白亜の館

 東京から四時間半、一行が白亜の館に着くと門前で五十そこそこ、ロマンスグレーの頭髪に黒いスーツをまとった一人の男が出迎えた。遠目で見てもスーツの下の体躯は細くもなく、だからと言って太っているわけでもない。どちらかといえば筋肉質であり、非常に健康的なのが見ただけでわかる。そんな男が紗綾達三人を見つけると深々と頭を下げ、ニコリと笑った。それがいかにも長年務めてきた役割であるかのように板についていたから、アレはリゾートのスタッフなのだろうか。だとすると、このリゾートもなかなか格式の高いものではなかろうか、と紗綾は舞と顔を見合わせた。過去に、美輝に連れられて温泉宿に行ったら、とても高校生が泊まれるようなものではない高級旅館に泊めさせてもらえたことを思い出したのである。調度品の数々が高級感に溢れ、緊張しすぎてあまり楽しめなかった記憶がよぎったのである。

「あら、浦添」

 一行から少し遅れた美輝がその姿を見るや否や歌うように声を投げた。すると初老の紳士もいくらか安心したようにすこし顔の緊張を解いた。

「お嬢様、覚えておいででしたか」

 と、その目は山羊のように優しげである。美輝もなんだか心が安らぐのか、いくらか砕けた調子で、

「お嬢様はやめてください。もうお嬢様でもありませんから」

 そう言ってクスリと笑った。なるほど、たしかに美輝は部活でもクラスでもお嬢様で通っている。一挙一動に溜めがあり、洗練されているし、言葉遣いだって落ち着いている。どこか世離れしたような所作はお嬢様である。しかし、それは紗綾達の間で半ば冗談でお嬢様と言っている面もある。しかし今の二人の会話を聞く限り、本当に本当に、美輝はお嬢様であったのだ。しかしそうだとすると、この初老の紳士は一体誰なのだろう。どのような立場の人間なのだろあれ。ただのホテルのスタッフとは思えなかった。だとするとオーナーだろうか?

「美輝、知り合い?」

 そんな疑問を先に口にしたのは舞であった。

「ええ、そう。浦添さんといって、お祖父様の執事を長年勤めてらしたの。浦添、こちら琴芝舞さんと瓦木紗綾さん。私の友達ですから、どうぞよろしく」

「お噂はかねがねお嬢様から伺っておりました。どうぞごゆっくりと」

 深々と頭を下げる浦添に紗綾たちがおどおどと頭を下げると、美輝は何がおかしいのかクスクスと笑っている。

「それでは、ご案内いたします」

 そう言うと浦添は三人を手で招き、門を開いた。その先には木造りの跳ね橋がかかっていて、いつか写真で見た白亜の館がひかえている。橋を渡り終えると二つ目の門。そこを開いた先はまさに白亜の神殿であった。

 整然、という言葉がしっくりくるかもしれない。眩いばかりに白い塔、壁が彼女たちの前にそびえていた。地面の大半は草花に覆われ、中央に赤、黄、紫と色とりどりの花が咲いている。真夏の正午過ぎの高い日差しが白い壁に反射して、そのコントラストをより一層強め、強烈に印象を与えている。塀に囲まれているせいか、海からの風は感じず、それはあたかも静止した一枚の絵画のようであった。

 中央の塔の周りには白い箱状の建築物が、中央の尖塔を拝み伏すように座している。舞はなんだか豆腐みたいと呑気なことを言っていたが、これが客室なのだと浦添が説明した。

 庭の花々の間を抜けると、この白亜の館の中心である塔にたどり着く。ここがフロントらしい。その中央の塔に通されると、一組の男女が話していた。三人がやってきたことにすぐに気づくと、慌ててこちらに向き直って、女の方だけ深々と頭を下げた。

「ああ、美輝さんですね。どうもはじめまして、こちらはチーフスタッフの桐沢」

 男は自ら名乗る前に女の方を指差した。その指の先に控える女性は見たところ四十くらいだろうか。落ち着き払っているところは、男の言葉通り、さすがチーフスタッフというところだろう。いわゆる栄養満点女子というのかお月様のようにまん丸い顔にある目が穏和なこの人の性格を表しているようにも見えた。三人が深く頭を下げると、その途中で再び男が口を開いた。

「そしてこの私がオーナー、籠塚晴人と申します」

 一行があらためて会釈をすると、この男、笑いながらただ顔の前で手を振っただけで、

「いやぁ、そんな堅くならないでくださいよ」

 と、なかなかフランクである。男は目元にしわを作って、

「いやいや、美輝さん。あなたのお祖父様のご厚意あって私は今ここに立っているわけですからな。私の方こそあなたに頭を下げなきゃなりません」

 そう言うものの籠塚は頭を下げることもなく、この白亜の館の素晴らしさについてベラベラと語り始めた。正直なところを言うと、紗綾は建築の美には興味がなかったから、話半分に聞くことにして、この男を観察していた。先ほどの浦添とは大違いである。なるほど、確かにオーナーはあまり客前に出ないのかもしれない。歳は浦添と同じくらいなのかもしれないが、背格好は対照的である。お世辞にもスマートでいらっしゃるとは言えない体型で、スーツも肩があっていない。真紅のネクタイは少し曲がっていて、髪は整えているようだが妙に黒々としているのにまた違和感がある。それに、なんといっても落ち着きがない。立っているのに先ほどから爪先をを上げては下げ、上げては下げ、赤い絨毯の上だから音がしないものの、木の床ならばパタパタと音がしてうるさいことこの上なかろう。指も落ち着きに欠けて、ピアノに触れているかのように動いている。

「そうだ、ところで美輝さんはここに来たことはあるんでしたかな」

「はい。一度ですけれど、お祖父様に誘われまして。ねぇ、浦添」

「はい、十年前のことでございます。ちょうど小学校に上がられた頃でして、中庭で蝶々を追いかけていらっしゃるところを、旦那様が絵に描かれていたのを覚えております」

「ああ、そうかそうか。じゃあ、ぜひとも当時を懐かしんでください。案内の方は浦添君に任せたから、あとは頼むよ」

 そういうと籠塚は客に背を向けてフロントの中に消えていった。なんだか生暖かい風に吹かれたような気持ちである。

「あれも知り合いなの?」

 舞が怪訝そうに尋ねると、美輝は首を横に振った。

「いいえ。お祖父様からここを買い取っただけの方です」

 と言って、ちょっと息を吐いた。

「それにしても、浦添も大変ね。苦労はないの?」

 美輝は振り返らないまま浦添に尋ねた。浦添は、彼女が見ていないと知りながらも頭を下げた。

「お嬢様、それは今の私には申し上げることができません。こうして懐かしい場所に居られるのはあのお方のご尽力あってのことなのですから」

 と答えた。美輝は、そう、と一言だけ返した。

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