゃあ、まるで恋する乙女だ。彼女の手加減抜きの攻撃にはドキドキさせられてるが‥‥‥そういえば、何だったか。以前に魔女の婆様が言ってたな


人間共の文化の一つに人前で好意を持った相手にやたら厳しくするという風習があったりするらしい


良く思い出せないがツンどら?だったか。名称なんてどうでも良いが、それなら彼女の殺意バリバリの過激なアプローチも‥‥‥いやないな


それにしても、このままでは寝不足で死んでしまう。これも敵の作戦の内なら大したものだと感心する



俺がラングレーに駐留してかれこれ一週間が経つが、其の間に何かが起こるということはなかった


そもそも、3日前の昼頃には前線に戻っている筈だがハデスが具申してきたので引き伸ばしたのだ


(ハデスが嫌な胸騒ぎがするって言うから、此処に残っていたが結局何もなかったなーー明‥‥‥日には)


ぼんやりと視界が歪んでいく。瞼が重い。俺は耐えきれずに瞼を閉じて考えるのをやめる



直後だった。カンカンカン!!と鐘の音がけたたましく鳴り響き俺の鼓膜を刺激する


「ななな何事だ!?」


火災訓練か?いや、そんなカリキュラムを組んだ覚えはない。俺の疑問は直ぐに分かる事になるのだった


「ベル君大変だよ!大変だよ!!」


ドアを蹴破りハデスが答えを持って来てくれたからだ


そして、ハデスは入浴中だったのかタオル一枚で此処まで来たらしい。廊下がビショビショだった


これより、大変な事があるのだろうか?大変というかとんだ変態である


「敵が来た!!」


にしてもハデスの妙な勘は図らずも的中した様だった。未来予知でも出来るんですか?


「まじかよ、おい。取り敢えず、ハデス。お前の給料からドアの修理費は差っ引いとくぞ」


俺とハデスが作戦室に入室すると、師団長3人が既に席に腰掛けていた


「遅れてすまん。えーっと、敵が来てるらしいがどういう事だ?」


ラングレーから最も近い敵の砦は少し前に堕ちたビスクだが、それでもこことの間には城が幾つも立ち並んでいる


その他の城が落ちたというのは聞いた覚えがないのだが、、、意味不明だぜ


「敵は兒(じ)ですね。昨夜、大軍が押し寄せた際に一部が防衛線を無理やり強行突破したという報告が先ほどありましたので」


師団長の1人が懇切丁寧に教えてくれる。うん、文句の一つも言わない辺り好感度があがるぜ。ゴリラだから、語尾にウホと付けたら給料もUPさせちゃう所だったが残念



で、敵は魔国の南領土と接する三つの国の一つ兒か。しかし一部ってどれ位なのだろうか。人間の数は多いからな


「数は?」


「多く見積もっても5千といった所でしょう」


ゴリ師団長の言葉にハデスが小首を傾げる


「此処って何人いたっけ?」


「四千といった所でしょうか」


人間同士の戦いですら城を落とすには五倍の人数が必要だと聞いたが、魔物相手にそれで心持たないと敵の司令官は考えなかったのだろうか


何にせよ楽観視したい所だが、ハデスはどうにも腑に落ちないようだ。小皺をデコに寄せている


「何かあるんだよ、きっと」


ハデスの不穏な言葉が場を重くする。大人と子どもが同じ数なら策で埋められる力の差では無い筈だが、考えた所で分からないものは分からない


「んじゃあ、籠城して様子見。なんかあったら、呼んでくれ。現場の指揮はゴリ君。君に決めた」


俺は眠気に勝てず、執務室に戻ろうと部屋を出る


「行くぞ、ハデス」


「ま、待ってよ」


後ろから慌ててハデスが不安そうについて来る


「良いの?」


「この城にいる部隊なら、一緒に戦ってきた師団長たちの方が分かってるだろ。階級が上なだけの俺等が横から指揮すると変な事になりかねん」


俺のこじ付けがましい言い分にハデスは渋々ながらも納得してくれた様だった


「ああ、それとなハデス」


「なに?」


「いい加減に着替えろ。風邪ひくぞ」


俺の指摘に、自分の格好を理解したハデスは恥ずかしそうに自室に走り去って行った


執務室という手書きの表記がされたボロっちい扉の前に来たので足を止める


「ん?」


その光景にボンヤリとした違和感を覚える。明確には分からないが何かがおかしいのだ。



ガチャリとドアノブを捻って室内に足を入れる時に、その違和感に気づいた


「あれ、ドアって確かハデスが蹴破ってたのに‥‥なんで治ってんだ?」


それに入った直後に気付けたのは僥倖だった。警戒したからだ。だからこそ明確な殺意を乗せた物体が真上から俺の頭部を射抜く為に髪の毛を掻き分け迫っていたのに対して、未来予知の如き動きが取れた


俺は瞬時に独楽みたいに身体を捻じって横へ飛ぶ事で殺意をのらりと回避した


「おいおい、気配が全然なかったぞ」


殺意を避けられたそいつは、余裕の無さそうな目色で俺を刺す様に睨む


「しかし、どうした。暗殺者に鞍替えしたのか?」


碧い宝石のような煌めきを持った髪の色と澄んだ翡翠がそのまま埋め込まれたと錯覚してしまう程の艶やかな瞳が俺を見据える


「クナギサちゃん」


俺にそう呼ばれた彼女は申し訳なさそうに僅かに視線を下げる


「ちゃんとした形で貴方とは殺りたかったけど、でも時間ないから」


「容赦なく遠慮なく躊躇いなく、速やかに貴方を殺す」


そんな言葉が投げかける彼女の姿は異様だった。発汗が尋常ではなく息も途切れ途切れ。何もしてないのに 疲労困憊 満身創痍 だ


どうにも訳ありらしい。だからといって、殺しに来た手練れを相手に手心を加えて痛い目を見てしまうというのは嫌だし


どうにも、今の状況に困惑してしまうな


互いに睨み合いになり、場は膠着する


数分経っても俺の逡巡は終わらなかったが、それは結果として良い方向に働いたらしい


クナギサちゃんの身体がグラリと糸の切れた人形よろしく力なく倒れこんだからだ


「おーい、クナギサちゃん?」


倒れこむ彼女に向けて呼びかけてもピクリとも反応せずに倒れこんだままだ


恐る恐る突つく。同じく反応なし


狸寝入りで不意打ちで殺すとか、無いよな?


「ふむう‥‥クマッタクマッタ」


俺は誰に言うでもなく呟くと、両手にすっぽりと収まるほどの小さな体躯を抱きかかえハデスの所へ向かった


「ハデス、問題が起こった!」


俺はクナギサちゃんを抱きかかえてハデスの居る部屋を勢いよく開け放つ


「‥‥キャアァァー!?」


部屋に入った俺を見たハデスの遅れて飛び出した第一声がコレである。黄色い声でなく、絹を裂く甲高い声で叫ぶ。実に耳障りだ


「のの覗き!?」


部屋に入った位で何を言ってるのだこいつは‥‥ああ、もしかしてまた風呂に入ってたのだろうか?肌がほんのり熱で赤みを帯びているし、髪や肌が少し濡れている


先ほども風邪を引くと忠告した筈だが、それを聞かずに下着姿で部屋をうろつくとは‥‥‥こいつに体調を崩されると困るのだがな


「落ち着けハデス」


そんな事より、クナギサちゃんの容態を見てもらわなければ


「な、ななななにを。いけしゃあしゃあと話をしようとしていやがるのですか、こいつは!!」


いつものハデスらしくない慌てふためいた言葉を発しながら、彼女は自分の身体を抱きしめる


「安心しろ。お前の寸胴な体型なんか見ても欲情なんかしないから」


俺なりの気遣いである。これで、安心できるであろう


「女として傷つくよ!それにこのグラマーな体型のどこが寸胴なのさ!」


言われてみると男が劣情を催す程度の艶やかさを漂わせている気がしなくもない。ただし、グラマーというよりはスレンダーで言い表すのが適切であろう


「分かった分かった。いいから、この子の容態を見てくれ」


俺は抱きかかえたクナギサちゃんを部屋に置かれてあるソファーにゆっくりと寝かせる


「な、なんでクナギサちゃんが!?」


事態を飲み込めてないハデスは、クナギサちゃんを見て嬉しさと困惑が混同した中途半端な表情になる


「説明は省く。面倒いからな。とりあえず、この子の様子がおかしいんだ」


俺の急かす言葉に彼女は甘受した様子で頷く


「とりあえず、着替えるからベル君は部屋を出ていって!」


ハデスはいつも通りの見慣れた修道服に着替え、クナギサちゃんの身体をあれよこれよと弄り診察していた


なんともハデスの手付きがやらしい。少なくとも同性に対しての健全な触り方ではない


下心見え見えだが、俺としては部下の性癖はノータッチでいきたい



「あ」


そして、クナギサちゃんのおデコに掛かる前髪を掻き上げた時に、悲哀に満ちた目付きで一言だけぼやく


「この子‥‥‥奴隷、なんだ」


クナギサちゃんの額には奴隷としての焼印が押されていた


俺たち魔族も人間を奴隷にし様々な用途で労働力にしてたりするし。奇特な奴には専用の奴隷もいる位だが


流石に一生消えない奴隷の焼印を押したりはしないし、ましてや同族を奴隷にしたりはしない。人間の狂気は度が過ぎている


ハデスが顔を曇らせている理由も大方、同族であるはずのクナギサちゃんを奴隷足らしめている烙印を押していることに対してなのだろう



「お前が気に病む事じゃないさ」


俺の慰めにも似た口上に僅かな沈黙が流れる


「そうだね」


持ち直して、そうは言いつつも彼女の顔が晴れることはない


「で、この子は今どんな状況なんだ?」


「端的に言うと、死にかけてる」


浮かない表情のまま、さらりと告げられてしまう。敵の身を案じる必要などないが‥‥‥うーむ


「そか」


ハデスの力は生や死に強く結びついている為に、副産物として生物に纏わり付く死を見たり感じたりする事が出来る


つまり、ハデスが死ぬと言った以上、何もしなければ、ほぼ確実にそいつは死ぬ。少なくとも、今のところの例外はいない


「で、どうすれば死を回避出来るんだ?」


俺の率直な問いかけに、右手で口元を抑え難しい表情を作る


「まずね。この烙印が問題‥‥なのかな」


何とも自信なさげだ


「この印、普通と違って若干文字が変容してるじゃない?」


同意を求められても知らない。人間の額に彫られた悪趣味な紋章など興味はない


「身体のリミッターを強制的に常時外し続ける術式」


反応を待たず、そのまま二の句を続ける


「と、オマケに魔力をとめどなく肉体強化に回す術式が組み込まれてる」


彼女の深刻そうな言い方に質問すべきか迷うが、するべきなんだろうな



「‥‥‥つまり、どういうことなんだ?」


今のどこに死ぬ要素があったんだろう。身体のリミッター外し続けても軽い筋肉痛が良いとこだろうし。魔力は無くなったら、そもそも発動しなくなって終わりだろ


「人間は脆弱だからね。身体が無理な負担で限界迎えてて更に魔力切れでガス欠起こしたら死んじゃうものなのよね」


不便だな人間。こんなのが、魔族と互いの存亡をかけて争っているのだから恐れいる


なんにせよ話を聞く限りじゃ過労なのかな。まあ、休ませてれば平気っぽそうだ


「要するに、寝かせてれば大事にはならないんだな?」


「え?」


ハデスはとてつもない憐憫を込めた視線を俺に向ける


「マジで言ってるの、ベル君は?」


「え、ああ、まあ」


「取り敢えず、正座なさい」


引きつった表情を浮かべるハデスの言われるがままに、俺は正座をしてしまう


「まずね。この印をどうにかしないといけないの。そこんとこ分かってる、ベル君」


初耳だ。そんな事は聞いてない


「そうなのね」


「そうなの。だから、この印に仕掛けを施した術者に解いてもらう必要があるの」


「いやいや、術者どこにいるか分からないだろ」


彼女は自信満々に無い胸を張る


「私には死が見える」


「だから、死の原因を作り出してる人間を割り出す事も出来るんだよ」

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