作品の少女

 通されたコテージはそれだけで一軒家くらいの大きさがある立派なものだった。玄関で靴を脱いで廊下を進むと居間に出た。居間には四人用のテーブルとソファ、簡単なキッチン、そして暖炉が備えられている。もちろんエアコンが設置されているから、これはイミテーションなのかもしれないが、それにしてはしっかりとした大理石のマントルピースを持つ暖炉であった。その立派なマントルピースの上に掲げられているのが、このコテージの名前になっている作品、『午後』である。花畑で遊ぶ麦わら帽子の少女の絵。紗綾も画集で目にしたことのある作品だ。しかし、これが幼少期の美輝を描いた作品であるとは初めて知った。その驚きを直接美輝に伝えたら、彼女も照れ、はにかむ表情を持っているのかと図らずも二人は知ることになった。

 居間の左右には扉があり、片方は小さなお風呂と洗面所のスペース、もう一方が寝室であった。ベッドが四つ、鏡と机が二つずつである。大きな作業はできなくとも、相談したりデッサンするくらいなら問題はなさそうだ。紗綾たちはそれぞれのベッドを決めると荷物を置いて外に出た。


 浦添に連れられて再び中央棟に入ると、まずはテラスへと案内された。屋上へはテラスから上がれるらしい。これだけの高い建築だから、屋上からの眺めもおそらく素晴らしいのだろう。しかし、外だけでなく、この塔は内部も美しい。エレベーターに乗ってテラスに向かう途中、螺旋階段が塔の壁面を登る大蛇か龍の姿を想起させる。エレベーターがテラス階につくとそこは陽の光に溢れていた。天井にドーム状のガラス窓がはめ込まれているのだ。足元に目を向けると、そこは吹き抜けになっている。テラスはこの地上六階に渡された大きな梁の上に乗っており、遥か下のロビー階を見下ろすことができるのだ。壁面を這うような階段には途中途中、燭台を模した照明がゆらゆらと揺らいでいる。夜間には照明を落としてあの燭台の明かりだけが灯るらしい。天気のいい夜であれば天窓から星空も、月も見えることだろう。

 テラスの端にある螺旋階段を登るとそこが屋上であった。先ほどのドーム天井を覗き込むと、八角形の壁面の中に正方形のテラスが浮いているかのように見える。あまり数学が好きではない紗綾と舞も、その整然とした数理的な調和に思わず見入ってしまった。

 もちろん屋上からの眺めも良好であった。眼下には正八角形の塀の一辺が見える。中央棟から伸びる道は花畑を通って跳ね橋につながっていた。先ほどあの跳ね橋を渡った時は気がつかなかったが、橋の下には青々とした太平洋が広がっている。波が岸壁に打ち付け白く飛び散る、また波が引き黒いこの辺り特有の溶岩海岸が姿をあらわす。そして再び白波が飛び交う。先ほどドーム天井を見下ろしたように、白亜の館をさらに上空から見下ろすことができたならそれは不思議な構造が見えたことだろう。白い八角形の塔の周りに八角形の緑が茂り、その外には青い海が広がる。記号の入れ子の中に彼女たちは立っているのだ。

「こりゃきっと黒崎に見せたら喜んだだろうね」

「うん、せめて写真だけでもとって送ってあげようか」

 そんなことを二人が話している後ろ姿を美輝はじっと見つめていた。少し口元がほころんだ。

「浦添。今、何時でしょう」

「午後二時三十八分でございます」

「夕食の支度が整うのは」

 その言葉に懐中時計をしまう浦添の手が止まった。

「五時五十五分を予定しています。六時にフロントからお部屋にご連絡を差し上げることになっておりますが、いかがいたしましょうか」

「それではその十分前、私に連絡を」

「かしこまりました」

「私たちはもうしばらくここにいます。このあと、製作現場を残してあると聞いていますから、そこに寄ろうかと」

「かしこまりました。ご案内いたしましょうか」

「いえ、わかりますから、大丈夫です。浦添、あなたもまだやらなければならないことがたくさんあるでしょうから、気になさらないで」

「かしこまりました。では、また」

 浦添は深く頭を下げると螺旋階段を降りていった。美輝はそれを見届けると肩の力が抜けたのか、ホッと息をついて、眼下の太平洋を眺め指差す二人の親友のもとに歩み寄った。

「紗綾、舞。どう、とてもきれいなところでしょう? 私も昔ここにお祖父様と登ったこと、とても印象に残っているの。下のテラスから星を眺めたこともよく覚えてる。お祖父様は私がどうしていろんな色のお星様があるの、なんでお星様は動くのって問いかける度に嬉しそうに説明してくれました」

「ははぁ」

 舞が何やら感慨深げにドームの下を覗き込むから紗綾はおかしくて思わず笑ってしまった。

「なにさ」

「いやぁ、頭いい人って小さい頃から考えることがすごいんだなって」

 紗綾がそう言いながら頭をかくものだから舞はちょっと不満である。

「なんだい、バカにしてるのかい。私だってお父さんにきいたことあるよ」

「なんて?」

「お星様はどんな味がするのって?」

 紗綾は言わずもがな、美輝も笑いをこらえられなかった。

「それ、お父様はなんて答えられたの?」

「答えてくれなかったよ。あの人も真面目な人だからねぇ。ところでさ、さすがにお腹空かない?」

 そう言うとなぜか舞は紗綾の方を見てきた、という表現は紗綾視点の感想だろう。彼女は自覚がなかったかもしれないが、先ほどお腹を鳴らしていたのは紗綾であるから、舞のこの行動は至極自然であった。美輝はその流れが可笑しかったのかクスクスと笑いをこぼすと、

「そうでしたね。お昼ご飯にしましょう。お部屋に戻ったら軽食を。そのあと御祖父様の製作現場が残されていると聞きましたから、そちらに向かいましょう」



 遅くなった昼食後に立ち寄った、駒澤文名の記念館は彼女たちの泊まるコテージの向かいに存在していた。これは当時のアトリエをそのまま移築したものであった。もともとは支配人用のコテージがあるところにこのアトリエがあったのだが、より目につく場所に配置したほうが来客を見込めると考え移築したそうだ。アトリエの中は彼女たちの泊まるコテージとは全く構造が異なっていた。中に入るとそこは全て創作の空間となっており、大きなカンヴァスや彫像、彩色された巨大な正多面体や球といった幾何学的な立体が転がっていた。この雑然としたアトリエを見るだけでも駒澤文名という人間が様々な造形物に興味を持っていたことがうかがえた。本来写真撮影は禁止されているのだが、美輝が「かまいませんよ」と言ったので遠慮なく写真を撮ることにした。

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