隔絶
あの後、結局夕食会は三十分も経たずに終了してしまった。もちろん、あんな光景の後であるから誰一人として料理に口をつける者はいなかったのだが、もっと何かしらの説明があるべきだろうと粘った客がいたのだ。美輝もその一人であった。美輝はしきりに、この場であのような事をするとは品がない、御祖父様に対する侮辱だと憤っていた。一方の舞は位置の都合であのクロッシュの中身はよく見えなかったらしい。いや、よく見えなかったことは彼女にとって幸運だったかもしれない。もし万が一あの光景を見たら、食べたものが逆流してきたに違いない。それだから、舞に尋ねられても紗綾は何が見えたかはっきりと答えなかった。それゆえ彼女の好奇心、野次馬根性が、何か知れるまでは動くまいと、引き下がる事を許さなかったようだ。
それでも六時半には桐沢に追い立てられるように中央棟から出されてしまい、三人は仕方がなくコテージに戻ることにした。先ほどまでは幽玄で幻想的と感じた中庭も非常に心細く感じた。塀の中はほぼ闇であった。天を見上げても薄く雲が被っているのか星は一つも見えなかった。
あんなことが起きた後であるから当然、本来ここでやろうと思っていた作業なんてやる気になれなかった。テレビは居間に設置されているのだが見ていても内容は頭に入ってこなかった。とりあえずコテージ備え付けのお風呂に入ってベッドの上で多い思いの時間を過ごしているしかなかった。携帯電話の電波は届いていた。黒崎からのメールがあったが、内容は昼に送ったテラスの写真についての返事であった。
あの生首が現れてからもう二時間が経とうとしているのに、周囲に何の動きも感じられなかった。それが紗綾を悩ませた。
あれはイタズラとは思えなかった。あの時の籠塚の驚きよう、桐沢の剣幕は異常であった。あの時現れた生首が彼らにとってイレギュラーであることは誰の目にも明らかであった。それだというのに、あの出来事から二時間が経とうとしている今もなお警察が来ないのだ。いくら伊豆の先端、田舎の警察であっても到着に二時間かかるのは不自然である。つまり、何らかの事情でオーナーたちが警察に通報しないでいる、と紗綾は考えていた。
はたしてそれはなぜなのか、一番簡単な結論は桐沢が強弁していたように「すべてイタズラであった」というものだが、これはいくら何でも招待客をバカにしすぎだ。かといって全否定することもできない。あの生首が本物であるかどうか、紗綾は検死の専門家ではない。見ただけで精巧なマネキンと死体の判別がつく自信はなかった。
次に考えられるのは、このリゾート地が通報できない状態になっているということだろうか。しかしこれも現実的ではない。仮に外線電話が切られていたとしても携帯電話が通じるのだから、それで連絡を取ればいいではないか。つまりこれもあまり現実的ではない解答なのだ。
最後に考えられるのは、通報していても警察が来られないという場合だ。これは紗綾としてはできれば陥っていてほしくない状態だった。紗綾は探偵みたいなことをしているものの、やはり最初はできるだけ警察の力に頼りたいと思っている。初動捜査や検死がうまく行えなければそれだけ事件の解決も遅くなるからだ。それに、警察が到着するまで犯人の犯行が続く可能性がある。
仮にあの跳ね橋が下がらないなら、警察の到着は早くても翌朝になるだろう。橋が降りねばここは孤島も同様である。上陸するには船かヘリしかない。しかしそのいずれも夜間には向かない手段である。昼間屋上から見たように、このあたりの海岸は溶岩質である。暗い中ボートで近づくのは難しいだけでなく危険が伴う。ヘリでやってくるとしてもまずその手配がいるだろう。さらにここの庭には誘導灯がない。暗闇の中この八角形の塀の中に着陸するのは困難に思える。
このいずれが真実であるか、それを判断するには材料が不足していた。ただ手をこまねいて見ているしかなかったのだ。
もしも、これが犯人の狙い、計画通りだとすれば、これは非常に厄介な事件になる。紗綾はそう感じると強く唇を噛んだ。
「ねえ、紗綾。やっぱりあれは事件だったんだよね。だったら、浦添に何かきいてみましょうか?」
そうだ、今の彼女には内部に精通している知り合いがいるではないか。紗綾が迷わずうなずくと美輝はフロントに電話をかけた。浦添はすぐに電話口に出たようで、美輝は二言三言言葉を交わして受話器を置いた。
――――
時刻は九時になんなんとしていた。三人は連れ立ってコテージを出ると中央棟へと向かった。中央棟に向かう道が誠に寂しかったのは先ほどと変わらなかった。他の客は思い思い、それぞれのコテージで過ごしているのだろうか。夜の闇に見えない花畑からカサカサと何かのうごめく音が聞こえる。うちつける波の音が少し遠くから聴こえて来るように思えた。あのような大事の後とは思えぬほど、白亜の館は静まり返っていた。
紗綾たちは九時に中央棟で浦添に会う約束をしていた。先ほどの電話口で浦添は簡単ながら美輝に現状を報告したようだったが、会えて紗綾は問わなかった。ただ、美輝の顔色から、事態があまりよろしくないことは十二分にわかっていた。だからこそ、先入観なく、事態を知る人間の言葉が聞きたかったのである。
中央棟に入ると先ほどより全体的に照明が暗くなっていた。非常用のベルを照らす寂しげな赤い光と、フロントに光を落とすスタンドのカサ。あとは足元を照らす最低限の光があるだけだ。それはため息が出るほどの落差であった。三時間ほど前のあの宴は完全にあの悪魔の料理の登場で塗り替えられてしまった。そのドス黒い闇が今こうしてこの中央棟を塗りつぶしている。一つの救いは、壁面の階段に備え付けられた燭台風の明かりが螺旋を描いて昇っていることだろう。あの先には、天井には何が待っているのか。おそらく、これを見た人はそこに希望をのぞむのだろう。
ただ、今の紗綾たちは違った。彼女たちが欲していたのは真実であった。
テラスについてみると浦添の他に本宮が待っていた。
「あら、やっぱり何か始まるのね。浦添さんが来たからどうしたんだろうって思ってたけど。そういうことならそうと言ってよ、浦添さん」
「そういうこととは、本宮様、どういったことでしょうか?」
すると本宮はさも心外であったかのように唇をツンとして言った。
「ほらね、こんな感じでシラを切るんだから。美輝ちゃんのお友達、そちらの紗綾ちゃんは有名な方なのよ。私の界隈じゃね、高校生探偵さんって知られてるんだから。私が推理小説書けたら取材に行ってるところよ。だから、浦添さん、本当のこと美輝ちゃん達に話すんでしょう、さっきの首のことについて」
図星であるからか、浦添はスッと本宮から目をそらして、許しを求めるように美輝を見た。美輝もコクリと頷くと、
「構いませんよ、浦添。本宮さんもとても聡明な方です。もし何かあった時にはきっとお力添えをしてくださるはずです。本宮さん、もし知りたいようでしたら、どうぞこのままこちらに」
「ええ、そうさせてもらうわ。なかなかこんな機会ないからね。場合によっては推理作家に転向するわ」
「承知いたしました。それでは、今時点で私の知り得ていることをお話ししていきましょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます