ゆかりの客
ぐぅ。
ここで突然紗綾のお腹が鳴った。美輝がこちらをかえりみた。はしたないですよと言わんばかりの微笑みである。これには顔を赤くしてうつむかざるをえまい。そういえばまだ今日はお昼を食べていなかった。まさかここに着くまでこんなに時間がかかるとは思っていなかったのだよ。
「と、ところで、今回のお披露目には他にいったいどんな方がいらしてるんですか」
紗綾はごまかすように適当な質問をしたつもりだったが、この質問に美輝と浦添の眉が少し曇ったから、紗綾ははてな、と自分の質問を振り返った。すぐに浦添が答えた。
「旦那様ゆかりの方ばかりです」
「お祖父様ゆかりの方、だけではないですよ」
突然後ろから声がして振り向くと、旅行鞄を持った女性が立っていた。サングラスをしているのが少し胡散臭いが、いくらオシャレに疎い紗綾でも、いわゆるファッション誌に出てくるようなモデルさんみたいだなと思った。
「これは、本宮様。お懐かしゅうございます」
「これは、じゃないよ。そりゃお嬢様の方が大事なのはわかるけど、私の方もちゃんとお出迎えしてよね。それに、お懐かしゅうって、浦添さんは相変わらずだね」
「いえ、失礼いたしました」
浦添が頭を下げると満足したのか女はとがらせた唇を元に戻し、サングラスを外した。その奥に控えていたのは、ガラス細工のようにくっきりと輝く瞳。そして首を二十度ほど傾けて、口元に笑みをたたえた。なんと愛嬌と美を兼ね備えた人なのだろうか。紗綾はあらためて何やらとんでもないところに来てしまったなと思った。こんなオシャレさんたちがいる一方、紗綾は夏冬問わず着続けた愛用のエンジのジャケットとジーンズである。そのジャケットだってこの陽気ですこし汗を吸っているはずだ。なんだか申し訳なくなって、早く部屋に案内されないかなと思い始めた。しかし、舞の興味がそれを許さなかった。
「今度は誰?」
舞が美輝に耳打ちした。彼女としては耳打ちのつもりなのかもしれないが、外にも聞こえたのだ。だから、美輝が答えるより早く、本宮の方がその質問に答えた。
「あら、美輝ちゃんのお友達? 私、昔美輝ちゃんの家庭教師やっていたの。本宮瑠衣といいます。今はモノ書きだけどね。今日も編集から逃げてきたの」
そう言いながら本宮はサングラスをくるくると指で回した。
「それにしても美輝ちゃんも立派になったね」
「もう高校生ですから」
「そうね、最後に会ったのは中学に上がる前でしょ。すっかりお姉さんになっちゃって。御祖父様から聞いてたよ、美術部に入ったって。御祖父様とっても喜んでたわ」
「それに美輝は自慢の部長ですからね」
舞がすかさず美輝の肩に手を置いた。
「しっかりしていて、真面目で、ちょっと小言が多いけど」
「舞」
ご立腹の様子だが、本宮はなんだか懐かしむように目を輝かせた。
「あら、面白いお友達ね。楽しそうでよかった。せっかくだからお友達、たくさん案内してあげたら? ねぇ、浦添さん。私はどこのコテージかわかれば、勝手に行くから。屋上、喜ぶんじゃない?」
「はい、本宮様。今鍵をご用意いたします」
浦添は本宮に言われると浅く頭を下げてフロントへと向かった。程なくして帰ってくると本宮に絵が印刷された電子キーを手渡した。
「本宮様は『聖堂の朝』でございます」
「あら、ひょっとしてみんなお祖父様の絵のタイトルなの?」
「さようでございます。お部屋にこちらの作品もございます。どうぞ、ごゆっくりとしていただければ」
「ええ、ゆっくり締切に挑みますよ。それじゃ、美輝ちゃんをよろしくね」
そういうと本宮はくるりと踵を返して旅行鞄を引いていった。
「ほへぇ、あれが美輝の家庭教師だったの」
舞が美輝のおでこに手を当てた。
「意外でした?」
「私もあの人に教われば数学できるようになる?」
「それは無理でしょうね」
「なぁんだ。じゃあせめて宿題教えてくれないかなぁ。行ったらチョチョイって、ねぇ」
「舞」
「いやぁ、冗談だって。もう、真面目なんだから。そう怖い顔しないでよ」
「まったく、紗綾はともかく、あなたは本当に心配です。くれぐれも失礼のないように。もちろん備品にも気をつけてくださいね。どれも御祖父様の貴重な作品、製作過程を知る第一級の資料なのですから」
最後の言葉にいたるに、すこし美輝の息が荒くなった。ふぅと深呼吸して息を整えると、美輝は思い出したように浦添の方を向いた。
「それで浦添、私たちのお部屋は?」
「『午後』でございます。お荷物をお持ちいたしましょう。それから、館の中を案内いたします」
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