あの生首は「見立て」であった
ここから先の話は浦添が一人で語ったことだから、それを対話形式にしていてはわずらわしいだろう。そこでここでは彼の語ったことを簡潔にまとめておこうと思う。
まず、あの生首であるが厨房に戻って確認してみると作り物などではなく、真実人間の首であることがわかった。しかもその首の主というのが宿泊者の一人であった。女の名前は小坂朱美であるとわかったのだ。これは桐沢が同定したという。というのも、彼女は籠塚の友人としてここに招待されていたのだ。
受付をしたのは桐沢と浦添であった。彼女は紗綾たちの到着する前日にここに到着したというが、その時の小坂の風貌というのが一癖あったと、浦添は今になって不審に思えてきたという。大きな旅行鞄を抱え、赤い帽子をかぶり、目は紫のサングラスに隠され、口と鼻が黒いマスクで隠されていた。つまり、頭のほとんどの部分は見えないということだ。そんな風貌のそんな女をなぜフロントが不審に思わなかったか、当然問題になるわけだが、その後の浦添の話を聞く限り無理はないと紗綾にも思えた。何よりの小坂の職業が非常に特殊なものであった。彼女は籠塚専属の占い師であったらしい。ここの完成前にも風水について指示すべく訪れたことがあり、その際も同じような赤い帽子を被ったり、別の日には黄色いターバンを巻いていたという。だから昨日も浦添といい桐沢といい、また奇抜な格好をしているものだ、という程度で気に留めなかったそうだ。それに彼女はちゃんと招待状を持って来ていた。だから、不審な目を向けたり、無碍に追い返すわけにもいかない。彼女の後ろには、オーナーである籠塚がいるのだから、なおのことである。
小坂を名乗る女を通した部屋の名前は『supper』であった。紗綾はふと、各コテージの名前が、部屋に飾られている作品に対応していることを思い出した。
「それは一体、どういう絵なのですか?」
「五十三歳のときの作品でございます。夕食をお召しになる女性を描いた作品でございます。もしよろしければこの後ご案内いたしましょう」
さて、生首が本物であった以上、これは単なるイタズラではないこともわかった。そうなると、この生首がいかにして籠塚の元に配膳されたかが問題になる。料理は夕食の案内があった午後五時五十五分以前に完成して、クロッシュの中に収められていた。籠塚の分はひときわ大きいクロッシュであったが、あの生首の造形を収めるにはそのサイズが限界であった。他のクロッシュでは頭が先に付いてしまい、閉まりきらないのである。つまり犯人は初めから籠塚のクロッシュを狙ったのではなく、一番大きいもの、生首の入るものに細工をしたのではないかというのが浦添の見解であった。
ではクロッシュの中身を入れ替えるチャンスがあったのは誰であろう。この点に関しては浦添も桐沢も完全にシロであることがわかった。料理の準備が整うと、一階の厨房含めスタッフは全員二階レストランで最終的な会の進行について注意と確認を行なっていた。この際チーフスタッフである桐沢はその陣頭指揮にあたり、浦添はその側で指示を出していたから、一階に降りて細工をすることは不可能であった。
「それはアリバイを調査すべきってことね」
「本宮様、これは大変申し上げにくいのですが、今回の宿泊者のほとんどは複数でのお越しになっています。お一人様なのは本宮様と小坂様だけになっております」
「あら、じゃあ私、ちゃんとアリバイ証明しなきゃいけないのね?」
本宮はそういうとくりくりとした目を紗綾に向けて来た。
「でも残念ね。こんなことになることがわかっているなら美輝ちゃんのお部屋に遊びに行っていたのに。私ずっと部屋にこもって原稿と格闘していたわ。残念だけど、私にアリバイはないな」
「浦添さん、先ほどホテルのスタッフは全員集められたとおっしゃっていましたね、籠塚オーナーはその場にいらっしゃったんですか?」
「いえ、オーナーは支配人室にいらっしゃったはずです」
支配人室というのは中央棟の入り口とちょうど正反対のところにある、紗綾たちのコテージとほぼ同じ作りを持った建物である。
「あらためて思い起こしてみますと、オーナーは会が始まる直前までお見えになりませんでした。おそらく開会の挨拶を思案されていたのかと……。どなたかそれを証明できるかとおっしゃられますと、少なくとも私はご期待に沿うようなお返事はできません」
要するに、籠塚自身のアリバイもよくわからないということであった。しかし、自分の目の前に、自分の作成した作品を出して、あれほどの驚きを演じることができるのだらうか……?
そして話は警察への通報はしたのかという問題に移ったのだが、これは紗綾の悪い予感が完全に的中してしまった。生首が本物であると確認されると桐沢と浦添はすぐさま籠塚へ報告にあがったのだが、籠塚はワアワアと騒ぎ、取り乱した声を返すだけで支配人室から出てこなかった。桐沢は籠塚の指示がない以上何もできないの一点張りで、これではらちがあかない。結局浦添は独断で警察に通報することにしたのだが、これが繋がらなかった。外線が切られていたのだ。まさかと思い跳ね橋を確認しに行くと、昇降装置が破壊され使い物にならないことがわかった。これでは警察に通報したとしても到着が明日になってしまうからと、彼は途方に暮れていたらしい。
「これはいよいよ推理小説みたいになってきましたね」
なぜか本宮は楽しそうにしている。浦添の話も事細かにメモを取っているようであった。しかし一方の紗綾はあきれ顔である。この非常時にこのホテルのスタッフはただ指示を待つのみか、途方に暮れているのみ、結局あれから三時間で何も変わっていないのだ。
「とにかく翌朝でも構いませんから警察には来てもらわないと。浦添さん、すぐに桐沢さんに警察に連絡するよう進言してください」
叱責するような紗綾の口調に浦添は深々と頭を下げた。
浦添の知っていることは以上であった。この後紗綾たちは浦添に連れられて小坂の部屋に案内されたのだが、小坂の部屋のベッドは一度も使われた形跡がなく、開け広げた旅行鞄が床に取り残されていた。変装に使われていたと思われる帽子は問題の絵の下に、まさにこれを見よということだろう、丁寧に畳まれていた。問題の絵はサラダをナイフとフォークで食べている女性の絵であった。
つまり、あの生首は見立てであった。
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