伊豆へ
一体どうしてこんなリゾート施設にやってきたのだろうか。その疑問は当の紗綾自身、心の中に幾度となく現れた。ことに、リゾートのパンフレットを見た日には夢なんじゃなかろうかと親友の琴芝舞とほっぺたをつねりあったものだ。彼女は一介の女子高校生。勉学はまあ上の下ぐらい。部活動はその細い体躯からしてわかる通り文化系、しかも美術部である。付け加えれば、紗綾は絵を描くのが苦手で、いわゆる鑑賞専門、見る専的なものだ。特殊なことが一つあげられるけど、それはしばらく後に回すとして、とにかくこんなリゾート地なんかに縁があるほどお嬢様ではない。これは舞も同じである。彼女も一介の女子高校生。紗綾とは小学校からの付き合いで、部活動も一緒。紗綾がヒラの部員に対してこちらは副部長であるが、まあそれだからと言って気軽にこんなリゾート地に行けるような家庭ではない。それは他の部員とてそうである。ただ一人、部長の駒澤美輝を除いてだ。
部長である駒澤美輝はあの高名な芸術家、駒澤文名の孫娘、すなわち彼女たちの通う学校の創始メンバーの孫娘とだけあって、名実ともにお嬢様であった。しかし、美輝がお嬢様なのは確かだとしても、なぜ舞と紗綾というこの二人、お堅い部長さんが誘ったのだろうというと、これにはちょっとした事情があった。
彼女たちの属する美術部の活動といえば、この時期はもっぱら秋の文化祭に向けた準備である。美術部は正門から校舎にいたる装飾、様々な催しを行うステージの製作を担っている。それに加えて部としての出展もある。以前この学校には美術科があった。それ故文化祭が豪華なのだが、美術科が無くなった今でも往時の体裁を保とうとしている。そのせいで美術部に大きなしわ寄せがきているのだ。夏休みは大抵多忙のまま終わってしまう。
それだというのに今年ときたら部長と副部長揃って出かけてしまって……、と早とちりするかもしれないが、別にこの三人組は旅行と洒落込んで怠けている訳ではなかった。出かけざるを得なくなったのだ。
ありようはこうである。先日、作業に取り掛かろうと張り切った舞が美術室の冷房を限界まで効かせようとした。すると、初めは心地よかったのだが、しばらくして軽快な破裂音とともに外の空気を煮詰めたような熱風を吹き出し始めたから一同仰天。そう、冷房が故障してしまったのだ。いやはや、それも無理はない。この夏は記録に残る猛暑が連続していた。各地のダムは渇水であり、取水制限が行われて首都圏の水供給が危うくなったのもこの年であった。そんな連日の猛暑の中、舞は暑くちゃ作業にならないと設定温度を限界まで低く設定して、フルパワーで連日動かしていたのだ。年代物のクーラーが煙を吐き出したのも無理はない。程なくして、あの涼しく、過ごすに快適であった美術室は、外にいる方がまだマシと思えるほどに過酷な環境へと変貌してしまったのである。
こんな環境ではしばらく美術室での活動はできない。しかし美術部が何もできないと文化祭の運営に支障が出るから、とりあえずどこか別の場所で活動しようということになった。そこにちょうどよく部長の美輝がこのリゾート施設を提案したのだ。
彼女たちの向かわんとする白亜の館は、先に読者諸賢には述べた通り、リゾート施設として第二の人生をおくることになったのだが、そのオープンに際して、館や文名にゆかりある人物たちを集め、お披露目会を行うことになった。その連絡を孫娘である美輝も受け取ったのだ。しかし、一人で行くのはどうにも心細い。なにせ祖父のアトリエとはいえ最後に訪れたのはもう十年も前のことである。祖父の知り合いというのも別段関わりがあるわけではなかったし、なにより美術部の活動が優先である。断ろうとしていたところで美術部のクーラーが壊れた。このままでは活動が滞る。それで美輝の中で閃いたのが、祖父の元アトリエでの活動であった。リゾート地になるとはいえ、祖父の記念館も兼ねているという話は聞いていた。見学するのは部員の為にもなろうと、部長駒澤美輝、これ幸いと文化祭の装飾案はここで練ろうと提案したのだ。
本当は美輝も部員全員を誘いたかったのである。しかしそれは無理なことであった。美術部は都合七人。二年生が五人に一年生が二人である。対して招待状は美輝の分含めて四つ。これをいかに割り振るか、美輝は大いに悩んだらしい。副部長の舞はもちろん必要だ。後輩の一年生も経験としては誘うべきだろうか? しかし、一緒に寝泊まりするのは合宿ぐらいで、そんなに近しい関係でもない。変に気を遣わせてはならないから、やっぱり同級生で固めるべきか……。そうだ、黒崎君。彼は装飾の強度計算ができるし図面も引ける。いや、しかし彼を誘うと彼女の葉月が黙ってない。彼は彼女持ちなのだ。彼を誘えば必ず彼女がセットになる。この際セットでもいいし呼ぼうかなと思ったが、そもそも女所帯に男一人では都合が悪い。それでも念のため打診してみたら、そんな計算は家でもできると突っぱねられてしまった。というわけで結局、ヒラの部員だけれど紗綾が抜擢されたというわけだ。
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